« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月28日 (月)

正月用の酒を買う

お正月が近づいてきたので、お酒を買い求めた。基本的に、酒を嗜まない方なので、料理用のお酒以外は、普段あまり買わないのだが、正月は特別。毎年、720ミリリットル瓶と一升瓶を買う。

720ミリリットルの方は、地酒を数本。以前は、大メーカーのものを買っていたが、最近は、純米酒の地酒をいろいろ買い求める。これが、酒飲みでない流風にも、美味しく感じられる。多分、ワインより美味しいだろう。ワインの味を十分知っているわけではないが。

地酒がこんなに美味しいとは思わなかったので、新しい発見だ。大メーカーは、機械で作っている場合が多いと聞くが、地酒は、手作りなのかもしれない。量は少ないので、そんなにお酒が好きな人は来ないのだが、客が来れば、あっという間になくなる。

もう一つの一升瓶の方は、目出度さを出すため、売られている金粉入りのもので、1本だけ買う。客用としては、720ミリリットルの方がなくなった場合のみ、使う。酒の中身は、安物の酒のことが多いので、本来客にも勧められないのだが、仕方なく使う場合もある。毎年、大抵が多く残り、正月が終わったら、料理酒になってしまう。

さあ、明日から、おせち作りにかかろう。田舎おせちだから、そんなに大層なものにはならないが、お重を引っ張り出してきた。はて、何重のものを作ろうか。

| | コメント (0)

2009年12月27日 (日)

ビジネスを動かすには その五(海外女性市場)

ビジネスを活性化するのは、民間の知恵。決して政府ではない。国や行政への依存体質の高い企業は、早くその意識を脱しよう。どうも元気のない企業は内向き志向だ。そこから脱する意識が大切だ。

さて、現在の日本のように、いろんな物の普及率が高い中、消費するのは女性が中心だ。彼女らは、必ずしも必要ないものでも、バーゲンとか打つと、群がる。とても高いブランド商品や雑貨類が、以前の様にではないとはいえ、ある程度は売れる。日本の消費の主体は、やはり女性だ。

同様に、海外の発展途上国の女性も、いずれ消費の主体となるのだろう。女性の感性は、世界共通。特にアジアの女性は、日本人女性と、肌の質も体型も似ていると考えれば、いろんな分野で、大きな可能性がある。

そして、女性の進化は、まず自分の身体に身につけるものから始まる。例えば、化粧品、ヘアケア商品や下着類のファッション化。そのようなものから始まって、段々身体から離れたものに関心が行く。

どこの国の女性も、まず身体に身につけるものが好きだ。誰よりも自分を愛す。今まで、日本の女性市場を開拓してきたように、それぞれの国の好みを把握しながら、市場を開拓していくことが大切だ。大手の化粧品会社は、すでにそのようにして展開している。

そのためには、ブランド戦略が有効だ。女性は、誰しも、憧れのブランドはある。日本の過去の女性マーケティングを精査して、途上国向けにアレンジするだけでも、それなりに成果をあげられるだろう。

| | コメント (0)

2009年12月26日 (土)

エネルギーを消費しない住宅

住宅エコポイントが政府の新政策としても採用されるようだが、家電エコポイントよりは、ましな政策かもしれない。もちろん、これだって、本来、業界が仕組めばいいことなのだが、残念ながら、業界をまとめることができる人物が不在なのだろう。

住宅エコポイントの政策内容は、密閉度の高い住宅を志向しているようだが、極めて疑問が多い。というのは、そもそも、環境問題で、省エネルギーとか、脱化石燃料とかが話題にされるが、これらはいずれにせよ、エネルギーを生産して、消費している。

省エネルギーは、既存の燃料システムのエネルギー消費を少なくしようとするものだし、太陽光発電も、脱化石燃料は評価できるが、これもエネルギー消費を前提としている。これらのやり方は、やらないよりましだが、根本的な解決につながらない。

となると、地域で、気候条件の違いを考慮しながら、エネルギーを極力消費しない住宅が求められる。基本は、兼好法師じゃないが、夏を基準に家を建てるべきなのだろう。そして、家が呼吸する住宅にする。夏にクーラーなど不要な住宅をまず考え、冬の寒さ対策だけ講じる。

例えば、現在は、都市部では、住宅が建て込んでいる場合が多いが、まず、これを制限すべきだろう。家と家の間に十分、空間を取れば、少なくとも、温暖地では、夏はクーラーの不要な住宅が可能であろう。建築基準法の見直しが必要だ。そうなると、都市部に一戸建ては、難しいかもしれないが。

となれば、省エネルギーを考えなければならないのは、冬場ということになる。脱石油として自然エネルギーを考慮するとしても、エネルギーの消費を最小限にする必要がある。呼吸する住宅では、冬は、隙間を小さく調節できる機能が必要かもしれない。そして、現代的には、これからの住宅には、湿度と温度と風量と酸素濃度の自動管理が求められるかもしれない。

*追記

建築は、伝統工法の再評価が大切だ。家の造りにしても、最近は、密閉型の住宅の普及が著しいが、これは家が呼吸できない。止む無く、空調等の利用が必要になる。そのため、エネルギー消費が増える。これは環境に反するものだ。

昔の家は、部屋の周りに廊下があった。廊下と部屋の間には、障子や襖があった。それらを開閉したりして、温度・湿度調整された。建具も呼吸するから、適度温度・湿度に保たれたものだ。呼吸する住宅というコンセプトは、エコを考えるなら、今後、もっと検討されるべきだろう。

| | コメント (0)

2009年12月25日 (金)

自己表現の巧拙

自己表現の巧拙で、人々はいろんな印象を受ける。だから、自己表現は、上手であるに越したことはない。下手な表現をすると、公人とか有名な人は、マスコミの攻撃の的になる。だから、マスコミの前に出る機会の多い人は、自己表現力を高めなければ、自らを損なうことになる。

例えば、某政党の大物幹事長、ある地方のネット市長。彼らの言おうとしていることはわかるが、モノの言い方が不遜に聞こえるため、どうしても、マスコミの攻撃のターゲットになりがちだ。他の人が言うのと、彼らが言うのとでは、受け手の印象が随分違うからだろう。

自己表現術というものは、それはそれで難しいが、最終的には人間性であろう。何でも、自分が、自分がと言う人は、どうしても、不遜に捉えられる。理由は簡単で、タメが足りないのだ。だから、インタビューなどで突っ込まれると、ついつい自分の予定外の発言になって、火に油を注いでしまう。それで更に誤解の波が広がっていく。

では、どうすればいいのか。基本的に、相手を尊重することだ。それは目下でも同様。若い人たちには、礼儀は求めなければならないが、その他は、一己の人間として認めることが大切だ。こちらが大切に思えば、相手も大切に思う。それが人間だ。彼らのようにそこそこの年齢になれば、最早修正は難しいかもしれないが、考え方を改めてもらいたいものだ。

| | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

税収不足下の過大予算

税収不足下の過大予算は、麻生政権から、ひどくなった。リーマン・ショックを理由としたが、ほとんどは無駄遣い。例の生活給付金は一体何だったのか。そして、鳩山政権でも、来年度予算は92兆円とか。国債発行はセーブして44兆円にしたとはいえ、額の肥大化は否めない。

