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2010年4月10日 (土)

奇想天外なこと~落語『あたま山』

人間の見る夢は、奇想天外なものも多いという。流風は、あまり夢を見ないのだが、それでも、時々変な夢を見ることもある。良い夢も見るし、悪い夢も見るが、それが正夢になったことはない。

さて、落語『あたま山』というものがある。あまり演じられないのは、奇想天外が過ぎて、受けが難しいからかもしれない。演じ方で、面白くなるとは思うのだが。

一応、あらすじを流風流に脚色して、紹介しておこう。時は、今と同じ花見の季節。あるところに、しわいで名の通った、吝ん坊(しわんぼう)がいた。原作では、「けちんぼう」とふりがながついている。ただ、流風の理解では、「吝ん坊=けちんぼう」とするのは、少し抵抗がある。文字は正しいが、関西では、「しわんぼう」と呼ぶので、そのようにしておく。

吝ん坊は、吝嗇家ということだろう。吝嗇家というのは、ただお金を貯め込むばかりで、何にも使わない人を指す。また「ケチな人」は、始末が出来る人で、普段は、慎ましい生活を送りながら、必要な時にはパッと使うので、「吝ん坊」と意味が全く違う。ただ、第三者からすると、けちん坊も、しわん坊も同じに見えるかもしれない。

さて、彼は、酒も飲まず、煙草も吸わず、博打もやらず、女遊びもやらず、金のかかることには、一切何にも使わない。「お金を出す」というのは、金輪際嫌という人だった。う~む、聖人みたいな人(笑)。ちょっと違うか。

ある時、花見に出かけたが、お金を使うのがもったいないから、何も飲まず、食わずに歩いていた。そうすると、道にサクランボが落ちていた(でも、これって変ですね。桜が咲いてから、実がなるものでしょう。もう、ここで話が逆転している)。それを拾って、呑み込んだところ、そのサクランボには、土が付いており、身体の中から、実が育って、彼の頭から、芽が生え始めたという。

奇想天外と言えば、そうだが、子どもの頃、流風も似たような考えを持ったことがある。季節は夏のことだが、スイカの種は食べてはいけませんと、母が言っていたのに、ついつい食べてしまい、母にどうしよう、と言った記憶がある。芽が出て、お腹がスイカになるのではと、夜も眠れなかった(笑)。その時には、真剣に悩んだものだ。

さて、この吝ん坊も、さすがに驚き、これは切り取るべきだと判断し、女房に芽を切ってもらう。ところがである。芯を止めたので、幹はどんどん太くなる。その周囲、七、八尺になる大木なってしまった(そんなもの、どうして身体で支えられるのか)。それに春には花が見事に咲き、花咲きになってしまった。

これが評判となり、花見をするなら、「あたま山」に行こうということで、毎日、大変な花見客。頭の上では、茶店もでき、大変な宴会という大騒ぎ。なぜ、人は評判を聞きつけると、こんなに人が集まるのだろうか。それは今も変わらない。

吝ん坊、さすがに、これにはも参って、頭の上の桜の木を引っこ抜こうということになった。ところが、引っこ抜くと、そこには大きな穴が残り、ある日の夕立ちで、水がいっぱい貯まった。これは頭がひんやりして気持ちがいいので、そのままにしておくと、魚が棲み始めた。

そうすると、どこから評判を聞きつけたのか、釣り師は来るは、網船は出るは、果ては、芸者連れで、どんちゃん大騒ぎ。要するに、サクランボを食べたのが、ケチがついた始まり。落ちていたものは、食べてはなりませんということ。さすがに、吝ん坊も、これには大弱り。それなら、いっそ、死んでしまった方がいいと、自分の頭の池に身を投げたとさ。これまた奇想天外。

人間の見る夢が奇想天外なのは、それを妄想する下地があるのかもしれない。何もなく、奇想天外な夢を見ることはないと推定される。皆さまも、夢占いではないが、夢の分析をすれば、自分の潜在意識を発見することになるかもしれない。

*追記

この吝ん坊、ただ、あるものを守り、金を使わなかっただけのようだ。吝ん坊には、発展性がない。だから、これは決して、商人の発想ではない。商人なら、頭に山ができて、人が集まってきたら、それをビジネスにして、始末して利益を上げる。転んでも、ただでは起きないのが商人の精神。

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