墓所はどこに~漢詩『壁に題す』
時々、霊園のチラシが入っていることがある。お墓を新規に購入する人に対して、売り込んでいるのだろう。だが、新家を興せば、新たに墓がいるというのも、おかしな慣習である。確かに、昔は、兄弟家族が多く、一族郎党をすべて同じ墓にすると、そのお参りも収拾がつかなくなった可能性もある。
しかしながら、現在は少子化だし、家族も少ないわけだから、同じ墓でもいいはずだ。お墓を新規に作らないといけないというのは、お寺と墓石業者の結託と疑われても仕方ない。もちろん、兄弟家族が全国ばらばらに住んでおれば、遠くにお墓があれば、墓参りも日常的には、いつもいけなくなる可能性もある。しかし、それほど信心深い人も、どれくらいいるだろうか。
やはり先祖の墓は一つでいいと思う。たくさん作っても、何時までも祀られるとは限らない。多くは無縁仏の運命にある。人間は死んで、やがて土に戻る。そういうことが分かっておれば、新規に墓を求めるのも、どうかと思う。
さて、前置きが長くなったが、墓に関して詠んだ詩に『壁に題す』というものがある。作者は村松文三とされるが、別人とも云われる。村松文三は、幕末の勤皇家。詩は、男は学の志を決めて、故郷を出たからには、成就しない限り、帰らなというもの。当時の、学ぶということに対する意気込みと、それが、いかに大変だったかがわかる。
『壁に題す』 村松文三
男児志を立てて 郷関を出ず
学若し成らずんば 死すとも還らず
骨を埋む 豈墳墓の地を期せんや
人間 到る処 青山有り
意味は、前半は、すでに示した通りだが、後半に墓という文字が出てくる。すなわち、墓をうずめるところは、先祖の墓とは限らないと、出郷の決心を述べている。そして、人の墓となるようなところは、どこにもあるものだ、と言っている。なお青山とは、かつてよく言われたが、墓を埋めるに相応しい緑が茂っている山のことだ。
こういう決心があれば、お墓は先祖の墓とは別の処につくってもいいのではないか、と言われるかもしれないが、作者の真意ではないだろう。彼の思いは、志と学びに対する必死な気持ちだけだ。先祖代々の墓に入りたくないとは言っていない。
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