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2010年1月17日 (日)

15年前のこと

1995年1月17日に、阪神淡路大震災は起こった。毎年、大々的に報道される。この震災時、流風は、たまたま神戸にいなかった。数年前に転勤したからだ。災害に遭うかは紙一重。多くの親戚は程度の差はあれ、被災した。震災後、電話しても通じなかった。安否確認もできなかった。

当時所有していたマンションも、倒壊している可能性があった。交通手段もないと言うので、親に頼んで、状況の把握に努めたが、神戸には住んでいないので、明確なことは分からなかった。しばらくして、マンションの他の住人と連絡が取れ、確認したところ、外構は、部分的に被災しているが、本体は大丈夫と聞いて、ほっとしたものだ。

止む無く、しばらくして、神戸に向かったが、大阪で足止めされ、ひたすら、瓦礫の傍を歩き続けた。不思議と疲れは覚えなかった。どれくらい歩いただろうか。神戸に着くまでも、まるで戦災のような雰囲気だった。街は不思議と、静かだった。

だが、街のすべてが被災したわけでもない。山側は、ほとんど影響を受けていない。今でも、山側に住んでいた人と話すと、その意識の差が感じられる。そう、震災にしろ、事故にしろ、自分が傷を受けないと、その大変さはわからない。

流風だって、当時、その場にいなかったわけで、直接の被害は受けていないから、親戚から話を聞いて、その地震の深刻さを確認したものだ。震災後、しばらくして亡くなった伯母は、流風に会った時でさえ、悲壮な顔をしていたのを覚えている。震災の記憶が、そうさせたのだろう。

それでも、この震災は、流風にも、精神的に大きな影響を与えた。それまでは、どちらかというと、自信家でプライドも高く、自分の考えを押し通していたが、それ以後、人生、なるようにしかならないと、思うようになった。なせばなる、というのも、一つの考え方だが、そんなこと、もうどうでもよくなったのだ。

そう考えると、体調の悪さがずっと続いており、震災の前後して、会社は辞めたけれども、肩の荷が下り、流風なりに自然体で振る舞えるようになった。外部からは、虚脱感を持ったのではないかと指摘されたこともあったが、そうではない。体調も、徐々に回復していった。

確かに、内臓の病気だから、回復するのに十年以上要しているが、完全に癒えることはない。だが、精神的には、焦る気持ちはない。身体との付き合い方も遅まきながら分かってきた。時々、思うのだが、あの震災がなければ、今、生きていたかどうか怪しい。

ところが、生き延びて、このようにブログを記している。大した内容ではないかもしれないが、今後も、無私の精神で、若い人たちに、何かを伝えていきたいと思う。

*平成23年3月14日追記

3月11日に、東北関東大震災が起こったが、周囲の人々の受け止め方は様々。空しさを感じている人が多いが、中には、自分のことと考えていない人々もいる。被災を受けないと、実感として伝わらないのだろうか。この温度差に、お互いを理解することの難しさを感じる。

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