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2010年1月28日 (木)

春簾雨の詩

毎日寒い日が続いている。冬は寒い方が、それが相応しいので、悪いとは思わないが、朝は起きにくい。寒暖計を見ると、室内温度零度。布団の中で、しばらく、くずぐずして、止む無く、思い切って寝間を出る。何事も思い切りは大切だ(笑)。

でも、昼間の温度は上がっているから、確実に春は近付いているのだろうか。だが、またまた来週から寒くなるらしい。それでも、先日の夕方近くの午後の雨も、冬の雨と言うより、やや春の雨の趣があった。

今回は、少し早いが、春の雨を題材にした漢詩もあるので、取り上げてみよう。頼鴨崖(らいおうがい)の詩を取り上げて見る。頼鴨崖は、頼山陽の子どもだ。子どもの頃から正義感が強く、苛烈であったようだ。それが災いして、幕府を攻撃して、睨まれ、安政の大獄で、若くして処刑されている。

詩の題は、『春簾雨窓に和す』というものだ。春の簾のような雨が、窓を境に内外、調和して、いい感じという意味だろうか。以下の詩の内容も意味深だ。

  春は自ずから 往来して 人送迎する

  愛憎何事ぞ 陰晴を惜しむ

  花を落とすの雨は

  これ花を催すの雨

  一様の檐(えん)声前後の情

解釈としては、次のようだろうか。

「春夏秋冬の循環よろしく、春は毎年巡ってくる。そのたびごとに、旧友を送り、新しい人を迎える。同様に、天候が晴れたり曇ったりするように、人々の愛憎は、様々に変わっていくのだろうか。

また春の雨は、花を落として、人々を嘆かせるが、元はと言えば、花を咲かせるのも、雨の力であろう。でも、人々の自分の都合で、一面的に見て、正しく評価せず、いろいろ言うのは一体どういうことだろうか」と。

彼は、人々の評価が、一面的で気ままに変わることを嘆いている。自分の思いが正確に伝わらないことに対する焦燥感が、この詩にはある。現象面だけ見ていると、すべての立場によい雨は降らないのは確かだ。

けれども、長期的に見えないものを見る努力をしなければ、正しく物事を捉えられない。暗に、いつか、自分の行いも、正しく評価されるだろうと表現している。時代が大きく変わろうとする激動の時代は、何事も評価は定まりにくい。では、今の日本は、どうなのだろうか。人の評価は難しい。

 

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