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2009年10月19日 (月)

良寛の『半夜』を詠む

なかなか大きくならない梅の手入れをしていて、ふと、ある詩をうろ覚えだったが、思い出して、本を繰ってみた。そうすると、良寛の詩にあったのは、梅ではなくて、黄梅雨だった。旧暦五月の梅雨のことを指すらしい。折角だから、季節外れではあるが、取りあげておく。題は、『半夜』で、次のようなものである。

  首(こうべ)を回(めぐ)らせば 五十有余年

  人間の是非は一夢の中

  山房五月黄梅の雨

  半夜蕭蕭虚窓に灑(そそ)ぐ

誰も、晩年を迎えると、このような感慨に浸るのだろう。あの秀吉も、辞世の句で、同じようなことを言っている。この世は、所詮、夢の夢なのだろうか。確かに、流風も、そろそろ、そういうことを感じないわけでもない。

何かの縁で、この世の中に、ぽとりと産み落とされ、彷徨ってきたのだろうか。結局は、そうなのだろう。山奥の、あばら家に雨が注げば、余計にそう感じるかもしれない。自分の一生は何だったのかと。

そういうと、流風の実家も、築うん十年で、あちこちにガタが来ている。でも、感慨より、むしろ雨漏りの方が心配だ(笑)。無常観に浸るのもいいが、もう少し、この世の中を楽しんでみるとしましょう。

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