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2010年4月 8日 (木)

春の花の詩、二題

花冷えは、あるものの、本当に春らしくなってきました。桜に限らず、いろんな花が開花し、あるいは、間もなく咲こうとしています。さて、今回は、春の花を題材にした漢詩を取り上げてみよう。

北宋の詩人に、黄山谷(こうさんこく)がいる。山谷は号で、本名は黄庭堅。今回は、一応、春に相応しい(?)彼の二つの詩を挙げておこう。詩には、いろんな意味が含まれていると思われる。

まず、『行邁』。

  白々紅々相間つて開き

  三々五々青を踏み来たる

  戯れに胡蝶に随って遠きを知らず

  行人を驚き見て笑却して廻(かえ)る

解釈としては、次のようだろうか。

「たくさんの白い花や紅い花が、入り混じって咲いている。その中を(子どものように)三々五々、踏み歩いて、蝶を追いかけていると、いつの間にか、遠いところに来てしまったようだ。周囲を見回すと、道行く人は知らない人ばかり。これを見て、これはいかんということで、急いで笑って帰った」と。

まるで、子ども時代のような無邪気な大人たち。でも、こういう幸せはある。何も考えず、何時の間にやら、楽しく過ごした時間。流風も、春の陽気に誘われて、先日は、一万歩をはるかにオーバー。歩き回れる幸せ。

でも、この詩は、何を語っているのだろう。ある意味、人生観かな。自分の関心ごとに惹かれ、うろうろしている間に、いつの間にか違うところに行ってしまった様な気がする。でも、やはり、その是非はともかく、自分に相応しいところに戻ろうと、言いたかったのかも。

もう一つが、『水仙花』。

  淤泥は解く白蓮藕(ぐう。蓮の意)を作(な)し

  糞壌は能く黄玉花を開く

  惜しむ可し 国香 天は管せず

  縁は随ひて流落す 小民の家

こちらの方も、意味深。一応、解釈を以下に示す。

「蓮の花は、汚泥から生じるように、黄玉花すなわち水仙の花は、糞などの堆肥から生まれ、多くの人々から愛される。(だが、美女の世界は少し違う)水仙のように庶民の中で生まれた美女は、天子様の目に留まらねば、縁に随って、貧乏人のところに嫁ぐことになる。惜しいことよ」と。

これは何を語っているのか。美女は、天子様に寵愛されて初めて価値を持つ。玉の輿が必ずしも幸せになるとは限らないけれども。ところが、庶民に嫁いでしまうと、美人であったことが、却って禍する。生活に疲れ、美女も結局、台無しで、見る影もなくなる。水仙の花のような美しさは続かない。周囲がちやほやしても、それに溺れないことだ。それ以外のことを身につけた方がいい。

*追記

ちなみに流風家の水仙は、三種類ぐらい植わっているけれど、別に糞壌というほどでもない。ただ、あまり世話はしていないけれど、毎年、きっちり花をつける。それに植えると分かるのだが、結構強い。やはり庶民の花なのかな。だから、庶民から生まれた美女は、強かに生きていくとも思う(笑)。

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