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2010年4月20日 (火)

春の夜の漢詩

今年の春は、少し変だ。確かに桜の頃は、毎年、花冷えで、寒いのは確かだが、今年は気温も低く、雨の日も多い。二、三日暖かい日が続いても、すぐ寒くなる。それでも、気温は少しずつ切り上がっているのだが、春の感じはしない。

春というと、読書していても、うとうとしてくるのだが、未だ、そういうことがない。本格的な、ぽかぽか陽気には、いつなるのだろう。そういうことを願って、有名な漢詩を挙げておこう。人口に膾炙された蘇軾の『春夜』は、多くの人に愛された。この『春夜』は、学生時代に学んだと思うが、調子もいいので、お気に入りの一つだ。

  春宵の一刻値千金

  花に清香有り月に陰有り

  歌管楼台声細細

  鞦韆院落夜沈沈

一応表面的な解釈は次のようであろう。「あっという間に過ぎ去る春の宵の楽しい一時は、千金の価値がある。花には、清い香りが漂い、月には清々しい陰がある。楼台の歌管の声も、ほとんど聞こえなくなり、中庭にあったブランコも寂しくあるだけで、夜は深々と更けていく」。

もちろん、これは裏の解釈もあるだろう。例えば、

「かつての宮廷の栄華もなんのその、華やかな時代は、とっくに過ぎ去ってしまった。宮中には美女があふれ、花のような芳しい匂いが充満する一方、月は、それと対照的に何も変わらず、春の夜も静かに照っていたものだ。

しかし、今では、音楽や歌声が聞かれることもなく、美女たちが、かつて戯れたブランコだけが、寂しく月に照らし出されている。自然は、そういうことに関係なく、自然の摂理通り、また、いつものように夜が更けていく。」と、いったような流風流の解釈が成り立つ。

蘇軾の本音としては、「私も、世間の煩わしさに左右されず、静かに過ごしたい」という気持ちがあるのではなかろうか。自然の摂理の中で、春の夜を感じているようだ。詩人は、そのように春の夜が短いという感傷的なことも、別の思索になる。

流風は、そういう心境には、程遠く、ただただ手入れした庭を見ながら、ひなたぼっこしながら、うつらうつらする春の日差しが欲しいだけ(笑)。ただ、どうも春を超えて、いきなり夏が来るのではと、少し心配している。

*追記

念のために記すと、ちょうど今頃は、穀雨である。雨が多いのは仕方ないのかもしれないが、今年の天気は、少しおかしいのも事実。為政者が不安定だと、天候も左右される。これは案外、当たっている。

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