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2010年6月30日 (水)

正しい治め方~『老子』第五十七章を読む

世の中の成り立ちは、複雑だが、国を治めるとなると、案外、正々堂々としたやり方が、いい結果を生む。いろんな策で国民をもてあそべば、結局は、大きなしっぺ返しを受けるのが常だ。『老子』第五十七章にも、そのようなことが記してある。

  正を以て国を治め、奇を以て兵を用い、

  無事を以て天下を取る。

  吾何を以て其の然るを知るや。

  これを以てなり。

  夫れ天下に忌諱多くして、民彌(いよいよ)貧し。

  民、利器多くして、国家滋(ますます)昏(くら)し。

  人、技巧多くして、奇物滋起こる。

  法令滋彰(あき)らかにして盗賊多く有り。

  故に聖人は云う、

  我無為にして民自ずから化す。

  我静を好みて民自ずから正し。

  我無事にして民自ずから富む。

  我無欲にして民自ずから樸なりと。

一つ一つ解釈していくと、次のようになるだろう。

まず「正を以て国を治め、~これを以てなり」を解釈すると、

「国を治めるには、変なことをせず、正々堂々とした王道のやり方がいい。戦争で兵を用いるには、奇道を以てするが、天下を治めるには、何もしないという方法が適切だ。そのことが分かった理由を以下に記しておこう」となるかもしれない。

次に、「夫れ天下に~盗賊多く有り」までは、次のように解釈できる。

「天下には、必要以上に禁止令がたくさんある。禁止令のために、民は、ますます貧しくなっていく。また文明が進歩して、いろんな便利なものができると、そのために国は、ますます、物事が見えなくなる。民は、技術や工芸力が増すと、世の中に貢献しない変なものが作られる。その結果、法令は、ますます複雑になり、その隙間を狙って、盗賊あるいは、盗賊の類が増えるのを助長している」と。

最後に、「故に聖人は云う、~民自ずから樸なりと」は、次のようになる。

「そこで、聖人は言っている。私は、民に、あれこれと指示をしなければ、民は民で考えて、それなりのことをするようになる。私が、静かにしていると、民は自然と正しい行動をする。私が、争いを好まなければ、社会は、それなりに安定して、民は豊かになる。私が欲を出さなければ、民は、無理をせず、純朴を保てるのだ」と。

これは何を語っているのであろうか。上から国民を法律で押さえつけても、世の中は複雑化するだけと言っているようにも見える。知恵は、お上にありそうで、案外ないのが現実だ。それは日本も同じこと。いろんな論議をして、いろんな法律を作って、がんじがらめになっている。

結局、自分自身だけでなく、国民も拘束して、自由を奪い、活力をそぎ落とす。それが他国からの要請と逃げるが、それは国家としての主体性が問われている。国は、国民が自分で考えて、自分の裁量で動けることを促進すればいい。

それで国民の目が届かないところに、目配りをすればいいのだ。なんやかんやと、口を挟み過ぎれば、国民は自由を失い、あるいは過保護になって、国の運営が難しくなっていく。上からの法治には限界があり、何事も明らかにして、国民が自ら考えるようにすれば、なるようになる。それが、政治をうまく運営することにつながると、老子は言いたかったのかもしれない。

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2010年6月29日 (火)

管中窺豹

相撲界は、長年の博打癖が明らかになり、大変なようである。時代と共にかわらねばならいけれども、そういうことに気付かなかったのだろうか。更に日本相撲協会は、財団法人であり、文部科学省の管轄内にあるのだから、もっと早くから自制するべきだった。大体、子どもが憧れる職業が、このようであってはいけないだろう。

さて、話は変わるが、かの王羲之にも、多くの居候連中を抱えていた。書生というのだろうか。彼らが庭先で、博打をやっていた。小人閑居して不善を為す、の類だろう。そこに王羲之の息子の王献之が通りかかった。まだ子どもである。

彼は、それを見て、「南風競わず」と言った。南風競わずとは、別の故事から来ている。晉が盟主の頃、野心家の鄭の子孔が、楚の軍隊を利用して政変を起こそうとしたのに対して、晉のいろんな立場の人たちが、失敗すると予言したもの。

子どものくせに生意気なもの言い。まあ、お坊ちゃんだから仕方ないか。門前の小僧、経を習うし゜ゃないが、普通の子どもと違って、いろいろ知識があり、いろんな言葉を知っている。

癪に障った、居候が言いかえしたのが、次の言葉。

「管中窺豹」

管の穴から見ても、豹の斑(まだら)がせいぜい一個ぐらいしか見えないように、お坊ちゃん、ちょっとだけ見ただけでは、まだまだわかりませんよということ。これに対して、王献之は反論しているが、その言葉は、あまり有名ではないので、ここでは取り上げない。

だが、ここから、反語的に、「一斑を見て全豹を知る」という言葉が生まれたという。「一を聞いて十を知る」という言葉もあるように、注意深く観察していれば、予測はできるものかもしれない。トップに立つ人は、そのようでなければならない。

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2010年6月28日 (月)

配布されない選挙公報

参議院選挙が始まったが、流風は、いつものように期日前投票の予定だ。どの政党の誰に入れるかは検討中だ。

それにしても、引っ越して、今住んでいる地域では、選挙公報が配布されない。今回は、まだわからないが、多分、配布されないだろう。以前、住んでいた神戸市では、必ず選挙公報が配布されていたのに。

これはなぜなのか考えてみた。多分、新聞をとっていないからだろう(神戸市では、新聞を取ってなくても、配布されたが、地区によって、対応が異なるのだろう)。すべての人が、新聞をとっていることを前提に、選挙公報を新聞に折り込んで配布しているのだろう。

実際は、ネットから政党や候補者の情報を得ているので、選挙公報がなくても、不自由することはない。情報経路が多様化した現在、選挙公報のあり方も、見直しが必要かもしれない。

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2010年6月27日 (日)

従業員は企業の代表

企業の従業員が、時々事件を起こしている。正規、非正規を問わない。それは昔も今も変わらない。その原因は、色々あるようだ。例えば、生活の乱れ、浪費による借金、企業への不満などが多いようだ。

残念なのは、本人に、彼らが企業の代表であるという自覚の無さであろう。仮に非正規社員であっても、雇用されている間は、企業の代表という自覚が必要で、企業側にも、そういう配慮が求められるが、十分でないようだ。

また一般に、営業などで外部と接すれば、自身は企業の代表であるという自覚を、ある程度、意識せざるを得ないが、内勤の人間は、意識が薄くなりがちだ。もちろん、外勤であっても事件を起こしている場合もあるが。