一般会計の肥大化は、いろんな要因があるのだろうが、国債残高等が900兆円もあるのなら、予算を削減すべきだろう。民主党の政策を推進するなら、優先順序の低い政策の予算を削減してから、取り組むべきだった(予算作成に時間が足りなかったのは、理解できるが)。

そして、一般会計の予算に含まれるものは、国債費を除けば、大半が人件費であろう。それにもっとドラスチックに取り組まない限り、予算の肥大化は止まらない。もちろん、議員のボーナスも、返上されるべきだろう。定数削減も当然だ。

これだけ国や地方に借金があるのなら、国家公務員も、地方公務員も、ボーナスゼロが常識ではないか。流風が現役時代、会社の利益が計上されないため、幾度も、実質ボーナスゼロが実行された。それが国や地方でなされないのは、労働組合が強すぎるからではないか。

もちろん、公務員も、ボーナスをゼロ支給にされたら、辞める人も出てくるかもしれない。残された人間には、余計な負荷がかかるから、大変だろうが、考え方によっては、いろんな仕事を経験できる可能性がある。現在は、無駄な仕組みが多いのだから、少なくなった人員で処理できるはずだ。

彼らのために、将来世代が犠牲になるのは、許せない。22年度一般会計の予算は、とりあえず、75兆円程度に削減すべきだろう(実際は、もう間に合わないので、23年度予算から。補正予算も緊急性のあるものを除いては、計上すべきでない)。

*追記

特別会計の一般化は必要かもしれないが、無駄遣いは止めてほしい。それは国債償却基金として、積み上げてもらいたい。それらの基金が、国債等残高と同等程度、貯まった段階で、公務員へのボーナスを再開すればいい。それで、どうしても、基金が積み上がらないのであれば、その段階で、国民と相談して、消費税を上げればいい。

*追記

国民新党が要求する過大な予算計上は、自民党時代の古いやり方。この政党は、時代錯誤も甚だしい。国を誤らせる発言は止めるべきだ。民主党は、一体、いつまで、この政党と組むのか。

| | コメント (0)

2009年12月23日 (水)

憧れというものの落差~落語『鏡代』

子どもの頃は、スポーツが出来たり、勉強のよくできる異性に憧れたりする。ということは、憧れる側は、その能力に於いて劣ることが大半だ。そして、憧れられた側は、更に高い能力の持ち主に畏敬の念を持つ。結局、憧れる側と憧れられた側では、大きな意識の差がある。

男女関係でも、自分が見下している異性から、付き合いを求められると、一般には断るかもしれない。それは自分には、もっと優れた相応しい異性がいるはずだと思うからだ。

落語『鏡代』は、そのような内容のものだ。あらすじは、ある男が、呉服屋の娘に一目惚れする。そして、恋病に陥る。友達は見かねて、知恵を授ける。まず、その娘が裁縫の稽古に通っていることを情報入手する。

そこで、その店の女中を手なずけて、女中を通じて、仕立物を、その娘に頼む段取りをつける。そして、反物の中にラブレターを入れて女中に渡した。

しばらくして、仕立物が仕上がり、風呂敷に包まれて届いた。待ちわびていたので、小躍りする。その風呂敷を開けると、中から一通の手紙。もしかしてと、喜び勇んで開けてみると、中には、一円紙幣が入っており、よく見ると、表書きには、「御鏡代」と記してあった。

これはいろんな意味に受け取れる。まず、「私に申し込むなら、まず、ご自身のお顔を鏡で確認して」という皮肉。次に、請求書はなく、一円紙幣が表書き付きで入っていたわけだから、「手間賃はいいですから、もう、あれこれ、つきまとわないで」という意。

現在では、一円紙幣は、5000円程度の価値か。手鏡を買うのなら十分だろう。熨斗を付けて返すという、かなり強烈な肘鉄だが、ユーモアがある。皮肉と取るか、ユーモアと取るかは、受け手の人間性による。相手により断る術(すべ)を心得ている人は意外と少ない。彼女のやり方は誰にでも通用するやり方ではないだろうが、この男には有効だったかもしれない。

ところで、人に憧れたり、好きになる理由はいろいろあるが、概して思い込みのことが多い。思い込みと実態が一致することは少ない(笑)。でも、歴史的に多くの男女は、そういう過ちを続けてきた。それでも、憧れで、泣き笑いするのも、人生の味付けとしてはいいのかもしれない。

| | コメント (0)

2009年12月22日 (火)

漢詩『山中即事』

人の本質は、変わらないのに、それを飾っているものに惑わされて、他者から見えないことがある。たびたび人は、外見で判断して、本当の人物像を把握し損ねる。

それを防ぐためにはどうすればいいか。市村瓚(さん)次郎という人が漢詩にしている。市村瓚次郎は、戦前の東洋史学者。維新後、日本が西洋の学問にさらされるのを見かねて、東洋史学の重要性を説いた。

彼のその詩の題名が『山中即事』だ。詩の内容は次のようになっている。

  雲来って 千嶂合し

  雲去って 万峰分る

  青山元より動かず

  一に任す 去来の雲

特に解釈の必要はないと思うが、一応蛇足的に記しておこう。

「白い大きな雲が現れて、多くの峰を覆っている。そして、雲が去ってしまうと、やっと峰々がはっきり見える。山自体は何も変わっていない。だが、雲の去来により、山は様々な様相を見せる」というような解釈でいいだろうか。

もちろん、これは譬えであり、人間について考察していると思われる。多くの衣服を身につけ、あるいは教養を身につけ、学問を学び、地位を得る。だが、人間は、それらを剥ぎ取ってしまえば誰も変わらない。ただ、あるのは人間の本質だけである。それはすべて心がけ次第なのだ。

人は外見で判断してはならない。外見で誤魔化されてもいけない。その人の本質を見極めるよう努力しなければならない。そして、自分も中身の磨きも当然し続けなければならない。そのためには、深く考察する習慣を身につける必要がある。この詩は、普段何気なく見ている自然現象から、多くのことを学べることを示している。

| | コメント (0)

2009年12月19日 (土)

女性のオス化現象

仕事のできる女性は、どうしても男性化する。これは今に始まったことではなかろう。仕事ができたかどうかは不明だが、戦前の歌にも、“うちの女房にゃ、髭がある”というのがある。歌詞はネットで確認してほしい。

強くなって男性化した嫁さんのことを自嘲気味に歌ったものだ。杉狂児と美ち奴という人が掛け合いで歌っているコミカルな歌だ。戦後生まれの流風も、子供の頃、歌の調子がいいので、ラジオから流れるのを聞いて、よく歌った。母は嫌な顔をしていたが(笑)。

ところで、最近、某電機メーカーが、独身女性500人に対して、自分が男性化しているか調査したらしい。面白い企画を考えたものだ。企画したのが、女性かな。自分のオス化と同じ程度の人が、どれくらいいるか知りたかったのかもしれない(笑)。

確かに、最近は、女性の社会進出に伴い、周辺の女性は男性化した女性ばかり。皆、しっかりしている。そして、男は、逆に流風も含めて頼りない(苦笑)。でも、これは平和のなせる業か。男というのは戦争の時にしか、男を発揮できないのだろう。

いいのか、悪いのか。それでも、平和の方がいいだろう。でもなあ、付き合う前もオス化した女性で、結婚後もオスとなれば、変な感覚(笑)。それに付き合う前は女性でも、いつかオス化する女性。いずれにせよ、男は、あまり女性に対してロマンチックな夢を見てはいけないということだ、若い男性諸君。男はロマンチックだからねえ。

