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2010年5月20日 (木)

他人の痛みを知るということ

小さい子どもの頃、母に、流風のほっぺたや太ももをつねりながら、「人の痛みを知る人になりなさい」とよく言われた。このことは、よく覚えているが、前後のことは、忘れてしまった。多分、何か悪さをしたのだろう。

ただ、他人の痛みを知るというのは、今になっても、現実には大変なことである。人は、他人が病気になったり、怪我をしたりすると、見舞いをして、同情するかもしれないが、同情は、他人の痛みを知ったことにはならない。

人は、他人の痛みを知るには、自分が経験しないと、真のわかったことにはならない。自分も経験した病気とか、怪我に対しては、単に同情だけでなく、痛みも知っているので、真に「痛みを知る」と言える。そこから発する言葉は真実に近い。

だが、世間で言われるほど、他人の痛みを知ることは容易ではないし、そうかと言って、すべての痛みをわかれば、生命の存在そのものが危うくなる。そういうわけで、痛みを知るというのは、安易には語れない。

もっとわかりやすく言えば、女性は妊娠して子どもを産むのに対して、男は、それができないから、女性の産む苦しみは、一生わからない。せいぜい出産するのに立ちあって、妊婦の妻が難儀しているのを確認するだけだ。だから、決して、その痛みを知ることはない。せいぜい、頭で理解するだけだ。

だから、安易に「他人の痛み」がわかるとは言えない。ただ、気持ちとしては、過去に痛みで苦しみ、今も痛みで苦しむ人たちの声を聞くことはできる。痛みを知るとは、結局、本人が痛みで苦しんでいる人の声を聞き、聞き届けてあげるということかもしれない。

そして、本人が痛みから脱するのを、せいぜい軽くしてあげる気持ちや思い遣りが求められるのかもしれない。今さらながら、「他人の痛みを知る」ということは、大変なことが分かる。そういうことで、流風も、母の教えを十分に達成できていないと言えるだろう。

*追記

逆にいえば、自分の痛みを知ってもらおうとするのは、無理かもしれない。あまり期待しないことだ。結局、いろいろ他人に相談はしても、いいと思うが、自分の痛みは、自分で解決するしかないようだ。それは仮にパートナーであっても、同様だろう。せいぜい思い遣りに期待するしかない。

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