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2010年3月27日 (土)

芭蕉の東北の旅

流風は、東北への旅行は、まだ二度しかない。学生時代に一度と、社会人になってから一度だ。両方とも、駆け足旅行だったため、あまり強い印象はない。学生時代は団体旅行だったし、社会人の時は、時間が少しできて、ばたばたした思いつき旅行だったからだ。やはり観光地の予備調査なしの旅行は、あまりよくない。

さて、芭蕉も、45歳の時、弟子の曾良と共に東北一周の旅(と言っても、中尊寺ぐらいが北端である)をし、あの有名な『奥の細道』を残している。旧暦の3月27日に出発し、8月末に、大垣に着いて、一応旅を終えている。当時の交通手段から考えても、結構長期な旅行だ。

果たして、旅行の目的は何だったのか、いろいろ議論されている。彼が伊賀出身であることから、隠密ではなかったか、ともよく言われる。本当のところはわからないが、こんな長期に各所を回って旅するのは、確かに、その目的がよくわからないところがある。彼は、大垣に着いてからも、間もなく、せわしなく、伊勢に旅をしている。相当長旅で、疲れているはずなのにだ。これは誰かに報告の旅ではないか、と思われる。

それに、彼が『奥の細道』をまとめたのも、旅行が終わって、なんと5年後。記録をまとめるのに、そんなに時間がかかるとも思えない。現代の作家が、旅行随想記を、このようなペースでまとめれば、出版社に相手にされないだろう(笑)。まあ、当時は、そういう目的がないにしても、ちと怪しい。これをまとめたのは、依頼者が亡くなったからではないか。

やはり、そう考えると、誰かの依頼で、民情視察の趣がある。依頼により、代理で動いた可能性がある。もちろん、お金は、依頼者から出ているだろう。彼は、宿泊地で、俳諧関係者から支援を受けたことになっているが、本当にそうだっただろうか。それは創作の感じがする。

各地に依頼者の連絡係りがいて、そこを回った感じだ。こうなってくると、現代の諜報活動と似ている。もちろん、それは考え過ぎたという人々もいる。文学的には、そう考えたいのもわかる。当時、彼の俳諧での地位は、確定していたであろうし、彼の文学的価値は、今なお評価されている。

ただ、事実はどうであれ、あんなこんなと推察するのも、文学鑑賞の楽しみではなかろうか。もっと、純粋に楽しめと言われるかもしれません。確かにそうかもしれません。でも、こんなこと考えるのも、一つの楽しみ方ではなかろうか。しかし、サスペンス小説の読み過ぎかな(笑)。最近は読んでいないのだけれど。

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