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2009年11月22日 (日)

この不況感は、どこから来るか

政府がデフレ宣言したようだが、日本銀行は否定的だ。流風は、デフレではないと思うが、全般的には、景気は確かに良くないと思う。原因は、いろいろ考えられるが、構造的なものと産業人の意識転換が進まないことが招いていると思う。

一、まず物の充足による需要の低迷

日本は、戦後の崩壊した社会からすれば、急速に物は充足している。住宅のストックは十分にあり、家の中に置く家財道具も、揃っている。欲求の段階法則によると、供給側が、新しい欲求を満たすように動いていないことが、需要低迷に拍車をかけている。

例えば、問題があるとすれば、人口とストックのアンバランスだ。都市への人口の集中が、不況感を促進している。地方には、住宅は余っているし、家賃も安い。だが、人はいない。都市では逆のことが起こっている。この調整がつかない限り、不況感はなくならない。地方に住みたいという欲求を増やすとすれば、何が必要か考える必要がある。

二、流通業者が、売上競争の結果、安い物を提供する結果、デフレ感が増している。

大手スーパー等は、売上のため、安くしないと売れないという幻想に覆われている。そのためプライベートブランドの商品を開発するが、価格を安くするため、量をこなす必要がある。しかし、消費者にすれば、消費の量は変わらないので、追加の消費はしない。そこで、更に売るために、安売りに走り、結局は売上も、利益も落ち込んでいる。

またユニクロや100円ショップにしても、海外の安い労働力のところで作らせた商品を輸入するため、国内企業は売れなくなり、更にデフレ感は増す(彼らは、自分さえ、よければいいという発想だ)。消耗品の場合は、海外で安い物をつくって輸入するのは、ある程度、仕方ないが、その他のものは、国内での付加価値戦略を誤れば、それは国を乱す結果になる。

三、産業の製造志向が強すぎること

サービス化社会と言われて久しいが、産業の方は、製造業中心の発想から抜けきれない。それは戦後の製造業の成功体験が忘れられないからだ。もちろん、国にとって製造業は大切だが、サービス化社会を誤解している人もいる。サービスは、形のないものゆえに、脆いものだと。だが、この考え方は改めなければ、製造業の更なる発展はない。

これからの発想は、製造業にしても、まずサービスありきなのだ。日本のメーカーは、知らず知らず、そのような発想をしてきたが、最近は、柔軟性が欠ける感じだ。仮にテレビを製造販売しているメーカーがあるとして、テレビという物の販売の意識では、物は売れない。消費者は、テレビで放送されるコンテンツを消費するためにテレビを買う。

だから、放送内容が充実されない限り、テレビは価値を落としていく。また、いくらチャンネルが増やされても、コンテンツが無意味なら意味がない。よって、省電力とかで環境に優れているとしても、それはサブの購買要因にすぎない。

確かに、アナログからデジタルへの転換により、テレビ業界はビジネスチャンスは増えたが、これは一時的なものである。メーカーの意識転換が進まない限り、テレビ業界に未来はない。これは他の業界も同じことである。

サービスで始まり、サービスで終わるビジネスシステムを作らない限り、悪魔のサイクルは断ち切ることはできない。物は、サービスのための手段であると認識すべきだ。そうすれば、新しいビジネスモデルを築けるだろう。

四、事務員が不要の電脳社会と旧体制の教育システム

パソコンの普及により、一般事務員の需要は減った。これは相当前から予測できたことだが、教育体制がついていけていない。未だに高校、大学では、事務員を育成する教育が中心だ。これが、産業とのずれを生み、高卒、大卒の内定率が低いことにつながっている。彼らが就職しないことは、社会の停滞を生み、不況感を煽っている。

あきらかに産業側、社会側が求める人材を教育側は提供していない。高校の普通教育は形骸化しているし、受験テクニックによる入試による選別は、社会を停滞させている。これからの高校、大学は専門化する必要がある。少子化の中で、いかに多様な人材を効率的に育成し、社会に配分していくか。

多様な社会に対応しうる教育体制の再編が求められる。まず高校の専門高校の比率を上げる必要がある。多様な社会に対応しうる各種専門高校の設立と、その上級クラスへの大学(あるいは、大学院)の転換が求められる。