新人の頃は、企業の一員になれた喜びがあるのに、時と共に、その感動は薄くなるかもしれない。しかし、企業の一員であることは、企業の代表であるという自覚は常に必要だ。それは自分の行動が、一般社会に、その企業のイメージとして捉えられるからだ。

そして、その一方で、社会人の一人としての自覚も必要だ。企業に席を置いていても、企業活動が、社会に対して適正かという眼を失ってはならない。企業の代表であると同時に、社会人の一員であることは、トレードオフにはならない。

*追記

他方、企業側も、従業員に対して、プライドを持てるように配慮が必要だ。それは正規、非正規を問わない。人をモノ扱いすれば、いずれ、とんでもないしっぺ返しを受ける。

従業員が犯罪を犯せば、そのイメージダウンは避けることができないばかりか、組織全体の士気も落ちる。そして、犯罪が起これば、結局は、消費者離れにもつながるのだ。

雇用するという意味を十分考えて、人は雇わねばならない。人を雇うということは、覚悟が必要なのだ。

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2010年6月26日 (土)

特定看護師制度を考える

だいぶん前に入院した時、ベテランの看護師の方数名と話す機会があった。多分、退院間際だったと思う。どの方も、何でも、てきぱきとしている方々で、患者から見ても、安心感のある人々だった。もちろん、しっかりした女性ばかりだ。女性というより、男のような感じ(笑)。皆さん、師長クラスだった思う。

その方々と別々に話す機会があり、医療について、少し話した。なぜ医師でないと処置できないことが多いのかと、質問したところから、話が広がり、はじめて医療の仕組みは複雑だなと思った記憶がある。

その看護師の方の一人がが、ここだけの話だと前置きして、話すには、医療行為は、そんなに難しくなく、ある程度経験すれば、誰でもできるとのことだった。そして、法律の壁と男社会ゆえに、医師は変なプライドを持ちすぎ、妙に仕事を囲い込み、結果的に抱え込んでいるとも指摘されていた。

新人の医師の場合、大抵が、ベテランの看護師のアドバイスに従って治療することも多いという。ただ、看護師はわかっていても、直接手を出せないことは、いつも歯がゆく思うとも言っていた。医師免許という壁が、それをさせないのだ。

言葉を変えれば、医師は、「医療行為利権」を守りたいがために、医師免許のための試験がやたらと難しくなっているが、それは現実的でないという。そんなに試験を難しくしても、医療の現場では、あまり役に立たないそうだ。ところが、看護師を含め、他の人間には処置できない仕組みになっているという。

もちろん、高度な医療行為になれば、専門の医師でないと処置できないが、それは範囲が限られていて、大半の医療行為は、ベテランの看護師であれば、可能なようだ。現在、特定看護師制度について、論議され、医師会側は反対のようだが、医師が少ない現状、ベテラン看護師を特定看護師制度もいいが、準医師に転換させることができる仕組みも必要だろう。

もちろん、そこには、賃金コストの問題やら、いろいろありそうだが、知恵を出せば、なんとかなるのではないか。準医師を増やせば、本来の医師の仕事も整理され、ここまで医師不足が問題にならないのではないか。やはり医療制度それ自体に深い問題が横たわっているように思う。

*注記

以上の記事については、流風は現在の医療制度を十分に理解していないし、医師側の意見は聞いていないので、偏りがあるかもしれない。あくまでも、当時、看護師の方から聞いた一市民としての医療制度に対する印象です。

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2010年6月25日 (金)

昔の夕涼み

このところ、気温も湿度も高く、蒸し暑い。少し運動をすると、シャツは汗で、べたべたする。そのためか洗濯に回すが、天候不順で、外干しは難しい日もある。でも、内干しは、専用洗剤を使っても、室内に匂いは残る。すごしにくい季節だ。

こういう時の涼み方は、どうすればいいのだろう。でも、沖縄は、梅雨が明けたらしいので、本土も、間もなくあけるのだろう。小さい子どもの頃、梅雨が明ければ、夏の夕涼みと言えば、まず、必ず夕方になると家の周囲に水打ちしたものだ。一軒だけやっても効果が薄いので、各家、夕刻になると、一斉にやっていた。

しかし、関西は湿気が高いから、涼しくなるのは一時的で、却って、時間が経つにつれて、蒸し暑くなっていたような気がする。そして、縁台には、時々、近所の人や子どもが集まって、蚊やり豚の蚊取り線香を焚いて、団扇を煽ぎながら、スイカや瓜を食したものだ。

扇風機も、最初はなかったと思う(*注)。だから、扇子や団扇で、大人も子供も自分で煽ぐしかない。暑い暑いと言いながら暮らした。娯楽といっても、文明の機器はラジオくらいだったが、それはそれで、わいわい言いながら、結構、楽しかった。そのようにして、子どもは、近所に行き来して、近所の人々に顔を知られていった。

家族の会話も多かったと思う。それが高じて、両親は、夫婦喧嘩に発展することも多かったが。両親も若い頃は、物を投げ合う激しい喧嘩だった。でも、母は、壊れてもいい物と、そうでないものと計算しながら投げていたのは間違いない(笑)。喧嘩も、ストレス解消の娯楽の一つだったのかもしれない。夫婦喧嘩は、犬も食わないというが、その通りだろう。

また、扇風機は、電気事情の改善以前に、家庭向けに比較的早く普及したと思う。数十年使った古い扇風機は、親が亡くなって初めて処分したが、昔の商品は結構しっかりした造りだった。火を噴くような事故はなかったが、鉄の塊のようなもので、大変重かった。

もちろん冷蔵庫なんてものはなかったから、スイカ等は、井戸に浸けておいたら、かなり冷えていたものだ。冷蔵庫は、後に、氷冷蔵庫が、ほんの短い間、普及した。氷を買ってきて、冷蔵庫に入れ、冷やすのだが、夕方になると氷が切れて、用を為さなくなると母が騒いでいたような記憶もある。電気冷蔵庫が普及するのは、少し後のことだ。

もちろんテレビもないから、屋内の娯楽は、先ほども触れたように、ラジオを聞くぐらい。友達が来れば、将棋、七並べ、トランプとかメンコとかした。でも、遊びは屋外中心だったと思う。雨の日は嫌だった。

そして親の方針で就寝は早く、柱時計のボーン、ポーンという音を合図に、午後7時には寝間に入っていた。それは学校に上がるまで続いたし、その後も早かったと思う。早寝早起きの習慣は、その頃についたものと思われる。

