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2010年4月27日 (火)

『ピカソ円熟期の版画展』鑑賞

最近は、洋画は内外の画家共に、鑑賞はしないが、気になる画家はいる。それはピカソだ。中学生時代、美術の講義の中で、はじめてピカソを知った。へんてこりんな絵には、少し戸惑った。先生によると、「彼は、もちろん、きちんとした絵も描けるのだが、それを超えたのが、今、皆が見ている絵だ」とかいったような説明があったと思う。

そのピカソの展覧会が、明石市立博物館で、『ピカソ円熟期の版画展』と題して、開催されているので、鑑賞してきた。この展覧会には、子どもさんも来ていたが、不思議そうに見ていた。親が「わかるか」と問いかけると、首をかしげていた。

そもそも子どもの絵も、大人からすると、わかりにくい絵を描くと思うのだが、子どもの感性では、彼の絵は、理解は難しいかもしれない。ピカソのテーマは一体何だったのだろうか。天才ゆえ、凡人には分らぬ何かを見つめていたのだろうか。

ただ彼の生涯における異性関係は、多情多感という領域にある。多数の女性と恋愛関係になり、奔放な人生を送っている。彼は、女性をどのように捉えていたのだろうか。会場では、画家とモデルの関係や、牛と闘牛士の関係と重ね合わせて、説明されていた。

彼の恋愛は、多分、対象となる女性モデルを多様性、多重性に於いて見つめる実験だったのかもしれない。時に、社会性を織り交ぜて描いているが、それはカムフラージュに過ぎないだろう。彼が描くのは、男女関係の綾だ。

絵を描く時の、モデルの女性の表情の変化、変化を与える要因を探し続けたのではなかろうか。そして、それは画家自身の彼においてさえもそうで、自身を客観視して、自分に影響を与えている要素さえも分析しようとしている。

影響を与える要素としては、モデルとの関係性と、その状態。ピカソやモデルに対して、別の恋愛関係が及ぼす相互の心理状態。そして社会的環境要素。それらが幾重にも重なって、絵は表現される。結果的に、彼の描く絵画は複雑になる。

これは鑑賞者にとっては、ある意味、行間を読む読書だ。単に美しいとか、きれいの段階ではない。男女の心理の綾、恋愛実験、歴史的背景などが絡み合って、作品は形成される。ピカソ鑑賞は、遊びとしては、いいかもしれない。

だが、複雑そうに見えて、案外シンプルかもしれない。流風も、今の歳になって、やっと少し理解できたような気がする。それに、すべての版画を通じて、わかることは、彼が愛に飢えていたのではないかということ。よって、愛を求めて彷徨ったのだろう。

しかしながら、恋をいくら重ねても、真実はなかなか掴めなかったのではないか。ただ、それを追い求めたことで、彼は92歳まで長生きできたとも言える。愛を求めての彷徨は、決して楽しい人生とは第三者からは見えないのだが、それが天才芸術家の宿命だったのかもしれない。

平成22年5月9日まで。

*注記

上記の記事は、ピカソの研究をしたこともない、一般人の流風の個人的見解です。ただ、鑑賞して、感じ取ったことを記したにすぎません。ピカソの専門の研究家からすれば、異論があるかもしれません。

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