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2010年5月 6日 (木)

漢詩『事に感ず』を解釈する

次々といろんな花が咲く。ただ、急激な気温の上昇で、植物も戸惑っている感がある。暑さに参って、萎んでしまった花もある。逆に、暑さ歓迎と、元気に開花している花もある。花も様々だ。そして、いろんな昆虫がやってくる。蜂と蝶が主だ。

そういうことを見て、世の中を揶揄した漢詩がある。それが、干濆(うふん)の『事に感ず』だ。彼は唐の時代の詩人。それほど出世はしていない。やや、世の中を斜めに見る癖が、それを妨げたのかもしれない。

だが、この詩は、日本人には、比較的好まれて、詩吟に詠われることも多い。その詩の内容は次のとおりである。

  花開けば 蝶枝に満つ

  花謝すれば 蝶還(また)稀なり

  惟(ただ)舊巣(きゅうそう)の燕あり

  主人貧しきも亦(また)帰る

表面的な解釈は、「花が咲くと、その蜜を求めて、蝶が次々とやってくる。しかし、花が散ってしまうと、蝶は、もう戻ってくることはない。ただ、それに比べて、燕だけは、主人が貧乏でも、古い巣に毎年戻ってくる」ということだろう。

裏には、「そこそこの地位にあると、人々は、次々とやってくるが、左遷されたり、退任すると、水が引くように、誰も近付いてこない。ただ、親友だけは、私が、どんなに逼塞しても、訪ねてくれるのは、有難いことよ」というようなニュアンスであろうか。

このようなことは、多くのサラリーマンも経験していることだろうし、定年退職すれば、人間関係も切れてしまう。確かに、そのことを人の冷たさと捉えることもできるが、これは致し方ないこと。人には、それぞれ生活がある。

大体、仕事でつながる人間関係は弱いものである。やはり、仕事で、つながらない学友を大切にすることが長い人生では意味を持つ。学生時代の友人は、人生において価値があるということを示唆している。学生時代に、そういうことを見越した付き合い方が求められる。だから、友人とは、決して、利害で、つながってはいけないということも指摘できる。

*追記

ところが、ローマには、同じ燕を扱っても、次のような言葉が伝えられている。

「燕たちが、夏の季節には、我々の所にいるが、寒さに襲われれば、いなくなる。それと同様に、偽りの友も、人生の波の平穏な時には、そばにいてくれるが、運勢の冬、来たるとなれば、皆、たちまち飛んでいなくなくなる」と。見方が異なると、考え方も違ってくる。

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