寝間には、蚊の侵入を防ぐため、蚊帳(かや)が吊られ、それが何となく楽しかったのを覚えている。部屋の四隅の鴨居に木製の吊り手があり、それに吊るすのだが、早く吊るしてとせがんだものだ。もちろん、蚊に刺されるのが嫌だったのが一番の理由だろうが、なんとなく涼しくなるような感じの雰囲気が好きだった。

昔の夏は、何の娯楽もないので、このように長閑だった。人はいつから、こんなにせわしなくなったのだろうか。文明の進化は有難いが、それと共に、失われるものも多い。

*注 

後日、親戚から指摘されたところでは、扇風機は、比較的早くから、あったらしい。ただ、工場用の物のようだった。子どもの頃の記憶は、前後して、あやふやだ。また、テレビは、小学生の頃、白黒テレビが初めて自宅にやってきた。随分と偉そうに鎮座していたのを覚えている(笑)。

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2010年6月24日 (木)

男子、女子に違和感

ブログでも、使っている人たちがいるのが、「男子」とか、「女子」。学生でもない、いい大人の彼らが、「男子」とか「女子」とか言っている。でも、いいおっさんやおばさんを指して、「男子」とか「女子」は違和感がある。そして社会人を指して、「男子」とか「女子」というのもおかしい。

大体、「女子」とか「男子」とか、言い始めたのは女性だと思う。その思惑は、年齢のごまかしだ。ごまかしが言い過ぎなら、ぼやかしの意図があると言える。そのようにして、「私はまだ若い」と言いたいらしい。大人になりきれない女性の戯言のように聞こえる。

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2010年6月22日 (火)

誤った判断を避けるには

私達は、毎日、何らかの判断している。卑近な例では、昼飯は何を食べようとか、売り出しの商品は割安かなど、いろいろ。もちろん、もっと大きい判断に迫られることもある。そして判断基準は、人それぞれだろう。過去の経験から判断する人もあれば、合理的な判断をする人もいるだろう。

ただ、判断で、成功、失敗の分かれ目は何なんだろうか。良い判断をすれば、当然よい結果を招く。逆に、誤った判断は、身の不幸を招く。であれば、誤った判断は、どこから来るのか。このことは、『菜根譚』でも、警告している。それは次のようだ。

  偏信して奸の欺く所となることなかれ。

  自任して気の使う所となることなかれ。

  己の長を以て人の短を形(あらわ)すことなかれ。

  己の拙に因りて人の能を忌むことなかれ。

解釈すると、まず、「偏信して奸の欺く所となることなかれ」とは、次のように解することができる。一般に、極論は、面白く聞こえるものだ。世の中には、そういうことが巧みな人もいる。ただ物事を一面的に見せて、その他の面については、覆い隠すから、危険この上ないのも事実だ。そのことを理解した上で、彼らの意見を聞くことは、まだいいが、信じてしまうと、とんでもないことになる。

「自任して気の使う所となることなかれ」は、自信過剰による暴走を戒めている。人間、うまいこといくことが、たまたま続いたりすると、過剰な自信を持ったりする。だが、そこに落とし穴がある。多分、これは心の隙ができることを意味している。

「己の長を以て人の短を形(あらわ)すことなかれ」とは、自分ができて、他人ができないと、見下げたりする。自分の長所は、欠点の裏返しと考えておいた方がいい。だから、他人の短所を責め立てたりしてはいけない。

「己の拙に因りて人の能を忌むことなかれ」は、自分の拙さを棚に上げて、他人の才能を妬んではいけないということ。他者の才能は素直に認め、自分の持ち味を確認することが大切である。

彼が言おうとしたことは、心の偏りをなくし、自分自身をよく知る努力をし、他者の長所を見るようにし、他者に対する妬みを排せよ、ということのようだ。基本的に、自己を確立し、他に迷わされないことだ。そして謙虚な態度が求められる。そのようにすれば、判断を大きく誤らないということだろう。

 

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2010年6月21日 (月)

言葉が通じない!

時々、外国人の方から、質問を受けて、彼らの話す言葉がちんぷんかんぷんのことがある。いや、時々じゃなくて、いつもか(笑)。それでも、彼らが持っている地図などから、彼らの聞きたいことを探り、身ぶり手ぶりで説明する。まあ、旅行者に対する行き先ガイドは、それくらいで何とかなる。

でも、いつも聞いてくるのが、カップルの内の笑顔の女性ばかり。不思議と、いずれも美人ばかりだ。流風が選んだわけでもない。男は、いつも、少し離れて違うところにいる。むむっ、一瞬、新手の詐欺師かと思うが、勘繰りが強すぎたようだ(笑)。でも、まあ、美人局(つつもたせ)というのもあるよね。

それにしても、外国人は、道に迷ったら、聞くのは女性の役目なのかな。そういうと、日本人も、かっては、そうだったかもしれない。両親も、問い合わせするのは、いつも母の役割だったと思う。今は、どうだろうか。

さて、流風の所にも、若い人たちが時々やってくるのだが、時々、言葉に戸惑うことがある。彼らは、こちらのことはお構いなく、流行語を平気で使う。概ね、略語で、大した意味もない。その度、確認するのだが、そんなことも御存じないのですかという顔をする。でもねえ、仲間言葉は、どの世代にも通用するわけでもない。よく考えて、使ってもらいたいものだ。

逆に、流風が会話の中で、ことわざを使うと、若い人たちは、キョトンとしていることがある。反応がない。ああ、これは理解していないなと思うと、こちらから解説しているが、少し手間がかかる。教養がないとは言わないが、そういうことを教えない教育にも問題がある。確かに、現代では、使われていないものを、表現に使っているから、分りようがないではないかという反論も聞く。

でも、流風だって、実際に使ったことはなくても、知っている。時々、そんなことも知らないのかと言いたくなる。まあ、流風も、若い時は、いろいろ先輩から教えられたから、こういうことは、若い人を非難できないことも確かだ。我慢強く、説明して、今後も、伝えていくことにしよう。まあ、これで、ぐるっと回って、おあいこだ。

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2010年6月19日 (土)

喜怒を色にあらわさず

中国人の指導者の要件の一つとして、「喜怒を色に形(あら)わさず」というのがある。どこかの首相のように、突きあげられて、感情を露わにするようではいけません。まあ、流風なんて、偉そうなことは言えませんけれど。指導者じゃないからね。これでも、歳と共に丸くなった。