それでも、男としては、女性のオス化を当面容認しますかな。ところが、彼女らのオス化は、本質的なものではない。あくまでも、「男化」だ。男だと思って、話していたら、女性の顔が、臨機応変に出てくる。上手に男と女を使い分けるから、厄介だ。

ここら辺が、男を悩ませる。こうなると、帰国子女と付き合う感覚でいないと、いけないのだろう。やまとなでしこは、もう遠い夢物語というか、幻想なのだろう。まあ、過去に、やまとなでしこが、いたかどうかもわからないけれど。

| | コメント (0)

2009年12月18日 (金)

ビジネスを動かすには その四(部品産業化)

ビジネスを活性化するのは、民間の知恵。決して国や政府ではない。国や政府への依存体質の高い企業は、早くその意識を脱しよう。

今回は、製造業のあり方。発展途上国が、完成品の生産基地となっている現在、日本が完成品で、競争しようとしても、人件費差で、到底勝ち目はない。従来の商品はもちろん、付加価値の高いと思われる新製品でも、翌日には、価格の安い類似品が世界に出回る現在、日本の立ち位置は、どうあるべきなのか。

人件費は、発展途上国でも、成長につれ人件費は上がっていくが、それは、また別の人件費の安い発展途上国が、次に仕事を引き受ける。こういう連鎖が続く限り、日本は組み立て完成品では、成長の可能性は薄い。

また国内用に付加価値の高い商品を作っても、購買力あるいは購買意識が低下しつつある現在、あまり期待できない。需要の多様化により、あまり大きいロットの商品は、価格競争になり、利益率は低下するし、小ロットの多様な商品は手間がかかるので、利益の確保が難しい。

となると、やはり日本は、海外に市場を求めるしかないが、為替の状況は、輸出環境を厳しくするように動いていく。為替に対する対策をした上で、日本の価値を高めるには、部品産業の振興しか残されていない。

もちろん、発展途上国で簡単にできる部品産業を意味しない。日本しかできない部品を目指すべきだろう。もちろん、それは一部の部品産業で実行されている。中小企業も、日本の大企業の下請け感覚ではなくて、世界の部品メーカーである意識で、取り組んで欲しいものだ。

一応、下記に一例を示す。

 一、商品の心臓部となる部品。

 二、マイクロ部品

 三、システム部品

 四、ブラックボックス的部品

 五、ロボットでも作れない職人的部品等

*追記

仮に自社の製品が完成品であっても、それを部品として見る“部品化”思考が求められる。そこから、また違う使い方を発想してほしい。

| | コメント (0)

2009年12月17日 (木)

文化・芸術のパトロンの変遷

ある古典芸能関係者が、事業仕分けで、関係予算が削減されると聞いて、陳情に行ったようだ。気持ちは、わかるが、文化・芸術のパトロンは時代の変化により変わることを頭に入れておく必要があるだろう。

文化・芸術のパトロンは、歴史的には、王様、貴族から始まって、豪商へと変化し、現代では国家もパトロンになっている。それは余裕のある人々が、道楽をしてきた結果だ。そのような人々が、文化・芸術を支えていきた。

もちろん、庶民にも、それなりに文化・芸術の分野はあるが、それはお金持ちが始めたものが普及した例が多い。貧乏人が、文化や芸術で道楽する余裕はない。

ところが、現在の日本国には、借金がいっぱいで金がない。かつて金持ちだった意識が抜けないから、未だに歳出を拡大しているが、危険な状態であることは間違いない。そのような状況下、国が、文化・芸術のパトロンにはなりえない。

芸能関係に限らず、芸術、音楽、学芸の分野の方々は、新しいパトロン探しをすることが大切であろう。それは国内にいるのか、あるいは海外に求めなければならないのか、わからないが、意識転換が必要だ。

| | コメント (0)

2009年12月16日 (水)

マスコミに政治評論家はいらない

沖縄普天間基地の問題で、日米政府の意見の違いが報道されるが、的確に報道しているところは少ないように感じる。局によって、そのニュアンスは異なるが、概してマスコミ報道は極めて一面的で、独りよがりの報道になっている。そのように感じるのは、彼らが頼る政治評論家の不見識にもよるが、局としての見識のなさもうかがえる。

凡そ、政治評論家ほど、いい加減なものはない。情報をたくさん持っていると思わせているが、実質、真の情報は何も掴んでいないのではないか。むしろ、掴んでいるふりをして、個人の考え・願望を述べている場合がほとんどだろう。

彼らは、かつて自民党政権の場合、提灯記事を書いたり、ゴマすりコメントをしておけば、それで、それなりにすんだ。それは政府が、外国に対して、政治意思が弱かったからだ。つまり米国の言いなりにしておけば、それでいいという感覚だったのだろう。

その結果、政府や外務省は、世界情勢の把握には努めず、米国の政策の言いなりで、外交を放棄してきたと断言できる。そういうところに、密着していた政治評論家が、正しい見識を述べられるはずがない。せいぜい権力闘争の裏側を、知ったかぶりで述べるにとどまった。彼らは権力闘争に利用されていただけだ。

ところが、政権が代わり、外交指針が変わったとたん、そのやり方を無定見に批判している。「そのやり方は、米国を裏切る」ものとか、米国に何でも追従することをよしとする意見ばかりだ。そんなレベルの低い彼らを一体いつまでマスコミは登場させるのだろうか。

*追記

ちなみに民主党の外交がいいとは言えないことも確かだ。鳩山前政権では、外交の継続性を無視して失敗した。しかしながら、自民党のような何でも米国追従のやり方がいいわけでもない。批判するなら、もっと論理的にバランスを取って意見を言う必要がある。すなわち、政治学者は必要だけれど、政治評論家は不要なのだ。

*追記

ついでに記すと、政治評論を仕事とする輩がマスコミで、世論を無視した意見で間違った誘導ししていることに問題が多い。ブログ等で個人の意見で何を言ってもいいが、職業としては問題が多い。彼らは、総じて偏向だから。

| | コメント (0)

2009年12月15日 (火)

ビジネスを動かすには その三(円高で儲ける)

ビジネスを活性化するのは、民間の知恵。決して政府ではない。国や行政への依存体質の高い企業は、早くその意識を脱しよう。

ドル安の流れを止められないのは明らかだ。このことは、ずっと前から記してきた。円高になって困っている一部の業者を取材して、マスコミは、不況・デフレになったと騒いでいたが、本当に困った報道。基本的に、何をしようと、ドル安・円高の流れは変わらない。国の財政支出は焼け石に水だ。

ところが、日本の経済は、輸出だけで成り立っているわけでもない。大体、輸出は日本のGDPの15%程度だったと思う。それを過大に騒いでも仕方ない。

実際は、逆に円高で、ほくそ笑む人々もいる。その人たちは、黙っている。彼らは、儲かっているけれど、口にチャック。輸入で儲けているところは、単に、海外品を円高で安く仕入れているだけではない。次のようにしている。

①日本でデザインし、海外で製造・品質管理し、完成品として輸入する例。

更に進んで、ユニクロのように国内素材メーカーと提携して、新しい素材を開発して、縫製等製造のみ海外に出す例もある。発展途上国からの輸入品より品質が良く、価格も安い。

