« 『長尾和』展を鑑賞 | トップページ | 漢方薬恐るべし »

2010年2月22日 (月)

天水の漢詩

空は晴れ渡り、春らしい天気になってきた。いい季節だ。動きやすいし、散歩もしやすい。一年中が春だったらいいのにと思ったりする。それは叶わぬので、せいぜい、この季節を楽しむとしよう。

さて、今回は、中唐から晩唐にかけての詩人、李渉の漢詩を取り上げる。彼より弟の李渤(りぼつ)の方が有名かもしれない。940年頃、兄と共に盧山に隠居し、彼は白鹿を育てた。その鹿は、いろんな書籍を集めてきたという。よって、白鹿洞と呼ばれたらしい。後、戦乱なった時、多くの知識人が集まったという。

李渉の方は、後、請われて、出仕しているようだ。彼の詩は、『鶴林寺に題す』(*注)が有名だが、ここでは、『水月台に遊ぶ』を取り上げる。水月台とは、中国広東省にあった楼台のことらしい。

  白日を平流して、人の愛するなし

  橋上に閑行して、只だ自ら知る

  水は晴天に似、天は水に似たり

  両重の星は、碧琉璃に点ず

詩の意味は、次のようであろうか。

「穏やかな歳月が流れ、今更、この楼台に特に気を配る人もいない。夜、橋の上をうろうろ歩いて、私は、なんとなく分かる感じがする。水は晴れた空のように透明で、空は、まるで水のようである。上と下の碧いガラスのように、水辺も星が点じて、きらきらして、両方とも、なかなか面白いものだ」と。

不勉強で、この詩の背景は、わからないが、強いて流風的に、解釈すれば、戦争のために造られた楼台も、今では、それほど用はなしていない。空も水も、透き通っている。そのような平和が続けばいい、と詠んでいるように読み取れる。裏には、きな臭いにおいがしているのかもしれない。後、彼の願いもむなしく、唐は、騒々しい世の中になる。

*注    『鶴林寺に題す』

    終日昏々たり 酔夢の間

  忽ち春尽くると聞いて 強いて山に登る

  竹院に過ぎって 僧に逢うて 話するに因って

  又た浮生半日の閑を得たり

この詩については、いつか機会があれば、触れてみたい。

|

« 『長尾和』展を鑑賞 | トップページ | 漢方薬恐るべし »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『長尾和』展を鑑賞 | トップページ | 漢方薬恐るべし »