どんな状況にあっても、ニコニコと泰然なる姿勢を示せば、周囲は安心する。人間心理なんて、そんなものだ。どんな危機的状況でいあっても、トップが落ち着いていれば、周囲も、安心して、平常心を取り戻し、いつものことができる。

でも、そういう泰然とした態度を取るには、相当の修業が必要なことは言うまでもない。それには死線を踏むような、とまではいかなくても、相当な修練を積むことが求められる。トップになることはできても、どこかの首相のように、突きあげられて、すぐに辞めるようじゃ、いけません。

やはり、どの政党に限らず、おぼっちゃま宰相は駄目なようだ。でも、今度の庶民宰相も、気が短いようだが、四国のお遍路参りで、多少は、修練を積まれたのだろうか。あまりに短気にならないようにね(笑)。

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2010年6月17日 (木)

景気は気分

世の中、気分である。景気も、その一つだろう。どこかの国は、首相が替って、世の中、雰囲気が少し変わった。どこか安心感がある。安心感は信頼を生む。現実の国の状況は厳しいのだが、何とか野党と協議しながら、やってくれるだろうという風に受け止めている人が多いようだ。

もともと景気は、マスコミが言うほど悪くないが、消費者は気分で動く。口蹄疫の問題は、気分を暗くするが、全国的に広がっていないので、まだ危機感は薄い。価格が上がれば、いずれ、騒ぎだすかもしれないが。

また小売店の売り場を見ても、少し売り出しを打つと、客は増えている。消費不況というのは、あまり現実と違い過ぎる。やはり、ここでも、マスコミが騒ぎすぎて、ミスリードしているのだ。売り手は、いかに消費者の望むものを提供するかに尽きる。

そして消費者行動は、明るくなっているように感じる。別に給料が増えて、ボーナスが増えたわけでもないだろうが、節約疲れがあるのかもしれない。国の方が、きちんとしてくれれば、国民の方は安心感が増す。もちろん、まだまだ安心という領域ではないが、人々の表情を見ていると、そんなに暗くない。

街で見かける就職活動に励む学生諸君は、必死の形相だが、一流企業にこだわり、欲を出さなければ、何とかなる。求人自体は悪くない。ベストを尽くして、楽天的に考えれば、何とかなる。

それより学業が疎かになることの方が心配だ。今、大学は就職予備校に成り下がってしまった。学業より、就職活動を優先させなければならないのは、少し変。学校で何を学んだんだと、言われないようにしてもらいたいものだ。

景気のカギを握っている日本銀行も、なんやかんやと手を打っている。市中銀行は否定的だが、民間の事業開発に手をこまねいているのは、市中銀行の責任。日本銀行のすることをあざ笑うのは許せない。確かに効果性は、わからないが、その意欲は買う。ようやく実業の世界を何とかせねば、という意識になってきたのは喜ばしい。

そこで、心配されるのは、企業の人員不足だろう。仕事があっても、手がなかったらこなせない。そういう事態は、間もなく起こるだろう。いや、すでに一部の企業では起こっているかもしれない。いつの時代も、採用計画及び人材の育成を、ある程度、先を見て手を打ったところが残るのだろう。

今後、数年間は、景気のことは心配いらないだろう。ユーロがずっこけようが、米国の景気回復が遅れようが関係ない。皆が景気を意識した時、それは景気は更に良くなる。後は、経営者それぞれの手腕次第。

*追記

為替の変動を、騒ぐのは、投資業者や金融関係者だ。マスコミは、それに輪をかけて騒ぐが、景気には関係ないということを押さえておこう。企業の為替対策は進んでおり、為替で騒ぐ経営者は、過去のこと。

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2010年6月16日 (水)

子どもの目

子どもの目線は、大人と異なる。六眼では、童眼と呼んでいる。確かに、大人とは身長差があるから、見える物が異なるのはわかる。子どもは地面に近いから、地面をよく見ている。

地面で動いている生物をよく見ているのも、子どもだ。自分の子ども時代も、そうだったように思う。三歳頃、泥んこ遊びに飽きて、近所の人に何をしているのかと問われて、「アリさんの家を探している」と答えていたそうだ。

ひたすら、アリを追いかけ、土を掘り、たくさんのアリがいるのを見て、喜んでいたという。親から後年、教えられたことだが、記憶がある。たくさんの部屋に分かれ、白い卵のようなものもあった。近所のお婆さんは、「無体な。可哀そうなことをして。本人は、また何もわからないのだから、仕方ないけれど」と、母と話していたと思う。

でも、こんなことに、大人は気付かない。大人目線とは明らかに違う。そして、見る態度が違う。すべては新しい発見だから、先入観なしに見る。だから見方が素直だ。大人のように、いじくりまわして見ることはしない。見える物を、そのまま見る。そして、それが、そのまま記憶される。

でも、大人も、時には、童心に帰って、子どもだったら、どこが見えているのかを知り、子どもの観察態度を見習いたいものだ。まあ、アリの棲家を荒らすことは、さすがに、止めておいた方がいいと思うが(笑)。

*追記

もちろん、いろんな知識や経験を重ねた大人が、子どもの視点で、完全に見ることができるかといえば、それは不可能であろう。ただ、ある程度、訓練すれば、子どもの目線で、物事を見るのは可能だろう。それは意識せずに、無意識に、どれくらい集中できるか、ということだろうか。

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2010年6月15日 (火)

密眼と漠眼

仏教の教えの中に、六眼(りくげん)という考え方がある。その中に密眼と漠眼がある。六眼というからには、他に四眼あるが、それは機会があれば、後日取り上げよう。これらの考え方は、以前、別の表現で紹介しているが、違った表現もいいだろう。

さて、密眼とは、詳細に分析的に見ることだ。つまり深く見る。「見る」というより、「視る」が相応しいかもしれない。現象面を、ただ見るだけでなく、視るのである。人間、いつも、そうしているわけではないが、密眼すれば、物事の本質が見えてくる。

次の漠眼は、ざっくりと、全体感を見るということだ。すなわち森を見る感覚だ。密眼は、木を見て、森を見ず、という傾向がある。それに陥らないためにも、漠眼は大切だ。目が好過ぎると、常にピントが合った状態だが、目が悪いと、眼鏡をしないとぼんやりとしか見えない。しかし、そのことによって、見える物がある。

要するに、眼がいい人と悪い人は、対象の見え方が異なる。眼がいい方がいいが、時として、眼が悪い方が見えることがある。だから、眼が悪いからといって、いつも眼鏡をかける必要がないとも言える。

