« 春の音楽 | トップページ | 人を使いこなすということ »

2010年3月22日 (月)

いつまでも、待ってはくれない

見染めた女性を、将来結婚すると、親と約束していても、現実には、なかなかそうならないのは、時と共に、双方を取り巻く環境が変化するからだろう。昔の詩人も、そういう経験をしている。

それは、杜牧之だ。彼は、名家の生まれで、将来が約束されていた。赴任地でも、上司の気の使いようは尋常ではなかった。31歳頃、湖州に赴任するのだが、遊びまくった。名家の出身で男前とくれば、遊びに行くと、女性もほっとかない。

そういうこともあって、その遊びは収まることがなかった。そこで、上司は、見るに見かねて彼を守るため、彼の行動を監視させた。そして、ある時、彼の行動記録を見せられ、いかに心配しているかを忠告して、戒める。彼は、恥じて、その行動を慎もうとした。

しかし、女好きが改まることはない。ただ、ある時、一人の美少女を見染める。12歳ぐらいだろうか。20歳以上の年齢差。彼は、ロリコン趣味か。まあ、遊び女ばかり、相手にしていると、未だ処女の女性に憧れるのだろうか。

そのことはおいておいて、母親に話をつけて、10年経てば、迎えに来ると約束する。だが、身分も違い、相手は良家だけれど、遊び人。当然のことながら、母親は心配する。10年も経てば、この娘も20歳を越えて、行き遅れてしまう。

当時は、それが当たり前。女の盛りは20歳前後。今の日本は、盛りの終わった女性が未婚でうろうろ(笑)。結婚して、子供を産んで育てて一人前と言われたのは、今は昔。少子化も進むわけだ。また脱線。

それでも、母親は、10年内であれば、待つけれど、それ以上は無理ですよと、杜牧之に念を押して、一応、約束を交わす。しかし、あれやこれやと12年の時が経つ。時が経つのは速い。

そして、帰って来て、悔やんで詠んだのが、次の有名な詩だ。題は、『別れを悵(いた)む』とある。見慣れない文字、「悵(いた)む」は、恨むの意。つまり後悔の念がある詩。

   自ら恨む 芳を尋ぬることの

   已(すで)に太(はなは)だ遅きを

   昔日曾(かつ)て見しは

   未だ開かざる時

   如今 風擺(はい。開くの意)して

   花狼藉たり

   緑葉 陰を成し

   子 枝に満つ

訳意は、次のようであろうか。「君を見染めて、結婚の約束もしたのに、戻ってくるのが少し遅かったようだ。かつて見た君は、蕾だった。私は、それを開くこともできず、今は、もう他人の妻。すでに女房らしくなり、子供も3人の親だ」と。

彼女が子供の頃とは印象が違い、大人の女になり、他人の妻になり、母親の顔。その顔(かんばせ)は昔の名残を残しつつも、すでに他人の顔だ。まあ、女性は、放っておくと、こうなるよという典型の話。今は、その逆もあるけれど。いずれにせよ、遠い先の約束には、無理があるということ。時の流れととともに、人の心も変わる。ああ、無情(笑)。

   

|

« 春の音楽 | トップページ | 人を使いこなすということ »

男と女」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 春の音楽 | トップページ | 人を使いこなすということ »