②海外から、素材を輸入し、日本で加工する。

輸入品より品質を良くし、国内品より安くしている例。例えば、穴子は韓国から輸入し、加工は国内でしているものや、南京豆は中国から輸入し、加工は日本でしている例。両者ともに輸入加工品より美味しく、素材共に日本製のものより安いが、輸入品より高い。こうすれば、日本の労働力も活用でき、一石二鳥。

これらは、単に海外品を輸入して売るより、付加価値がついて、価格が通って儲かるのだ。

しかしながら、円高で儲けているのは、輸入企業だけではない。輸出比率が高いのにも、かかわらず、利益を上げ続けている企業がある。それは大企業にもあるし、中小企業にもある。彼らは、円高環境の輸出で利益を上げられないのは、経営者の怠慢と指摘する。

一般的な円高対策として、二つある。まず円建て輸出を高めることだ。そうするには、日本の商品力が問われる。円高になっても、相手国が欲しければ、円建てでいいとなる。そう言われるような輸出環境にしなければならない。

次に、海外調達比率を高めることだ。商品設計時に、そのことを織り込んだ設計をすることが求められる。そして、付加価値をつけて再輸出する。単に価格だけで海外調達するのではなくて、日本の技術と海外調達部品とを融合させる経営者の意識が求められる。

*追記

上記には記していないが、もちろん海外工場の設立も一つの手段ではある。ただ国内の空洞化を促進する。国内とのバランスが大切で、海外への依存度を急速に高めることは、また別のいろんな困難が待ち受ける。

| | コメント (0)

2009年12月14日 (月)

イカを捌く

何事も初体験というものは、それなりに戸惑うものだ(笑)。最近、スーパー等で、魚売り場でイカが売られていたので、なぜか興味をひいた。でも調理したことがないので、いつも買うのはパスしていた。しかし、どうしても気になるので、人生初めて、思いきって生イカ購入。今回はスルメイカだ。

捌き方がわからないので、料理本や、父の遺した魚本で研究。ふむふむ、意外と簡単そう。でも、こわごわ調理してみた。まずは、胴とはらわた・足の分離。墨袋を潰さないようにと注意書きしてあったが、潰してしまい、少し大変なことに。まあ、水で洗い流して、後処理。

後は、胴の方は、ひれを取り外すと、胴の裂け目ができるというのだが、それが見つからない。適当なところから、皮を少し力入れても、スムーズに剥けない。う~ん、少し手間取る。料理本のように、するっと行かないなあ。それでも何とかして、一応剥き終わる。

そして、はらわた・足は、破れてしまった墨袋を取り除き、目と口を取り除き、くちばし除去。足の吸盤がなかなか取れない。包丁を研ぎなおさねば。悪戦苦闘して、やっと調理し終わる。

料理は、家庭菜園で作って、まだ残っている里芋と煮物にした。この里芋も、毎日のように食べて、やっと残り少なくなってきた。サツマイモの方はなかなかなくならないけれど。やはり、好きなのものの方が早く無くなるのだ。

料理の手順は、生姜、酒、みりん、砂糖、醤油、水で作った煮汁で、数分、イカを数分煮て、引き上げ、残りの煮汁に、だし汁を加え、里芋を入れて煮て、柔らかくなったら、再度、仕上げにイカを戻しいれるだけ。

これはなかなか美味しかった。またレパートリーが一つ加わった。次に、イカを捌くときには、もう少し、要領よくできるだろう。この歳になって、イカ料理をするとは思わなかった。でも、何事も経験だ。

| | コメント (0)

2009年12月13日 (日)

昔の冬の暖房設備の思い出

暖冬と思っていたら、今週からは本格的に寒くなるようだ。暖房設備の点検をもう一度しよう。寒がりの流風は、すでに暖房器具全開だけれど。問題は光熱費を上げないようにどう組み合わせるかだ。そんなことを考えながら、昔の冬を思い出した。

電気炬燵(こたつ)はすでに使っているが、昔は、そんなものはなかった。掘り炬燵のある家では、足元に炭団を入れた火鉢を置いて、温まった。だが、掘り炬燵のある家は少なかった。あれは足を思い切り伸ばせていいのだが。

流風の家は、掘りごたつはなかったから、丸火鉢に練炭を入れたもので、暖を取るしかなかった。寒い時は、よく火鉢を足で挟んでいたものだ。その上には、いつもお茶瓶があり、いつも湯を沸かしていた。そこで、お茶を飲んだり、みかんを食べたりしたものだ。

その他に屋内で暖を取る方法としては、母が調理している台所に行って、おくどさんの火にあたるとか、七輪に手をかざすとか、夕方、五右衛門部風呂を沸かしながら火にあたって暖まるというものだった。

屋外では、焚火をして暖まることが多かった。薪を少し掘り下げて石で囲んだ中に、薪をくべていた。時には、さつまいもを入れて焼き芋を作っていた。またドラム缶等に穴をあけて、あちこちで、皆が暖を取るところもあった。いくら子供は風の子であっても、寒くなったら、あちこちの焚火にあたりに行ったものだ。

寝る時は、足元が冷たいので、湯たんぽを使った。最近また流行っているようで、プラスチック製が多いようだが、当時の湯たんぽは、金属製が多かった。また行火(あんか)を使ったりした。行火には、豆炭が使われていた。おき火した豆炭を入れるものだった。

さて、炬燵を題材にした落語に、『炬燵の按摩』がある。ある商家では、いくら寒くても、主人が火の用心に厳しいので、行火を使うことが許されない。そこで、番頭は、たまたま来た按摩に、酒を飲ませてやるから、行火代わりになれというものだ。

現代では、いじめや人権問題の領域に入るだろうが、話としては面白い。お酒を飲むと、身体はぽかぽかするから、それを炬燵代わりにするという発想。でも、番頭だけでなく、手代も小僧も集まって、按摩炬燵に足をあてるから、按摩はかなわない。お酒を飲ましてもらったことを後悔。ついには、小僧の寝小便にやられて、“火”は消されたとして、ほうほうの体で逃げていくオチだ。

そういうと、子供時代、似たような遊びをしていた。じゃんけんで負けたら、身体を伏せて炬燵になり、皆が足を乗せて、その上に座布団を乗せる。それで炬燵の雰囲気。わいわい言いながら騒いで、結構楽しかったものだ。屋外での、押しくら饅頭のような感じ。子供の熱が集まると、結構暖かくなるのだ。

そう考えると、昔は、結構寒い環境で、人々は冬を過ごしていたということになる。最近の至れり尽くせりの暖房環境は、多くのエネルギーを消費している。果たして、人間には、どちらがよいのだろう。環境には、どちらがよいのだろう。

| | コメント (0)

2009年12月12日 (土)

関西の空港問題の行方

日本は、政権が代わって、いろんな問題が噴出している。いかに自民党政権時代、諸問題に蓋がされていたかが、国民にはよくわかる。民主党政権には、辛い役回りだが、きちんと処理してほしい。

まず、日本航空は、以前にも記したように、法的整理が一番いいだろう。中途半端に救済しても、経営の根本が腐っており、救済すれば、国民の負担が大きくなる。救済の意味は薄い。法的整理して、いくつかの新会社設立を望みたい。

また地方空港の整理も望まれるが、それは地方の知恵次第だろう。但し、各地の地方空港は、その運用活用度を年限を切って、改廃を検討すべきだろう。関西三空港問題も、複雑だが、運営を整理する必要がある。