世の中、見え過ぎる人も必要だが、ぼんやりとしか見えない人も必要なのだ(*注)。

*注

但し、単にぼんやり見ているのでは、呆け老人だ(笑)。そこには、何か全体的に見える物がなくてはならない。見る意識もなく、ぼんやり見ているだけでは、新しい発見はできない。

まあ、別の意味では、ただ、ぼんやりしている時間も大切なのは事実だが。

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2010年6月14日 (月)

ただ酒呑み、笠家旧室という人

花菖蒲が満開だ。いい感じ。梅雨の時期のためか、やや涼しい。それでも、外から帰ってくると、冷たいものが美味しい。医師からは、冷たいものは控えなさいと忠告を受けるが、最初の一杯が美味しい。少しぐらいはいいだろう。

お酒も少し飲めば、酒は百薬の長だと思う。この時期は、少し冷で頂く。ただし、本格的に飲む人からすれば、飲んだ内には入らないだろう。

さて、酒呑みで有名な人は、いろいろいるが、今回は、笠家旧室を取り上げてみよう。彼は江戸中期の俳人だが、詳しくは知らない。体が大きく、異形の僧だったようだ。結構、奇行が多かったという。天才肌だったのかもしれない。俳号としては、活々坊、天狗坊、岳雨とか称している。

彼は落語にも、出てくる。それは『徳利妻』、別名、彼の俳号『活々坊』の場合もある。今回は、その話を備忘録的に。話は、活々坊は、酒を切らせたことがない酒好きということで登場。内田屋という酒屋の前を通ったが、我慢ならず、酒を一升五合を平らげる。

もちろん、お金は持っていないから、若衆に、こてんぱんにやられる。そこへ番頭が現れ、何ということをやるんだということで、逆に若い者たちを叱る。活々坊は、恐縮して、「叩かれたあとで花咲くなづなかな」と、一句を懐中の和紙に書いて、主人に渡してくれという。

主人は、その紙を見て、びっくり。「若い者が、とんだ失礼をしました。申し訳ありません」といい、更に、五合ほど振る舞ったという。一体、主人とどういう関係なのだろう。商売上、有力な顧客だったのだろうか。まっ、そういうことはなく、俳句を主人に教えていたのだろう。

彼は、いい気持ちで、歩いて行くと、今度は石屋の前を通ると、小僧が二升も入るかと思われる通い徳利を持ちだして、金槌で叩き割ろうとしている。彼は、それを止めさせ、理由を聞くと、「おかみさんの言いつけで、お歯黒壺にする」と言うので、「お歯黒壺なら、安い金子で買える。これらを壊すのは勿体ない」と言って、徳利の横に、「酒徳利かけて淋しや枇杷の花 旧室」と、一句書きつけた。

石屋の親方とは旧知の仲。ここも俳句を教えていたのかな。すぐに主人が出てきて、挨拶すると、また一升ほど頂く。句代が酒代になっている。更に気持よくなった旧室は、家に戻り、横になり、寝ると、夜中に女の声で、表を叩いている。戸をあけると、若い美しい女がいる。

そして言うには、「先程は有難うございました。お陰で命拾いしました」と。「はて、私には、全く覚えがないが」と言うと、その女が言うには、「私は、石屋の小僧に、口を砕かれようとしていた徳利でございます」と。

袖をまくると、二の腕に、先刻の俳句が記されていた。そして女が言うには、「恩返しとして、私を女房にしてください」と。これぞ、押しかけ女房。旧室、びっくりして、「女房にしてくれと。まあ、お前は徳利だから、おっと(夫)徳利を慕うのだろう」というオチ(*注)。

これだけ、ただ酒を許される人も珍しい。俳句の師匠と門人という関係なのだろうが、愛された師匠だったことが推定される。流風なんて、門人もいないし、せいぜい物産展で、試飲を勧められる程度だ(笑)。それも、少しでも飲めば、すぐ顔が赤くなるので、安易に受けとらないけれど。自宅で、花菖蒲を眺めながら、缶チューハイでも飲みますか。

*注   おっと徳利

徳利の蓋がちょこになっている物。

*追記

彼は、晩年、ある宴会の帰り、人が送るというのに、それを断り、その途中、足を踏み外して、川に落ち、亡くなったようだ。これは笑うに笑えない。彼の一生が、酔った人生だったのかもしれない。ただ、彼に学んだ弟子が多いのには、それなりの魅力があったのだろう。

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2010年6月13日 (日)

ユーロ経済の崩落

予測されたことだが、ユーロ経済がガタガタだ(構成しているすべての国が悪いわけではないが、全体として)。それは、かつてシュペングラーが、『西欧の没落』を書いて、あらゆる生物や経済の周期同様、いずれ衰退の運命にあると説いたことが、現実のものになりつつある。

ユーロ経済の立て直しは、簡単ではなく、新しい芽が出るまで、衰退の一途をたどるのが、正しい見方であろう。過剰な回復の期待はしない方がいい。しばらく混乱し続けるのは仕方ない。少し落ち着いても、過去の栄光を取り戻すのは、難しい。

西欧社会は、かなり前から衰退の域にあったが、それまでの資産を食いつぶしながら、誤魔化して何とかやっていたのが事実だろう。さらに、統一ユーロという幻影に惑わされ、また、それを急ぎ過ぎたことが、禍を大きくしている。そして、いざパンドラの箱を開けてみれば、一部の諸国家が、資産以上の食いつぶしが明らかになり、パニックになっている感じだ。

これには、いろんな見方がある。実物経済の無視、修正資本主義の行き過ぎ、ユーロ統一に急ぎ過ぎたことなどだ。

まず、凡そ、人間が身体を動かさず、実質的活動もせず、頭だけで稼ぐようになると、それは明らかに虚業な訳で、長続きするものではない。多くの人は、虚業が危ういものと知りながら、楽できると夢を見ていたのだ。情報サービス化社会の危うさは、そこにある。

また、過剰な社会保障も同様だ。それは、資本主義体制にありながら、社会主義のやり方を過剰に取り入れた弊害として、社会保障体制の充実があるだろう。自分が稼いだ以上に、国から保障をもらうというのは、やはり限度がある。

そして、ユーロの理念はわからぬこともないが、あまりにも急ぎ過ぎた感がある。国の統治の方法、財政、国民性、経済力、産業特性などを無視した統一には、崩壊を加速したことを証明した。これはアジアにおいても、十分参考になるだろう。

