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2009年12月22日 (火)

漢詩『山中即事』

人の本質は、変わらないのに、それを飾っているものに惑わされて、他者から見えないことがある。たびたび人は、外見で判断して、本当の人物像を把握し損ねる。

それを防ぐためにはどうすればいいか。市村瓚(さん)次郎という人が漢詩にしている。市村瓚次郎は、戦前の東洋史学者。維新後、日本が西洋の学問にさらされるのを見かねて、東洋史学の重要性を説いた。

彼のその詩の題名が『山中即事』だ。詩の内容は次のようになっている。

  雲来って 千嶂合し

  雲去って 万峰分る

  青山元より動かず

  一に任す 去来の雲

特に解釈の必要はないと思うが、一応蛇足的に記しておこう。

「白い大きな雲が現れて、多くの峰を覆っている。そして、雲が去ってしまうと、やっと峰々がはっきり見える。山自体は何も変わっていない。だが、雲の去来により、山は様々な様相を見せる」というような解釈でいいだろうか。

もちろん、これは譬えであり、人間について考察していると思われる。多くの衣服を身につけ、あるいは教養を身につけ、学問を学び、地位を得る。だが、人間は、それらを剥ぎ取ってしまえば誰も変わらない。ただ、あるのは人間の本質だけである。それはすべて心がけ次第なのだ。

人は外見で判断してはならない。外見で誤魔化されてもいけない。その人の本質を見極めるよう努力しなければならない。そして、自分も中身の磨きも当然し続けなければならない。そのためには、深く考察する習慣を身につける必要がある。この詩は、普段何気なく見ている自然現象から、多くのことを学べることを示している。

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