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2009年9月12日 (土)

川面に浮かぶ紅葉

   嵐吹く 三室の山の もみじ葉は

        竜田の川の 錦なりけり

              能因法師 (後拾遺集、百人一首)

今回は、秋を題材にした文学を取りあげてみよう。ちょうど、ツクツクボウシも啼き終えたいることだし。上記の歌について、別に解釈を示す必要もないと思うが、一部の読者のために、若干、示しておこう。

三室の山とは、奈良県生駒郡の神南備山の別称らしい。ただ「み室山」となると、神のいます山ということになり、そういうことも含めて詠まれた歌かもしれない。

竜田の川は、同じく奈良県の西北生駒郡にある川で、上流は生駒川と呼び、大和川に注いでいる。近くに竜田神社がある。なお、表記には、「龍田」のものもある。

錦は、最近、着物を着る人が少なくなったので、触れる機会が減っているが、金や銀の糸や、様々な華やかな色の糸を用いて、華麗な模様に織り出した厚地の絹織物をいう。

歌の解釈としては、「嵐が吹き散らして、三室の山の紅葉は、竜田の川に浮かんで、それが水面に映えて、きらきらして、まるで、鮮やかな錦のようであったことよ」(*注)、ぐらいの意味であろうか。

また、竜田を歌ったものには、次のようなものもある。これは、謡曲『龍田』に使われている歌だ。この謡曲は、その他にも、いろんな和歌を組み込んで、作られているが、浅学な流風が記すには、限界がある。また、藤原家隆の歌の一部は、改変されて、「栬(もみじ)葉」が、「紅葉を」に、「渡らし」が、「渡らば」になっている。

    龍田川 紅葉乱れて 流るめり

         渡らば錦 中や絶えなむ

                   (古今集、読み人知らず)

    龍田川 栬(もみじ)葉閉づる 薄氷

         渡らしそれも 中や絶えらむ

                    (壬二集、藤原家隆)

二首ともに、龍田川を人が渡れば、それぞれ条件は違うが、その見事な紅葉で彩られた川を乱すことになると詠っている。そういうと、子供の頃、季節は違うが、女の子たちが、川に花びらを浮かべて遊んでいた。川は流れるので、花が流れる感じだった。それをやんちゃの男の子が川に入っていて、女の子から非難轟々だった。流風じゃないよ。

上記の和歌は、花ではなく、紅葉であるので、そのニュアンスは異なる。秋の風情ということで、感慨深いものがある。秋は、やはり、もの想いにふけるのがいいいのだろうか。流風は、美味しいものがいっぱい食べられるのがいい。花より団子ならぬ、紅葉より、果物(笑)。せっかくのいいテーマも台無しだな。

*注

一般的な解釈を示した。紅葉は、時期によっては、簡単に散らない。紅葉が風に散らされて、実際に川面に浮かんでいる場合も考えられるが、紅葉が川面に映り込んで、そのように見える場合もある。文学的には、そちらの解釈の方が面白い。

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