以上のように、ユーロ崩落の要素は色々あるが、基本的には、繰り返すが、頭のいい人は、身体を動かさず、利益を上げようとするが、それは限界があるということだろう。すなわち、それは金融で利益を上げようとすることである。

しかし、それは投資という名であっても、博打と何ら変わることなく、誰かが得をすれば、誰かが損をするのだ。皆が利益を上げると錯覚するのは、経済が常に成長している時だけだ。そういうものは、いつまでもできるものではない。実物経済があって、それらのこともできることを忘れてはならない。

よって、実際のところ、実物経済の活性化なくして、本当の経済の成長はあり得ない。西欧社会は、早くからキリギリス経済に突入し、今、破綻が表面化しているように見える。更に、急ぎ過ぎたユーロ統一は、却って、崩落を加速させている。モザイクのような内部の経済の脆弱性が更に輪を掛けているのだ。

ユーロは、早晩、崩壊する。多分、ユーロ経済の没落傾向は今のままでは、長くなるだろう。最早、彼らを模範とする時代は終わりつつある。未だに、西欧のシステムに憧れる政治家や文化人がいるようだが、頭の切り替えを早くすべきだろう。政治家も、経済人も、文化人も、彼らに倣う必要はない。

日本も、これを他山の石とし、長期に実際の経済が活動できるよう再構築して、独自に仕組まなければならない。学者や研究者たちは、西欧社会が進んだ社会と誤解し続けてきたが、大幅に修正する必要があるだろう。

日本も、早く、国の立て直しをしないと、ユーロの二の舞になる。いかに自分で考え、自国に相応しい仕組みを作り上げる時が来ている。そして西欧が中心になって作った彼らに都合のいい世界システム(多くの国際機構は、彼らに都合のいいように創られている。それらの組織が作った各種委員会の運営、BIS規制や、排出権取引など)も改廃が求められる。

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2010年6月12日 (土)

慈恵の難しさ

困っている人を助けたり援助することは、それなりに意味があるだろう。ただ、受け手に甘えがあれば、慈恵というのは、なかなか難しいことのようだ。この文字からすると、「慈」とは、人に思い遣ることで、「恵」とは、「人に物を与えたがる」という意味だ。

まず、「慈」は、以前のブログで示した「思い遣り」ということだ。これの問題点は、関係者にいろいろ配慮するということで、関係者に毅然とした態度を取れないことである。相手の事情を知り尽くしているがゆえに、相手が間違っていても、それを糺せないこともありうる。

「恵」は、「無条件に与える」という面がある。それは「慈」によって生じるのかもしれない。よって、組織であれば、成果を上げていない人間にも、褒賞を与える可能性がある。そうなると、組織はどうなるか。完全に、だれてくる。努力しなくても、賞がもらえるなら、誰も努力はしない。人間は本来、怠惰なものだ。

よって、この「慈」と「恵」が結びつくと、大変なことになる。行きつくところ、とんでもなく収拾がつかなくなる恐れがある。確か、ある医学系の大学の名前は、そのようになっているが、医学者的な見地では、いいとしても、組織を運営するには、問題の多い言葉といえる。

もちろん、それぞれに条件をつければ、それなりに成立するかもしれない。例えば、受け手が、それなりに努力し、「適切な慈恵」になるようにするとか。あるいは、権利と義務のバランスを取るようにするとか。でも、そういう風に表現すると、慈恵の意味が、ほやけてしまう。そこに言葉の難しさがある。宗教者でもない限り、何気なしに、この言葉の使ってはならないということだろう。

*参考文献 『韓非子』

*追記

最近は、無償ボランティアが当たり前のようになっているが、あまり宜しくない。本来、義援金の中で、処理されるべきものだ。それで、格安に業務を受けてくれるというのであれば、それは問題が無い。あるいは無償ボランティアの期間を設定することも考えられる。

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2010年6月11日 (金)

昔あった「肉なしデー」

宮崎県の口蹄疫の惨状はすさまじいものがある。ウイルスが海外からもたらされたとすれば、国際大交流時代の産物かもしれない。かつて、すべての病は、海外からもたらされると云われた。やはり人の移動や物流を含めて、あらゆる移動を制限しないと解決しないようだ。

また、この問題は、完全に解決するには、数年かかるだろうと言われている。国内の肉の流通に支障が出るのは避けられない。流風は肉食中心の生活ではないので、そんなに困らないが、肉食に慣れ切ってしまった人々には大変かもしれない。

そうかと言って、輸入肉は、それはそれで心配ということであれば、これを機会に肉食を減らせばいい。よく夏場に、夏バテ防止に、焼き肉がいいと言うが、それは事実ではないらしい。夏バテを防ぐには、別の手がある。そのことは、いずれ記そう。

さて、戦前にも、「肉なしデー」というものがあったらしい。一カ月に二回ほど、肉屋は一斉に休業し、飲食店でも、肉入り料理は出すことはできなかったと聞く。その趣旨は、贅沢を戒めることにあったようだ。

現在は、当たり前のように食する肉類も、もっと有難く食するべきなのかもしれない。それに食べ過ぎは、あらゆる病を招く。現代人は、知らず知らず、肉を過剰に摂取している。そうであれば、この口蹄疫問題を機に、食生活を見直すべきかもしれない。

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2010年6月10日 (木)

気晴らし~漢詩 『鶴林寺に題す』

先日、加古川の鶴林寺に行ったことを記したが、中国の同じ名の寺を題材にした詩を、今回は挙げてみよう。それは以前にも、紹介した李渉の『鶴林寺に題す』だ。李渉については、その時に記したので、ここでは省く。その詩は、次のようになっている。

    終日昏々たり 酔夢の間

  忽ち春尽くると聞いて 強いて山に登る

  竹院に過ぎって 僧に逢うて 話するに因って

  又た浮生半日の閑を得たり

例によって解釈すると、次のようになるだろうか。

「鬱々とした気持ちを晴らそうと、酒を嗜んだのはいいが、飲み過ぎて、いつの間にか日も暮れて、夢の中のように、ぼおっとしている。そうしていると、そんなことをしていれば、折角の春も終わってしまいますよと、声を掛けられたので、酔い覚ましに、近くの山に登ることにした。

竹林に囲まれた寺の書院に着くと、思いがけなく、僧がなんやかんやと、世話を焼いてくれる。料理などいろんな、もてなしを受けながら、禅問答をしていると、俗世間を忘れて、この浮世の煩わしさから逃れて、半日の時を過ごし、気が晴れた」と。

