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2010年2月 8日 (月)

公益のために使う

戦前は、貧富の差が大きく、現在の日本の格差どころではなかった。しかしながら、代々続くお金持ちは、それなりの見識を持っていた人々もいた。市井の中に見どころがありそうな若い人間がいると、彼らに投資した。

それも最近の投資家のように、回収を急ぐことなく、大抵が出世払いでいいというようなやり方だったと聞く。これはと見込んだ人間には、投資するという姿勢だ。駄目だったら、自分の鑑識眼がなかったということで諦める。

そして、母から伝え聞いたところによると、祖父も投資してもらった口らしい。職人だった彼は、腕がよく、早くから独立の志向が強かったが、資金がない。その時、どこから聞きつけたか、ある篤志家が無利子で資金を用立てしてくれたという。もちろん、何の担保もなしである。貧乏だから、担保になりうるものは何も持っていなかったそうだ。

その後、小さい商いながらも、それなりに成功して、後、お礼と共に、倍にして返したらしい。篤志家の方も、祖父が期待に応えてくれたことを大変喜ばれたそうである。祖父は、それが自慢らしく、よく母に語っていたという。ただ、その人には、一生、足を向けて寝られないとも話していたという。

さて、戦前、山形の地で、大地主の本間家があった。そこの八代目の当主に本間光弥がいる。明治、大正にかけて活躍した。活躍したと言えば、聞こえはいいが、表だって目立つことなく活動したらしい。ただ大人(たいじん)の風貌で、会ったいかなる人々も包み込んだという。

その彼が次のような面白い言葉を残している。誰に対して言ったものかはわからないが、多分、子どもたちに伝えたもののように思う。

「純収入の四分の一を以て、家計に充て、残余の四分の三を、国家、社会、公益のために費やすべし」と。

これは、一般庶民には当てはまらない。庶民には、不可能な数字だ。当時の本間家の純収入がどれだけあったかわからないが、相当の金額があったから、言える言葉だ。

だが、金持ちだからといって、皆が皆、そういうことをしているわけでもない。でも、彼は、この言葉を残した。それは多分、収入の多くが多くの人に支えられていることを認識していたからだろう。

現代の大金持ちの方々が、どれだけ、そのような認識をしているだろうか。現代の篤志家は、どこにいるのだろうか。そして、篤志家のお眼鏡にかなう人物は、果たして、いるだろうか。

*追記

祖父が篤志家から、いくら出してもらったかは、はっきりと覚えていない。子どもの頃、母は数字を上げていたと思うが、思い出せない。その頃、祖父は、工場周辺では有名だったらしく、親のような年輩の職人さんが、たくさんの御釈迦(不良品のこと)を出して、3個しかできないものを、彼は、ほとんどミスなく、同じ時間で、10個作り上げていたらしい。若くして、すく゜職工長になった。当時は、出来高制で実力主義だった。

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