大阪府知事は、例によって、わいわい騒いでいるが、まず関空は、関西三空港で役割分担を考えるのではなく、成田と役割分担を考えるべきだ(羽田は、成田とどう分担すべきか考えればいい。羽田のハブ化は、少し難しいような気がする)。国内空港の分野は、他の空港に役割を譲ればいい。

すなわち、関空は、アジアの窓口としての国際空港として集約すべきだ。よって西欧諸国への運航は成田に任せるべきだ。そして成田は、西欧諸国やその他の地域の窓口だけにすればいい。大阪は伝統的に、アジアとのつながりが深く、文化も似ている。確かに関空は、大阪中心部へのアクセスの不便さがあるが、今更、アクセスの悪さは、どうしようもない。

それを解消するため、大阪府知事は、リニアモーターカーの敷設を主張するが、コストの問題もあるし、運賃の問題もある。高い運賃がかかるのではあれば、お金に細かい関西人は、関空を使わないだろう。そうなれば、負債の上乗せになりかねない。かえって、成果が上がらず、関空の役割縮小もありうる。

しかし、アジアへの窓口空港を徹底すれば、それなりの役割を増し便が増えれば、それなりの価値を増す。そうなれば、アクセス問題は自然と解決するだろう。それにしても、関西財界は、関空建設の際は、空港の仕事が欲しいゆえに、お祭り騒ぎだったが、その後は、不便さを認識して、現在は、活用に積極的ではない。目先だけの計算高い関西経済界には困ったものだ。

伊丹空港は、今まで通り、国内空港に徹して、残すべきだろう。流風も、以前は、廃港を主張したが、関空の運営のダメぶりを見ると、国内便のみとして、伊丹は残すことが望ましい。利便性の上でも、支持者は多い。運営のキャパシティの問題はあるが、そんなに問題にならないだろう。

神戸空港は、震災対策で作られた空港で、防災空港の意味も持つ。規模は小さいが、伊丹より、観光地に近く、便利だ。アクセスもいいので、ビジネスにも観光にもいい。役割としては、伊丹の二次空港的な役割も持つ。ただ、海外との路線開発は止めた方がいい。それは他の空港に任せるべきだろう。

*追記

ここでは記さなかったが、最悪、成田との調整がつかない場合は、関空を廃港にするのも致し方ない。跡地は、滑走路があるわけだから、自衛隊の基地でもいいだろう。米軍の基地としては決して認められないが、自衛隊の関西方面の基地としては、一つの考え方だろう。

| | コメント (0)

2009年12月11日 (金)

ビジネスを動かすには その二(ずぼらの進化)

ビジネスを活性化するのは、民間の知恵。決して政府ではない。国や行政への依存体質の高い企業は、早くその意識を脱しよう。

今回のテーマは「ずぼら」。かつて「ずぼら・マーケティング」と言われたことを地道に実践しているところは、現在も繁盛している。人間、誰しも、楽して、結果を得たい。真面目もいいけれど、ずるしたい。

例えば、保育園需要も、その典型。母親たちは、いろいろいい訳を見つけて否定するだろうが、楽したいための育児放棄の一種。育児は、育児を、それなりに楽しめばいいが、それが出来ない人には苦痛。彼女らは、「母親になる教育」を受けていないからね。

ただ、人間、楽な方向に流れるのは自然の流れ。保育も、かつては大家族制度で、誰かが面倒見てくれたし、近所の人も気軽に預かってくれた。今は、地域社会で孤立する核家族の弊害が出ている。そういうことを見越して、保育園ビジネスをやったところは成功しているし、ずぼら・マーケティングはここでも生きている。

また食品業界の中食も、昔からある、ずぼら・マーケティングの結果だ。料理の手抜きは、女性の特権。いかに楽して、料理を提供するか。毎日料理を作る主婦は、料理好きな人を除いては、いかに楽するかという志向。

弁当にしたって、最近出ている安いものを見れば、料理はストレス発散で楽しいが、時々自分で作るのが空しくなることもある。毎日、弁当を買わなくても、たまには買いたくなる中身だ。安心なものかは疑問が残るが、ずぼらしたい気持ちはどこかに潜んでいる。

買い物はネットで、という方も多いだろう。買い物に行けば、交通費がかかる。配達料を負担しても、ペイするという考えだろう。それに時間も節約できる。手が離せない小さい子供を持つ家や、高齢で買い物に行くのが辛くなった人々には、特にいい。それに天候も関係なしだ。

但し、今は、配達は、食料品を除けば、何日かしてからだ。配達日を連絡してくるものもあれば、そうでないものもある。やはり配達日は事前にはっきりしておいた方がいい。きめ細かさは大切だ。

また最近は、テレビから離れると自動的に画面が休止し、再度近付くと画面が現れるものもあるらしい。これなどは節電を意識したものだろう。いちいち、テレビを切るのを自動でやってくれる。トイレも、自動で水を流してくれるものもある。これらは、人間を馬鹿にする道具と言えないこともないが。

さあ、今後は何が流行るか。自分の周囲にある「ずぼらしたい」要素を、「見える化」すれば、ビジネスのネタは、転んでいる。かつて、先人は、商売のネタは、道に落ちていると言ったが、案外、身の回りに落ちているのかも。

| | コメント (0)

2009年12月10日 (木)

文系大学のリストラと、高校無償化は職業高校のみに

少子化の現在、限られた予算の枠内で、人材を効率的に育成する必要があり、国家として、本当に必要な人材を生み出すシステムが求められる。最早、事務員教育は縮小すべきだ。大学でも、大阪府立大学のように、改革として、文系学部を廃し、理系大学への転換を考えているところもある。この志向は正しいと思う。

文系大学のリストラは避けられない。凡そ、文系大学で、本来、必要な学部と言えば、本来、法学部だけである。その他は、民間の研究組織で十分で、そこで研究に従事すればいい。学びたければ、そういう研究機関で学べばいい。

文系の学部は、社会が必ずしも、それほど必要としていない。大学の現体制は、大した実績もない学者を養うために無理やり作られている感がある。その学者の研究も、どうでもいい内容のものも多い。どちらかといえば、道楽に近い。

そういった環境下、限られた国の予算の中で人材を効率的に育成するには、その配分に十分配慮しなければならない。文系大学は、最早、それほど重要性はない。そういう大学は、全国で、10大学ぐらいもあれば、十分だ。早急にリストラが求められる。学者・研究者の失業が出るかもしれないが、従来、甘やかされてきたのだから仕方ない。

そう考えると、総合大学から専門職業単科大学への転換は、高校にも、それが求められるということだ。高校も、普通高校から、より職業専門化した教育体制に転換する必要がある。それを促すためには、職業高校の無償化が望まれる。

よって政策誘導するためには、普通高校の無償化は必要ない。高校の無償化は、政策目的と連動させる必要がある。まず普通高校の教育が形骸化している現在、教育システムを見直さないままの、高校の無償化は意味がない。

高校無償化は、政策的に、職業高校への転換を誘導しするべきだろう。そういう学校に進学する子弟には、無償にすればいい。また、今の学生は、そのような職業教育を望んでいる学生たちも少なくないことも認識しておく必要がある。昔言われたように、手に職があれば、一生、食いはぐれることはないのだから。