人間、誰でも、いろいろあって、気分転換は必要。ただ酒で紛らわすというのは、あまりいい方法ではない。方法としては、まず自然の中で深呼吸して、身体を動かすこと。そして、現実とはまったく違うことに接すること。もう一つは、第三者と違った分野の話をすること。李渉も、それに気づき、そのうれしさを詩に表したのだろう。

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2010年6月 9日 (水)

富貴名誉ということ

ガーデニングをしていると、わかることがある。すなわち、地植えした花、鉢植えした花、花瓶に切り花したもの、と、それぞれに味わい深いものがある。どれが好きかは、人それぞれだろう。

このことを、富貴名誉に譬えたものがある。それは『菜根譚』で、次のような言葉が記されている。

 富貴名誉の、道徳より来たるは、山林中の花の如し。

 自らこれ舒除繁衍す。

 功業より来たるは、盆檻中の花の如し。

 すなわち遷徒廃興あり。

 権力を以て得るもののごときは、瓶鉢中の花の如し。

 その根植えざれば、その萎むこと立ちて待つべし。

少し見慣れない文字があるが、大体のことは誰でもわかるだろう。蛇足的に記すと、次のようになる。

「富貴名誉を徳望によって得たものは、山林の中に咲いている花のようだ。これらは、根をしっかり張っているので、それぞれの環境条件によって、程度は違うが、時間をかけて、ゆっくり繁茂していく。

富貴名誉を功績によって得たものは、鉢植えの花のようだ。時により、他所に移されたり、入れ替えされる。それゆえ、いつまでもというわけには行かない。

富貴名誉を権力によって得たものは、花瓶の切り花に過ぎない。根付くことがないので、時間の経過と共に、枯れていく。儚いものだ」と。

地位も名誉も、お金もない流風にとっては、関係のないことだが、若い人たちの中で、富貴名誉を得られたら、以上のように考えておけば、いいだろう。

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2010年6月 8日 (火)

超簡単ヨガ

母の書籍を整理していたら、結構、健康関連のものが多い。あまり強くなかった母は、健康に人一倍関心が強かったから、年齢と共に、いろんな書籍を入手したのだろう。ただ健康オタクというのは、そういう風にして、かえって、病気を呼び込むとも云われる。

年齢と共に、人間、誰でも、あちこちに不調をとなえるが、これは致し方ない。いかに不調と付き合うかだろう。人間の命は、永遠ではないのだから、ケセラセラの精神で、どうにかなる、と楽天的に振る舞うのがいいと思う。

そういう流風も、体調の悪い時は、母と同様のことをしていた。それで却って、心身ともに暗くなる。これでは、いかんということで、最近は、あまりそういう書籍には手を出さないようにしている。

ただ、先日、本屋に行っていて、ふと次の本が視野に入った。『和風ヨーガ』(講談社+α新書刊)と題し、著者は、ガンダーリ松本氏。日本の女性だ。表紙に顔が映っているのだが、結構、おばちゃんに見える。何歳ぐらいなのだろう。すみません(笑)。

手に取ると、面白そうなので、購入した。なぜかというと、帯の謳い文句が、「一日たった3分!医者いらずの超癒しメソッド」とある。更に、「気になる場所に優しく触れるだけで、超簡単」とある。内容は、あの難しいヨガを誰にでもできるように、日本人向きにアレンジしたものらしい。

年齢と共に、身体は堅くなる。そして使う箇所が固定する。結果的に、ますますよくなくなる。身体を柔らかくするには、ヨガなどもいいのだろうが、教室に行くのが嫌だ。それに運動音痴には難しそうだし。

またラジオ体操もいいが、いつでも、どこでもというわけにもいかない。音楽なしで、やってもいいのだろうが、なかなかね。ちょっとした合間の軽い運動ができれば、それにこしたことはない。そういうこともあり、この本が目に留まったのだと思う。

流風も、一通りやってみた(ただし、パートナーが必要なものはパス)。確かに、これは子どもでも、高齢者でも簡単にできる。本当にヨガなのかと思ってしまうが、ヨガの要素は取り入れているらしい。

まあ、これなら運動嫌いの流風も、ラジオ体操同様、可能だ。否、ラジオ体操より簡単。ちょっと手待ちの時間にもできる。それに、それぞれのネーミングが素晴らしい。例を上げると、「駄々コネコネ体操」、「ガンコほぐし体操」、「耳のチョキこすり」とか、面白い。

ヨガのスクールに行って、仰々しくやるのもいいのだろうが、気楽にできるヨガもいい。結局、書評になってしまったが、いいと思うよ。本屋で立ち読みしてみて(笑)。

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2010年6月 7日 (月)

漢詩 『花を惜しむ』一考察

流石に暑くなってきて、木々の花々は、ほとんど終わってしまった。アジサイなどは、シーズンなのだろうが、植えていない。ちょっと寂しいなと思ったら、バラの花がまた咲いた。これは、かなり前に、百貨店で、花の色が両親が気に入って、購入し植えたものだ。

鮮やかな色であることは確かだ。春の頃にも咲いた。季節ごとに咲くようだ。ただ手入れが十分でなかったのか、肥料が足りなかったのか、やや小さい。近所を歩くと、見事に咲いている家もある。うまいなあ。教えてもらおうか。

そして、鳥の鳴き声も、鶯の声も、さすがに聞かれなくなり、雀たちが騒がしく、チュンチュンと啼いている。いろんな鳥たちが、飛び交っている。ツバメがさっと飛んでいった。いつ見ても美しい姿だ。

さて、漢詩にも、花を惜しんだものがある。作者は不明で、蘇軾とも云われるが、わからない。詩題は、『花を惜しむ』。

  花正に開く時 天晴れず

  晴るる時 満樹緑陰成る

  闌干に倚り遍くして空しく惆悵す

  静かに聴く 黄鸝の一両声

作者の詩作の意図はわからないが、表面上の解釈をしておこう。

「今年は、花が満開の頃は、雨にやられるなど天気が悪い。そして、天候がよくなったと思ったら、花の時期は終わり、すべての木々は新緑で覆われている。私はと言えば、欄干に寄り掛かり、空しい思いに覆われている。そして、春の終わりを告げる鶯の声を静かに聴くだけだ」。

これは作者のどのような状態だろうか。多分、不遇の時を迎えた作者が想像できる。「いろいろチャンスはあったのに、タイミングが悪く、悉くチャンスを活かせない。これも巡り合わせなのか。左遷先の田舎で、無念さの中で、久しくじっくり聴くこともなかった鶯の声は、却って、空しさを倍加させる」というような解釈ができる。

