奨学金のあるべき姿
最近の奨学金は、どうも意味が異なるようだ。昔は、学業の優秀な学生が、家庭の事情で、進学できない場合、奨学金を得て、学べるようにするシステムだった。もちろん、奨学金だけでは、生活が成り立たないので、多くは、篤志家という人たちが、住み込みなどさせて、家の手伝いなどをさせて支援した。
また戦前は、同じく貧しい家庭の子弟で、学業が優秀な人たちは、教育師範学校を選択した。そこでは、国が生活費丸抱えで、支援した。もちろん、その行く道は限られたが、多くの優秀な子弟が埋もれずに活用できるメリットがあった。
ところが、最近の奨学金を受ける人は、必ずしも、そういう人たちばかりではなさそうだ。奨学金によっては、学生ローンの意味合いが強い。果たして、奨学金と呼ぶのが適切かどうか疑問である。そして、多くの学生が社会人なってからも、必死に返済せず、いい加減に踏み倒しているということだ。
これはどうも変だ。本来、学業に励むつもりのない学生が進学すること自体、問題なのだろう。変なことだが、奨学金制度が、それを煽っている。基本的に、本当に優秀な学生でない限り、奨学金が受けられないような仕組みに戻すべきだろう。そして、他者から支援を得る意味を十分わかってから、奨学金を申請してもらいたいものだ。
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