*追記

現在の職業高校系としては、工業高校、商業高校、農業高校、工芸学校、演劇高校、看護学校等があるが、いろんな考えがあるだろうが、くくりが大きすぎる感がある。もう少し、細分化して専門化してもいいと思う。また現在ある専門学校の専門高校への転換も求められる。

そして、地域と密着した現場実習を増やし、企業の教育指導も求められる。企業が求める人材と合致するためのすり合わせにつながる。そうすれば、学生は就職に困らないし、企業側も、即戦力として期待できる。

*2015年10月2日追記

文科省が、国立大学の人文社会科学系学部の改組や廃止を求めた通知で、学術界やマスコミから批判が上がっているという。ただ、何かと文科省に批判的な流風も、この問題については、文科省の方針は正しいと思う。

もちろん、人文社会科学系の学問は否定しない。ただ、大学でやるべきかどうかは疑問が多い。民間の私的研究で十分だと思う。大学で学者や研究者を抱える必要はない。人文社会科学系の学問は、ある意味、道楽に近い。すべてが無駄とは言わないが、実践的であるとは言い難い。

まずは、私学の人文社会科学系学部の改組や廃止が求められる。その上で、どうしても大学で研究が必要な分野は国立の大学で引き取ればいい。

| | コメント (0)

2009年12月 8日 (火)

年後半の針供養とベレー帽

12月8日は、ジョン・レノンの命日だそうだが、それは取り上げない。彼の音楽は好きだが、マスコミ等で取り上げるだろうし。実は、12月8日は針供養だ。針供養は2月8日も、そのようで、以前ブログに記した。裁縫好きだった母が、子供時代、すべて服を作ってくれた。当時は現在のように、子供用の既製服が販売されていなかったこともある。

子供の頃、母は、いつ寝て、いつ起きているのだろうと、よく思ったほど家事に忙しかった。よく昼間、作業をしながら転寝はしていたけれど。それでも、いつ作っているのか不思議なくらいだった。後から聞くと、夜の1時頃寝て、朝4時に起きていたとのこと。決して、体の強くない母にしては、よくやったものだと思う。昔の人は、皆、そうだったのかもしれない。

端切れを上手に組み合わせて、割といい雰囲気の洋服を縫ってくれた。子供心に嬉しかった。そして、時々、帽子も作ってくれた。その中にはベレー帽があった。それを被ると、「ハイカラ坊や」とか、よく通りがかりの人から褒められた。近所の人にも言われたし、新聞等を回収しているバタ屋のおじさんにも、言われた記憶がある。

その褒められたことを伝えると、母は嬉しそうに、私を見ていた。そして、次の洋裁に取りかかるべく、洋裁の本とにらめっこしていたものだ。あれだけ縫製をすれば、針も傷む。針供養は毎年、やっていたように思うが、時期は覚えていない。ただベレー帽の写真は、どこかにあるかもしれない。

*追記

お陰さまで、やっと風邪は抜けたようだ。お見舞い有難うございました。皆さまも、ますます寒くなりますので、風邪には、ご注意を。

| | コメント (0)

2009年12月 7日 (月)

対月感有り

先日、秋空にきれいな満月が出ていた。三日月もいいが、満月は美しい。どちらかというと流風は、満月の丸いのが好きだ。女性の顔もね(笑)。

話は、ころっと変わって、明治維新の元勲に、三條実美がいる。だが、一般には、有能で行動力があり、目だった活躍をした岩倉具視と比して、その影は薄い。岩倉具視は、公家の中でも、変わり者であったことは事実だが、元公家でも、大きな違いがある。

だが、彼の父、実萬は、安政の大獄に連座して、不遇の死を遂げている。彼は、父親の尊王攘夷の遺志を継いだと云われる。親の影響とはいえ、尊王攘夷については、それなりの強い意思があったと思われる。その彼が、漢詩を残している。それが「対月感有り」というものだ。

  山近く 月は遠し

  月の小なることを覚ゆ

  便(すなわ)ち、道(い)う此の山

  月よりも大なりと

  若し人眼(まなこ)の大なること

  天の如く あるならば

  還(また)見る山は小にして

  月更に濶(ひろ)きを

この詩は、随分、意味意味深である。山と月とを比べて、どちらが大きいというような、小学生への問いのように表現しながら、自らの苦悩を表現しているようだ。

確かに、遠くにある月と、近くにある山とを比べれば、人間の目は、山を大きく感じる。そのように、人間の目は、現象に妨げられ、真実がなかなか分かってもらえない。

だが、心の目をしっかりと見据えれば、山は小さく、月は大きいことが分かる。そうして、初めて真実がわかる。

このように世間の評価は、見えるものには、高く、見えないものに対して低い。果たして、それでいいのだろうか。いいわけがない。現象に惑わされずに、しっかりと観て、人は評価したいものだ。あまり簡単に、人を評価してはならないというような意味であろうか。

これは一体、何を意味するものなのか。明治政権後、ほとんどの公家が没落したが、彼は、それまでの薩長との関わりの関係上、新政府で、それなりの役割を与えられた。だが、それはお飾りの役割だった。江戸幕府の後処理と、明治天皇とつなぐため、薩長に利用されただけと、巷間、云われた。

だが、彼にすれば、彼らに利用されながらも、本来の目的である尊王攘夷の目的は果たしたという思いはあったかもしれない。つまり、利用されたと思われながら、薩長を利用したと、思ったと考えられる。だが、自分を、もっと、きちんと評価してくれという叫びのようにも聞こえる。

 

| | コメント (0)

2009年12月 6日 (日)

今年の風邪

いつもは、この時期に風邪はひかないのだが、不覚にも風邪をひいてしまって、少し疲れ気味。熱こそないが、喉の痛み、咳、鼻水のパターンで、止む無く休息している。ブログは何とか続けたが、ついでにパソコンの調子も悪くなった。修復したが、この時期に、悪いことが重なると、少し落ち込む。

歳のせいか、なかなか風邪が完治しない。それでも、あまりじっとしていると、余計に疲れるので、今日から動き始めた。掃除も、残っている。近所の人たちも、あちらこちらと忙しく掃除をしている。何かと気ぜわしい感じだ。

そうしていると、いろんなカレンダーが、届いた。今年は来るのが遅かったが、今度は、一度にどっと来た。来年のカレンダーは、洋画が多い感じだ。いずれにせよ、すべての部屋には飾れない。毎年のことだが、余ったものはどうしようか。

ある人によると、絵の部分を切り取って、額縁に入れるそうだ。流風も、若い頃はよくやった。本物の絵画なんてものはとても手に入らないが、それでも雰囲気は味わえる。がらんとした部屋に、掛けて見ようか。少しは、風邪の嫌な気分も晴れるかもしれない。

| | コメント (0)

安保利権ということ

米軍の沖縄駐留問題は、こじれているようだが、本来、米軍が日本に駐留していることが問題だ。戦後の一時期は、日本は自衛力もなく、経済立て直しのため、米国のアジアに対する野望を見越して、安保条約を結んだが、今は時代も違うし、世界の状況、アジアの状況も大きく変化している。

それをいつまでも旧態依然たる安保体制にしがみつく必要はない。安保体制の見直しは必要だ。それに、長い間に、日米双方に安保利権も発生している。日本は、買わなくてもいい戦闘機等を大変高い価格で買わされ、その中抜き利益が、両国の関係者に配分されている。

