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2009年10月 4日 (日)

言葉の軽さの弊害?

最近、言葉がやたらと軽く濫用されている。それも言葉の進化と捉えれば、仕方ないのかもしれない。だが、流風が歳がいったからもしれないが、気になることも多い。

例えば、かなりまえから、マスコミでは、「セレブ」という言葉が使われている。もともとの「セレブリティ」を略して、言っているようだが、どうもおかしい。英語表記は、celebrityだ。英和辞書には、「高名、令名、名声」、あるいは、「名声の高い人、名士」と訳されている。英英辞典では、後者の意味合いが強い。

となると、とてもセレブとは思われない人々まで、そのように呼ぶのはいかがだろう。大体、お金持ちだったら、皆、「セレブ」なのか。日本でも、そもそも金持ちにも二種類あり、一つは、代々続く資産家、もう一つは成り上がり。「セレブリティ」は、どちらを指しているのだろうか。

日本では、どうも一緒くたになって解釈されているような感じだ。まあ、もうすでに和製英語になっているのかもしれない。元の意味など、もうどうでもいい感じだ。ちょっと羨ましい存在を指しているのだろうか。裏には、すこし小馬鹿にしているような雰囲気もある。一種の言葉遊びかもしれない。

また、温泉旅館の「美人女将」というのも、気になる。どうみても、美人とは言えない、厚かましそうで、がめつそうで、いけすかない女将に対しても、そのように呼ぶのは、明らかにおかしい(笑)。まあ、「美人」という意味が、曖昧なのも事実だ。時代によっても、その評価基準は異なる。しかし、それらを斟酌しても、言葉遊びにしても、行き過ぎだ。

まあまあ、それでも、美人でない美人女将を、美人と持ち上げておれば、その接客は、多少いいかもしれない。ヨイショはどこの世界でも有効だ。毎日見る顔でもない訳だから、刹那的に美人と言うことにしておこう。褒め殺しという言葉もあるけれど。

それに、男性タレントに「男前」というが、どんな基準で男前と言っているのだろう。若い女性が、キーキャー、キーキャー騒ぐのは、大きな錯覚。作られた偶像さ。まあ、流風が言うと、羨ましがっているように聞こえるかもしれないので、これ以上の言及は避けよう。

これも美人同様、男前基準が曖昧なのだろう。確かに時代によって、その基準は変わるのだろうが、変な男前が多すぎる。あの程度なら、一般人にも、たくさんいるだろう。整形している男のタレントを男前と呼ぶより、ましかもしれないが。

ただ、男前なんかと言われて喜んでいてはいけない。半分、馬鹿にされているようなもの。お前は、それしか取り柄がないとね。男は顔じゃないよ、心だよ、なんて言うつもりはないが、ある程度当たっているだろう。それが男女の明らかに違うところだ。男に対して、男前と言われて悦に入っているようじゃ、そのレベルはしれたことということ。

あれ、また変な方向に脱線。言葉の軽さの弊害は、むしろ流風か(笑)。それにしても、言葉の意味変化の流行は恐ろしい。ほどほどに使わないとね。でも、時々、使っている自分がいる。脳が汚染されたか(苦笑)。

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