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2010年1月23日 (土)

無限の境地

よく建設現場で、とび職の方が、非常に高いところで、身軽にひょいひょいと作業をされている。よくあんな高いところで、作業できるものだなと思う。しかし、彼らは、まるで平地を歩くかのように作業される。流風には、とても真似のできないことだ。

学生時代も、同期の人間で、高いところに上っても平気な人間はいた。あれは生まれつきの運動能力なのかもしれない。高いところにある橋とか、吊り橋などでも、すいすい歩けた。流風なんて、ゆっくり歩いて、かえって吊り橋が揺れて、動揺して、恐怖感が先に立ち、却って前になかなか進めなかったものだ。

そういう話は、昔の剣豪も経験していたようで、江戸時代の剣術家だった反町無格と言う人が、そういうことを伝えている。この話は、結構、お寺の僧侶から聞かされる。仏道の修行に通ずるものがあるのだろう。

その話と言うのは、後、無限流の創始者となった反町無格は、大変強い剣豪であったが、ある時、大変高い渓谷に懸かっている吊り橋を渡ろうとしたが、怖くて、なかなか渡れない。ところが、後から来た目の不自由な人は、杖を頼りに、あっという間に渡ってしまった。

これを見て、人間は見えるから渡れないのだ。それでは、目をつぶれば、渡れるに違いないと判断し、精神を集中すると、渡れたという。彼は、これをきっかけに剣術の奥儀を極め、無限流を始める。

人間は、現象面に五感が反応して生きているが、それが往々にして判断を迷わせる。意識を集中するには、極めなければならない。五感を超え、自分を宇宙の点と観じ、自分の中に、すべての宇宙があると思えば、何も怖くなくなるというようなことに至ったのだろう。

でも、凡人の流風には、なかなかそういう域にはねえ(笑)。多くの雑念に、惑わされ、迷いが生じるのは仕方ないとしても、それを減らす努力はできるかもしれない。奥儀を極めるには、学問にしろ、仕事にしろ、一心不乱に修練を積み重ねるしか手がないようだ。

*追記

反町無格については、よくわからない。民話では、室町時代の剣術家、塚原卜伝高幹と混同されている。この話も、事実かどうかもわからない。誰かが創作したのかもしれない。

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