それは巨額な資金で、両国の政界を潤してきたのだろう。そういった闇の利益を得るには、日本にどうしても駐留する必要があるというのが、米国関係者の言い分だろう。もちろん、それなりの理屈をつけるが、大した意味はない。

そういうことは、自民党とは、なあなあでやってきたが、日本が民主党政権が変わったことにより、それが出来なくなることに、利権を得てきた米国側が、苛立っているのが実際だろう。安保というのは、いい訳に聞こえてくる。

*平成24年7月24日追記

オスプレイの配置の問題は、安保利権とは、やや趣は異なるが、米国の防衛官僚の予算取りの感が強い。開発に多額の投資をしてきたので、もう引き返せないのだろう。日本に、送らなければ、予算が縮小される。それを避けるためには、何が何でも、日本に送付せねばならない。どこの官僚も似たような発想をする。

ただ、最悪なのは、オスプレイの事故の多さだ。多分、設計思想で失敗している。つまり、多機能かつ一点豪華主義なのだ。これは日本が、戦前、一艦豪華主義の、戦艦大和を作った発想に似ている。こういう複雑化・大型化は大変脆い。そういう発想を許した米国防衛官僚の危うさを感じる。最早、日本は、日米安保に対して、過剰に、期待してはならないのかもしれない。

| | コメント (0)

2009年12月 5日 (土)

漢方薬の保険適用除外は必要か

子供時代、ある病気になり、入院したが、病院で処方される薬では治らず、医師(医長)もお手上げで、退院させられた。ところが、母が何かにすがるつもりで、漢方薬局に相談して、漢方薬を処方してもらったところ、数カ月して、完治したことがある。

それは最近販売されている製剤された漢方薬ではなく、煎じ薬だった。そのことを医師に伝えると、面子を潰されたためか、激怒したそうだ。当時は、医長回診で、彼の後ろに、たくさんの人が従っていた。彼は、皆の前で、面子を潰された思いだったのだろう。

ただ実際、病気が治ったのだから、漢方薬は、侮れない。西洋薬だけでは、限界があったのだろう。母は、要らぬことを言った訳だが、当時の医療に疑問を持つきっかけになった。その医師では、治せなかったのは事実で、母は、それ以後、病院に不信感を持った。

また年齢を重ねて、中高年になると、本能的に、西洋薬の服用は、医者から処方されたものであっても、長期服用は副作用の危険を感じる。しかし、体調が悪ければ、医師の言う通りに服用しなければ、治る病気も治らなくなる可能性もある。

その判断は、なかなか難しいが、西洋薬でなくても、中高年の体に合う薬は存在するかもしれない。それは西洋薬より効き目が緩い漢方薬だ。中高年になると、薬の選択としては、漢方薬が望ましいと直感的に思うようになる。そういうことで、漢方薬を求める人は多い。

だが、それは、ほとんど医療機関を通じないため、私的に、漢方薬局で買うことが多いため、保険適用外になる。その漢方薬を事業仕分けで、保険適用外にしようという話が出ており、そのことに対して、反発が出ている人々がいると言う。

今回、この話を聞いて、少し驚いた。漢方薬が保険適用になっていることを初めて知った。確かに、最近は、漢方薬も、煎じ薬とは別に、通常の薬のように錠剤や粉剤になったものがある。

煎じ薬は、もともと民間療法から出発しており、現在の日本の医療とはそぐわないので、保険適用外はわかる。しかし、錠剤や粉剤になったものは、漢方薬といっても、すでに、薬効データの揃っていることも多く、それは通常の薬と変わりがない。

これを保険適用外とするのは、少し行きすぎかもしれない。むしろ、高齢社会では、そういうものを求める人が多くなるとすれば、現在、市販されている錠剤や粉剤になったものは、間違った利用を避けるため、保険適用でないと、利用できないようにすべきだろう。

ただ、民間療法的な煎じ薬の漢方薬をどうするかという問題は残る。漢方薬の煎じ薬も、素人判断で、事故が起こっている例もある。ただ先に示したように、流風の経験では、薬効はあると思うが、その薬効について客観的データがなければ、汎用性がないと言える。

データが揃っているのであれば、保険適用とすべきだし、データが不十分であれば、当面保険適用外も仕方ないと思うが、データが十分そろった段階で、保険適用とするのが望ましい。そしてデータ作りに、中国からデータを得るなどして、国としても協力すべきだろう。

| | コメント (0)

2009年12月 4日 (金)

煎餅の思い出

子供の頃、お爺さんが、店先(店内だが、ガラス越し)で、煎餅を焼かれている様子をよく見ていた。もちろん、食べたいからだが、その作業にくぎ付けになっていた。材料をサンドイッチ状態にして焼くだけの簡単なものだったが、見ていて、飽きることはなかった。

当時、親の意向で、お菓子はあまり与えられなかった。ほとんどが母の手作りで、10時と3時を除いて、与えられることはなかった。今の子供のように、常時、お菓子と接している様子を見ると、彼らの健康が心配だ。

少なくとも、流風は、肥満体質ではない。若い頃のスーツを今も着用できるし、標準体型のため、余計なお金はかからないので、その点は両親に感謝している。ただ年齢的に、若い頃のスーツは、さすがにデザイン的に合わないものもあるので、それらは処分したが。

お菓子は、そういうことで与えられなかったが、時々、親類などからのお土産で、煎餅があった。それは塩煎餅や醤油煎餅のような焼き煎餅が多かったが、時々、瓦煎餅があった。これは、瓦の形をしており、甘く、塩煎餅とは、また違った美味しさだった。

それらが、お菓子として与えられた時は、嬉しくて、少しずつ味わったものだ。母の作るものとは、味が異なり、何とも言えない美味しさだった。それ以来、煎餅は大好きである。最近は、甘い瓦煎餅系の方を好む。

というのは、これらは塩分がほとんどなく、健康にいいからだ。ただ、先日のニュースでは、神戸に本店のある菊水総本店が廃業するらしい。大変残念なことだ。もちろん、瓦煎餅は、ほかのところでも入手できるが、元祖瓦煎餅がなくなるのは少し寂しい。

| | コメント (0)

2009年12月 3日 (木)

二つの顔~“もうひとりの私”

女性は化粧するから、少なくとも、二つの顔を持っている。若い人は、すっぴんで通す人もいるが、何らかの化粧は施すだろう。日焼け止めクリームも、そうだろう。リップクリームもそうだ。もちろん、寝化粧としての薄化粧も、必要だろう。いくら夫でも、すっぴんを見せることは恥とされた昔の人は、妻の素顔を見たことがないと言う人も多かった。最近は、どうだろうか。

それに対して、男はほとんど素顔だろう。男性用化粧品は、メーカーの思惑ほど普及していない。せいぜい髪につけるトニック、リキッド、ムースの類で終わっている。いつも素顔をさらしているから、意外と肌は強い。女性のように、化粧で肌を荒らすことはない。

さて、今回は男の話ではない。やはり化粧がらみとなると女性の話だ。女性は二つの顔を持つというが、流風の経験では、二つどころでおさまらない女性も多い。それは顔の話ではない。万華鏡のように心がころころ変わる女性だ。それは見せかけで、本当は心は一つなのだと解説してくれた女性もいた。

でも、真面目な男は、そういう女性に振り回される。きらきらして魅力的に見えるからね。すべての女性がそうであるとは言えないが、誰でも、そういう部分があるように感じる。それは女性の心の揺れなのかもしれないが、男は、揺れる女心にはなかなか対応しにくいものだ。

