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2010年4月 5日 (月)

刹那情報社会の読み方

現在は、報道も刹那的だが、これが時代というものなのだろうか。ブログに代わって、twitterも、大いに流行っているようだが、これは更に超刹那的世界だ。一応、本人の気持ちを、その瞬間、瞬間を記していることになっている。

これは本人の本音が記されて、結構、歓迎されているようだが、その考え方は正しいとは限らない。その中には、以前から潜在意識にあるものの表出とも考えられるが、そればかりではないことも含まれる。必ずしも、個人の気持ちの純粋性は期待できない。

そして、その内容は、結構、作為が含まれるものもあり、もちろん、必ずしも純粋とは言えない。嘘ではないかもしれないが、おかしい意見も含まれるものもある。本当の個人の気持ちの表現であるとは言い切れないものもある。

それは広告に利用されることが増えたこともある。ブログで商品の感想を述べるのも、純粋な感想の場合もあるが、意図的なこともあるだろう。当初、純粋な意図で始まったかもしれないが、段々汚れていくイメージだ。刹那情報のtwitterも、広告に利用されるようになり堕落した。

しかしながら、言論の自由を盾に、どんな情報も、作為的に流しても、それは真偽は別にして情報として伝えられる。すなわち、情報全般が、極めて危険な要素を含んでいるツールと言えよう。

世論操作、超簡単(笑)。その中で、刹那情報も、意識の中に、ある情報を流しこめばいいわけだから、これは洗脳にも使える。多くの人々は、自分は、そんなことはないと思うだろうが、それがすでに危うい。

情報は、何でもかんでも、取り込めばいいというものではない。若い人たちは、特に良質の情報をインプットしなければ、脳が汚染されてしまう。そういう意味では、マスコミの報道も、いろんな番組も、刹那的な情報システムも、極めて危険な道具である。

自動車の運転は、よく凶器になりうると言われるが、各種情報も、受け取り方で凶器になりうる。そういう意味では、依然、情報の取捨選択が、それは媒体も含めて、より重要と言える。だから、その真実を読む技術が、読み手には求められる。

だが、多くの人々は、情報に対する危機意識が足りないかもしれない。それはあまり望ましいことではない。結局、自分の頭で考える時間をもっと大切にしなければならないということに尽きるようだ。

ということで、情報の受け手の主体性の確立が求められる。そして情報を捌く技術の習得と接し方を学習する必要があるのだろう。更に、付け加えれば、適宜、「情断」も必要と言うことだろう。

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