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2009年10月22日 (木)

大阪市立美術館~『道教の美術』展を鑑賞

先日、大阪市立美術館で催されている『道教の美術』展を鑑賞してきた。この美術館に行くのは久しぶりで、駅から近くなのに、少し迷った(笑)。地下鉄天王寺駅から近くなので、少しだけど。若い時は、よく『日展』を観に行ったものだが、最近は御無沙汰。昔と何も変わっていなかった。

さて、その『道教の美術』展だが、道教には、前々から少し関心があったことは確かだ。老荘思想には憧れるし、このブログでも、プロフィール欄に、刺激を受けた書物として、『老子』を挙げている。孔子の考え方は作為があるとする老子の考え方には共鳴できるからだ。

しかしながら、老荘思想は少しわかっても、道教となると、日本では神道・仏教・儒教ほどには馴染みがない。わかっているようで、わかっていない。さらに道教者からすると、老子は敬っても、荘子は論外だとするからだ。ますますわからなくなる。

ところが、日本が、道教と全く関係がないかというと、『道教の美術』展の案内のパンフレットを読むと、浦島太郎も、閻魔さまも、安倍清明も、七夕の織姫・彦星も、道教にルーツがあるというではないか。

それで、これは一応鑑賞してみる価値はありそうと思ったが、関西では、大阪市立美術館以外での展覧はないとのこと。少し遠くなった大阪だが、仕方ないと思って、わざわざ行ってきた。久々に吸う大阪の空気。昔より、少し澄んでいる感じ。ましになったのかな。

その展覧会だが、当日は、テーマにしては、若い人も多く、女性の観覧者も多かった。若い人も、道教に関心があるのだろうか。これは最近多い仏教美術展とは異なり、意外な感じだ。何が、彼らを引き寄せるのか。

不老長寿を究極の理想とする道教だが、果たしてそれだけだろうか。むしろ現世的な利益をかなえてくれるということに、日本の神社と重ね合わせて、わかりやすいからかもしれない。

道教は、中国で自然発生的に生まれた土着信仰に近いと思うが、人間の望むことは、どこでも、そんなに変わるわけでもない。また儒教は、支配者側の考え方だが、道教は、庶民に受け入れやすい考え方なのだろう。

しかしながら、この展覧会では、お経のような法典の展示も多く、観ても、内容は良く分からないものも多かった。結局、絵や像のようなものを多く鑑賞したが、なかなか、それだけで、道教を理解することは難しいようだった。

もちろん、この展覧会は、美術展であり、道教の教義に関するものではない。だが、庶民は、教義を理解したわけではなく、肖像画や各種絵画、あるいは像を見て、有難いと思い、希望を一心に念じたと思うと、そこに道教の根本が潜んでいるようにも感じられる。

だが、結局、日本人は、表面的な理解に留まり、中国人のように深くは信奉しないだろう。でも、裏を返せば、すでに、日本の文化に、意識せずに溶け込んでいることも確かなようだ。神道・仏教・儒教に、道教の影響は強く入り込んでいる。

日本人は、昔から、意識せずに、道教の影響を受けた仏教や儒教を受け入れ、知らず知らず、その文化に触れ続けていたのだろう。今後は、日本の日常の道教を少し、意識してみますか。

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