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2009年11月 6日 (金)

保育園依存症

それにしても、一体いつ頃から保育園依存症が始まったのだろうか。流風の子供の頃は、保育園は、あまり一般的ではなかった。水商売の人々が、子供を他人に預けて、夜、仕事に行くという風景はあったが。

しかし、母親は、子供にとって、生まれた時から、頼りになる存在だ。それから、突き放されると、子供は精神的に不安定になるはずだ。それは、その後も続き、情緒不安定を招きかねない。幼児における母親の存在は、大人になってから、意味を持ってくる。

それが、現在は、若い母親は、当たり前のように、保育園を求める。いつから、そうなったのだろうか。ある人によると、厚生労働省が、“三つ子の魂”を否定したことに始まるらしい。それは、人は数え年3歳までに、情緒も含めて、その考え方が定まるということを否定したことと同じだ。

どんな根拠か、わからないが、一部の学者の否定した学説を信じたのだろう。だが、人々は、長い歴史の中で、子供の3歳までの、親の接触がいかに大切かと感じてきた。そして、それは3歳以後も程度の差はあれ、同様だ。結果は、子供が大人になってから、はっきりする。子供時代に親の接触が深いと、キレる子供にはならないという。

例え、反抗期に、反発しても、ある一定のところで止まることができる。それは幼児の頃、親に受けた愛情が擦り込まれているから、親のことが許せるのだ。反発するのは、自分の存在を認めてほしいからだが、そのために親を試して甘えているのだ。そして、それの限界を確かめようとする。

それに対して、親が必死にぶつかってくると、それを愛情と理解する。幼児の頃に、親が子供に接していると、それは自然にできる。子供は子供だからだ。そのことは、大切なことだ。親はなくても、子は育つというのは、所詮、慰めの言葉にすぎない。子供時代、親との接触がないと、大人になって苦しむのは、子供本人だ。

ところが、幼児の時に、働きに出て、保育園任せにすると、親が濃密な接触をしていないことになる。それは子供の反抗期には、戸惑うだけで、困った存在にしか映らないことにつながる。それが子供との決定的な距離を生む。多くの犯罪の要因は、ここに潜んでいる。

もちろん、すべての子供がそうはならないだろうが、いつ爆発するかわからない不安定なものだ。世のお母様方は、働きに出るという理由で、子育てを保育園任せにしないことだ。子供の時の、母との接触は、子供に何らかの記憶が残るのは明らかだ。

いろんな困難に出合った時、母親の愛を思い起こすことができるような子育てにしてもらいたい。生活が苦しいから、共働きとは、よく聞くが、流風の子供時代と比べれば、いかに贅沢か。もっと堅実な生活を送ってほしいものだ。

*追記

保育園は、本当に生活が苦しい人だけに、社会保障的に実行されればいい。自らのわがままのために、育児放棄すべきではないだろう。育児と仕事の、どちらが重いかは、明らかだ。また、厚生労働省も、誤った育児のあり方を修正し、新たに啓蒙すべきだ。

*追記

最近は、父親が保育に参加する例もみられる。ただ、母親の保育に比べると、限界がある。子どもの変化を本能的に悟るのは母親にしか出来ないからだ。病変等に細かく対応できるのは、母親だということを忘れてはならない。

もちろん、父親の保育が悪いとは言わない。その効果として、娘の場合、大きくなっても、父親を嫌わない傾向があるという。それは幼児の頃から、父親の臭いを刷り込まれているかららしい。娘にずっと好かれたかったら、保育に積極的に関わるのも悪くない。

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