それを女性は、疎んじるが、なかなかね。そんなことを日頃思っていると、テレビで、外資系の化粧品のコマーシャルが流れていた。初めは、何となしに聞いていたが、歌詞が気になって、ネットで調べてみると、弥生という人の歌詞だった。弥生さんは、女優の小雪さんのお姉さんらしい。

曲名は、“もうひとりの私”だ。その歌詞にも目を通して見ると、少しエロさが感じられる大人の女性の歌だ。私と私、私とあなた、私と時間。それらがどこかで、つながっている。私は私を愛しており、私はあなたを愛している。そして、私はその時間を愛している、という意味だろうか。

結果より、プロセスが大事よ、と言っているような気がする。そのためには、あなたは、ずっと私の近くにいて、というラブ・ソングに聞こえる。まあ、恋愛は理屈ではない。夢でもなく現実だ。この中には、女性特有の愛の独占欲が垣間見える。

その他の曲の歌詞も、なかなか面白いので、アルバムCDを買ってみた。アルバム名も、“もうひとりの私”となっている。本来、女性のために作られたものらしいが、少し覗き見感覚で(笑)。CDを買うのは、橋本一子さんのもの以来。そして今回は、DVD付のものを。

で、驚いた。DVDを観ると、ほとんど化粧品の販促と思われるようにもの。これに金を取るのかと言いたくなった。だが、ずっと観ていくと、弥生さんによるスキンケアの実践。三面鏡に映る彼女の化粧プロセスをじっくり見ることができる。こんなにじっくり女性の化粧プロセスを見るのは久しぶり。となると、お買い得かな(笑)。

そんなに女性の化粧姿をじっくり見ることの少ない流風は、なるほどねと感心しながら、じっくり鑑賞させてもらった。淡々とスキンケアをする彼女は、確かに美人なんだろうが、その仕草は随分、男ぽっい(笑)。流石、小雪のお姉さま。この姉妹は、どちらも男ぽっいね。

ということは、彼女は、どうも二つの顔ぐらいでおさまりそうなイメージ。実際は、わからないけれど。彼女に振り回される男もいるのだろうか。まず、敵の手の内を知るには、このCD&DVDは、いいかもしれない(笑)。

*追記

音楽の方は、若干アニュイな感じ。午後の一時に、紅茶でも啜りながら聴くのがいいかもしれない。ただ、これで弥生さんをイメージすると、実際とギャップがあるのかもしれない。それがこの作品の趣旨?(笑)。

| | コメント (0)

2009年12月 2日 (水)

ビジネスを動かすには その一(リフォーム)

景気が悪いと大騒ぎする人々がいる。確かに雰囲気は良くない。ただ流風が感じるところでは、そんなに不景気とは思わない。まして、デフレとも思わない。消費は確実になされているし、少し売り出しを打てば、客は集まっている。客単価が上がらないのは、安売りばかりして、提供側が付加価値のあるものを提供していないからだ。

確かに若い人が減り、消費が弱いのは確かだろう。高齢者の消費はパターン化しており、新規のモノに購買が行っていないことが、不況感を増している。しかし、景気を良くするのは国や政府ではない。民間企業の取り組み次第だ。企業はビジネスのやり方にもっと工夫が求められる。今後、身近な業種で、気になった例を取り上げていく。

例えば、最近でも、次のようなことがあった。ある方が、リフォームしたいけれども、どこでやればいいかわからないとのこと。訪問販売に来る業者は怖いし、そうかといって、どこに相談してよいかわからない。

そういう方は案外多いのではないだろうか。流風の知り合いの業者を紹介して、解決したが、いつも、そのようにいくとは限らない。確かに、ネットには、リフォネットのように、登録業者を紹介しているものもあるが、それにアクセスできない人々をどうするか。

それを手助けするだけで、ビジネスは発生するわけだから、業界は何らかの手を打つべきだろう。もちろん、役所の協力も必要かもしれない。それは補助金のようなお金の問題ではない。情報提供する場所の提供が大切なのだ。但し、こういうことは、業者単独で解決できるわけでもない。業界の知恵が求められる。

| | コメント (0)

景気対応を考える

日本銀行は、資本市場に10兆円の資金供給をするそうだが、BIS規制により、自己資本を高めなければならない金融大手の市場資金吸収に伴う資本市場の窮屈さは解決されるかもしれない。

ただ資金供給は有効だが、これで不況(流風は不景気だとは思わない。欧米と比べると、一時的な景気後退にすぎない)が解決するわけでもない。欧米の不況は、まだまだ続くし、単に資金の問題で、不景気を解決することはできない。円高は、今後も、進行していくだろうし、毎年、ヘッジファンドの決算に合わせて、このような騒ぎをするだろう。

補正予算拡大が必要だと騒ぐ国民政党に無能さを感じる。あれは自民党と同じ。マスコミは騒ぎ過ぎだ。明らかに、彼らは利用されている。それはなぜか。それはスポンサーに輸出企業が多いからだろう。もう一つは、海外に投資している人が、円高になって困る人々が騒ぐからだ。経済評論家は、投資評論家になっている。

政府は冷静に対応すればいい。税収は、本年度は確かに落ちているが、来年度は回復するだろう。あまり悲観的になる必要はない。但し、円高傾向は変わらないので、それに対応する方策は考えておく必要がある。

*追記

民主党は、参議院の運営の困難さから、国民新党に妥協せざるを得ないのなら、国民新党を切り捨てたらいいではないか。目に余る国民新党のやり方に、国民は軽蔑している。改革に逆行する彼らのやり方は決して是認できない。

国民新党の要求した過大な補正予算は、結局、国民に大きくのしかかってくる。亀井氏は、多くの恨みをかって、自らの首を絞めることになるだろう。来年の参議院選挙後、彼らは政府にいないだろう。

| | コメント (0)

2009年12月 1日 (火)

日本の財政危機を例えると

日本国の財政は、例えで言えば、飽食の時代が忘れられず、暴飲暴食を続け、少し腹が痛むので、胃薬で誤魔化して、更に飲み食いし、どうしようもないメタボリック状態にあるということだろう。こんな事を続ければ、いずれ倒れるのは見えている。

そこで、遅まきながら、医者が変わり、新たな治療法を施しているが、内臓器官まで、肉がどれくらいあるかわからないほど肥満しており、なかなか内臓器官まで達しない。そこで、取りあえず無駄な贅肉を取ろうとしているのが、現在の政府の立場だろう。

しかし、女性方が経験しているように、急激に体重を落とすと、そのリバウンドも大きい。だが、時間がない。ここが為政者の悩みどころだ。でも、やはり体質を改善しなければならない。やはり食事療法し、適度な運動して、贅肉を辛抱強く落とすしかないようだ。食べるものを改善し、運動して体質を筋肉質にして、無駄に排出するものを少なくしなければならない。

だが、それ以前に解決するために、やるべきことは、まず脳の意識を変革しなければならない。外部からの強制で、痩せろ痩せろと言っても、脳は反発するだけ。政治家も、行政も、一般国民も意識を変えて耐えなければならない。それにどれくらい耐えられるか。

でも国が潰れれば、被害を受けるのは国民だ。やはり政治家は、将来の形を見せるしかない。

| | コメント (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »