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2010年5月15日 (土)

閑居と漢詩『幽居』

流風は、親の介護の後、本人の自覚はないのだが、年齢の割に早く閑居しているに等しいかもしれない。それは望んだことではなかったが、自分の体調と相談すれば、やむを得ない。

それがいいのか悪いのかはわからない。早すぎると言う人もいる。大体、急ぎ過ぎた人生だったと言えるかもしれない。何でもかんでも、結論を急ぎ過ぎたのかもしれない。しかし、今となっては、仕方ない。

さて、漢詩にも、『幽居』と題するものがある。幽居とは、世の中を遁れて静かにひっそりと住むことだ。作者は、韋応物だ。彼は、唐時代の人で、若い頃は、任侠の徒で、結構、悪いことをしたらしい。その後、玄宗皇帝の護衛をしていたが、皇帝の死後、行状を改め、読書に勤しんだという。

誰でも、転機というものはある。若い頃、暴れる人間は、ある意味、純粋な感性の持ち主であることも多い。それが正しい道に気づけば、猛勉強するし、逆境にも強いから、ひとかどの人物にもなることも多い。問題は、いつ気づくかということだ。

彼は、その後、そこそこに出世している。ただ、妬まれたりして、必ずしも順風満帆ではなかったようだ。人生には、いろいろある。だが、不倒だったようで、いつも、いろんなところから声を掛けられる人物であった。それだけ、どこか頼りになる要素があったのだろう。

その彼の詩は、不遇時代に作られたものだろう。内容は次のようである。

  貴賎は等を異にすと雖も

  門を出でては皆営むこと有り

  独り外物の牽く無くして

  此の幽居の情を遂ぐ

  微雨 夜来過ぐ

  知らず 春草の生ずるを

  青山 忽ち已(すで)に曙(あ)け

  鳥雀 舎を繞(めぐ)りて鳴く

  時に道人と偶し

  或は樵者に随って行く

  自ら当に間蹇劣に安んずべし

  誰か世栄を薄くすと謂わんや

解釈をいつものようにすると、次のようだろうか。

「貴賎により、等級が違っても、誰も、一旦、外に出れば、それぞれに生計のため、あくせくしている。ただ、私だけは、地位も名誉も財産に影響されずに、この幽居で、静かに、あれやこれやと思いを巡らせている。

微かな雨が、昨夜、降った。お陰で、春草も生え出したかもしれない。緑豊かな山が朝日を浴びて夜が明け、雀などの鳥たちが、家の周りで、忙しくさえずっている。

ここの生活では、時に、道教の修行者と一緒に歩いたり、樵の後に、ついて行ったりしている。このような生活は、愚鈍な私には、まさに相応しい。もちろん、そうかと言って、世間で頑張っている人々を、揶揄するつもりはない」と。

本音としては、どうだろうか。多少の無念さはあるかもしれない。悟ったことを示しながらも、本心は、必ずしも、そうではないかもしれない。不倒と言われた人物だからこそ、次のチャンスが巡ってくると思っていたかもしれない。

しかしながら、自ら、それを求めることはしない。流れに沿わない時は、バタバタ動かない。静かに、環境が好転するのも待つ。不遇の時の対処の仕方としては、望ましいだろう。こういう時は、案外何もかも、客観的に物事を見つめることができるので、自らを涵養できるのは間違いないだろう。流風は、残念ながら、幽居ではないだろう。閑居を楽しんではいるが。

*注記

閑居と幽居の違い(広辞苑より)。大変似ている言葉ですが、少しニュアンスが異なる。

●閑居

 ①閑静な住居

 ②ひまでいること。世事を離れてのんびりと暮すこと。

●幽居

 俗世間を避けて物静かな所に引きこもって暮らすこと。

 また、その住居。閑居。

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