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2010年5月 9日 (日)

思いやりということ

子どもの頃、母に、思いやりのある人間になりなさいとよく諭された。果たして、流風が、思いやりある人間かどうかは、未だ疑問だ。父からは、人情をもっと大切にしないといけないと、たびたび注意を受けた。

しかし、この思いやりというものは、案外難しい。広辞苑には、次のように示されている。

 一、思いやること。想像。

 二、気のつくこと。思慮。

 三、自分の身に比べて、人の身について思うこと。

    相手の立場や気持ちを理解しようとする心。同情。

両親が言っていたのは、三、の意味が強いと思う。この思いやりは、「思い遣り」と書くが、「遣る」は、「進ます」というような意もあるし、「物事をはかどらせる」という意もある。となると、やはり、二、の思慮深くという意味になる。

思いやりが難しいのは、関係者が増えれば増えるほど、物事は複雑化するからだろう。結局、いろんな矛盾が生じ、トレード・オフが生じる。あちら立てれば、こちら立たず、という奴だ。それがいくつか重なると、もう収拾がつかない。

となると、どうすればいいのか。とどのつまり、それは人間性ということろに行きつくのではないか。妥協点を見出し、完全に満足でもない、完全に不満足でもない点を探り、信頼に基づいて、物事を決して行く。

ということは、思いやりというものは、片方だけではだめで、相互の思いやりが必要と言うことになる。お互いの立場を理解しあう姿勢が、必要と言うことだろう。すなわち、思いやりは、お互いの切磋琢磨の中で、生まれるものと言えよう。社会における思いやりは、そういうところに行きつく。

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