五、男女雇用均等法による労働者の増加

男女雇用均等法による労働者の増加に対して、仕事の量が確保されていない。結局、企業の賃金総量は限られていて、使える人員も限られているとなれば、雇用を増やすには、賃金を安くする方法を考えるしかない。追加に人員を雇用すれば、平均賃金を下げるしかない。それは結果的に、安い賃金で共働きを強いることになる。これは国としても、所得税が上がらないことになっている。

学校教育の多様化を進めるとともに、新しいビジネスも増やさなければならない。それはビジネスの細分化というものもあれば、多様化という意味もある。少なくとも、単純化されたビジネス体系とは異なる、多様な独立系のビジネスを多く増やす必要がある。また消費者も、多様な価値を楽しむ文化に誘導することも大切だ。

六、政府の借金の多さが不況感を招いている。

人々は、国の借金に、多かれ少なかれ、知らず知らず怯えている。それは将来、増税になるという予感だ。借金は、インフレによる処理もあるが、それはあまり予測されていない。インフレになると期待すれば、株価は、低迷しない。

逆に、年金に頼らざるを得ない高齢者は、インフレを警戒して消費に慎重になっている。社会保障面での安心感が実態以上に不足している。財政再建は、景気をアップさせ、社会も安定させる。将来への展望と政府の説明責任が十分であれば、そのための、一時的な苦痛は辛抱できるだろう。

七、日本銀行による超低金利の継続が招く不況。

バブル崩壊後、金融機関の救済のために、当局はゼロ金利を実行したが、いつまでも超低金利を継続する理由は見当たらない。大体、政策金利が1%を割っているのは異常だ。これは米国の金融バブルを招いた原因ともされる。

それにいつまでも超低金利では、金融機関は、知恵を出さない。安い金利に依存した経営は、経営の堕落を生む。そのため、国内の資金循環は、よくない。それは国も同様で、安い金利なら、借りておけとばかり、国債を発行する。

これらが不景気感を醸成している。確かに海外との関係で、為替の急激な変動を避けるため、一挙に金利を上げることは無理としても、徐々に上げるべきだろう。その時、株価は一時的に下げるだろうが、慌てることはない(*注)。

八、BIS規制が、余計に経済を悪化させている面もある。

中小企業救済に対する金融法案なんて、大して意味はない。もっと根源的なことにメスを入れるのが金融庁の役割だ。BIS規制は、バブルに対する規制であっても、不景気やデフレには敵である。国際官僚は、自分の領域を守ろうとして、いたずらに規制をかけるが、時代が変われば、その役割も終わる。環境変化に対応できない彼らの罪は大きい。日本の金融庁も、それを認識して、彼らを説得しなければならない。

それにしても、官僚というのは、どこの国、あらゆる世界組織も変わらないということだろう。彼らは時代の変化を読むことができない困った人たちだ。そして、彼らが力を持っていることも。

上記のように見ていくと、為政者はデフレと思いたくなるかもしれない。国民新党は、やれ財政投資が足りないとか騒いでいるが、そんなもので解決できる問題でもない。程度の低さを感じる。

もっと恐れなくてはならないのは、日本銀行による低金利による流動性の過剰供給だ。デフレと見せかけて、いつインフレに転換しかねない状況であることを押さえておかねばならない。デフレというのは、目くらましだと思っていた方がいい。だから、デフレと、大騒ぎするのは止した方がいいというのが結論だ。早く上記の処方箋を考え、実施することが求められる。

*注

基本は、金利を上げるには、インフレ感がないと難しい。すなわち、円安に振れないと金利を上げる状況にはならない。それゆえ米ドルの金利の行方が気になる。ただ、現在は異常金利であり、その原則は必ずしもあてはまらない。

*平成21年12月1日追記

白川日銀総裁が、現状の日本経済を、「緩やかなデフレ」と認識したと発言。デフレの定義は難しいが、この判断でよいかどうか疑う。デフレの要素を抱えているのは事実だが、デフレと言い切れるかどうか。言葉のイメージは先行する。あまり望ましくない発言だ。

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