なお、詩題の『花を惜しむ』は、『春を惜しむ』とも伝えられている。作者は、自分の春が終わり、夏も楽しめず、いきなり、秋か冬の気分なのかもしれない。だが、以前にも記したように、不遇の時代は却ってチャンスと考えるのも、処世の一つであろう。

*追記

不遇とは、狭い範囲内での相対的なものだ。第三者から見れば、とてもそう見えない場合もあるし、確かに可哀そうと同情される場合もあるだろう。しかし、世間を広く見れば、不遇と感じても、実際は、思い込みで、案外遠いところにある場合も多い。要するに、上を見ればキリがないし、下を見てもキリがないのだから、自分自身の中で、いかにバランスを取るかが求められる。

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2010年6月 6日 (日)

人間が愛玩動物を飼育するということ

日本は確かに豊かだとは思うが、動物を飼う人が確かに増えている。いつも散歩させている人々には遭遇するし、買い物にも同行させている人も多い。これは以前にも記した。

ただ、人は、なぜ動物を飼うのだろう。動物に癒されるという人も結構いる。手間暇かかっても、世話をすることで、ストレスが解消されるのかもしれない。それはガーデニングと似ているかもしれない。

しかし、植物は、葉の勢いがあるとか、花が咲き、実がなる、とかの反応しかないのに対して、動物は、すぐ反応するのが、飼い主にとってはたまらないのかもしれない。だが、いかなる理由があろうと、飼い主は、「ご主人様」である事実は間違いなかろう。

動物を飼うのが女性が多いのも、そういう理由があるかもしれない。本来、女性は支配されることに喜びを感じると言われてきたが、現代は必ずしもそうでないのかもしれない。現実は、まだまだ男社会であるし、自分が代わりに何かを支配したい欲求に捉われるのかもしれない。

もちろん、飼えば、それなりに愛情を持つのだろうが、所詮、支配・被支配の関係は崩れない。そういった中、捨て犬・捨て猫等について、動物愛護の主張をされる方々がいるが、それは現象への対応に過ぎない。

基本的に、飼っていても、最後まで面倒を見てやれない人が多い事実がある。人間を取り巻く環境は刻々と変わってくる。しかし、人間のために作られた愛玩動物は、自分だけで生きることはできない。また野に放たれ、野性を取り戻せば、人間にとって、厄介な存在になるだけだ。

やはり、ここで求められるのは、国内の愛玩動物の所有制限だろう。そして、繁殖制限だろう。愛玩動物が人間のために作られたのなら、制限はやむを得ない。人間社会に生きる動物の運命なのかもしれない。そこに、あまり感傷的な行動は、個人としては尊重するが、結果的には、あまりいい方向に行かないような気がする。

最近は、生物多様性という言葉が使われるが、人間と動物の共存は、なかなか難しい。なぜなら、人間と動物の総量は一定と考えられるからだ。人間が増えれば、動物は減っていく。

逆に、愛玩動物が増えて、餌を食べれば、地球上では、飢えに苦しむ人が増えるかもしれない。そして人間は、極限に追い込まれれば、その愛玩動物を食べるかもしれない。このように考えると、地球上で、人間が動物と共存することがいかに難しいかという結論に達する。

人類と他の生物の多様性を維持するのは、現実的には難しい。卑近な例で言えば、鯨を保護すれば、魚の量は減る。魚を主食としている人々は、それだけ食糧が減る。鯨保護を訴える人々は思慮が浅い。

生物多様性とは、知識人の感傷に過ぎないとも言える。人類は、生きるために、他の動植物を食してきた。このようなトレードオフの解決策は、止揚できるのか。本当に、人類は知恵を出せるだろうか。

*追記

もちろん、一時的な現象面での対応として、捨てられた犬たちに、新しい飼い主を探そうというボランティアに対して、それを否定するつもりはない。ただ、捨てられないようにするには、どうするかということを考えなければ、いたちごっこになる。

そして、動物を飼うということは、それだけ本来、人間が食するための物を、動物が食糧を消費しているということも考えなければならない。共存とは安易な考え方では、すまされない。

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2010年6月 5日 (土)

好き嫌いを脱し包容力を~『菜根譚』より

生まれて、「好き嫌い」という言葉に接するのは、大抵が母親からだ。それは食べ物の好き嫌いを無くしなさい、ということだろうが、好き嫌いは、食べ物から始まって、接する人間にも出てくる。

ウマが合うとか、合わないとか。自分の育った環境が異なると、自然、雰囲気も話し方も違う。それが似ているのは容認できるが、異なるものを毛嫌いする。いじめなども、凡そ、そういうところからだろう。

子どもの頃は、余程小さい頃から人に揉まれていない限り、程度の差はあれ、そういう感情を持ちがちだ。大人になるにつれ、世間には、いろんなタイプがいることを知るが、それでも、好き嫌いの感情を露わにする人もいる。流風だって、偉そうなことは言えない。誰にでも、同じように接することができるかと言えば、未だ十分ではないだろう。

『菜根譚』では、次のように戒めている。

  身を持するは、太(はなは)だ皎潔なるべからず。

  一切の汚辱垢穢(こうあい)をも、茹納し得んことを要す。

  人に与(くみ)するは、太だ分明なるべからず。

  一切の善悪賢愚をも、包容し得んことを要す。

例によって、解釈をしてみると、次のようになるかもしれない。まず一行目は、「身を持する」とは、世の中を渡っていくには、というぐらいの、ニュアンスであろう。また「皎潔」の意味は、皎は、明るいという意味だから、続けて、明るく潔いということ。つまり、「世の中を渡っていくには、あまり潔癖で、堅いことを言っていては、うまく行かない」と言っている。

このように言うと、真面目な方は反論するかもしれない。また現在のマスコミ人や偉い学者様も、顔をしかめるかもしれない。潔癖を好む女性や学生も反論するだろう。でも、真面目すぎると、世の中、うまく行かないのも事実なのである。不真面目になれとは言わないが、非真面目は必要だ。

二行目は、「すべての汚い垢や穢れをも、呑み込み、顔に出さず、腹に収める努力が求められる」と。戦前の人々や、戦前の教育を受けた人々は、「清濁併せ呑む」ということをよく言った。これは何を意味するかというと、きれいごとの裏側にあるものや、汚いことの裏側にあるものとは、表裏一体であると理解していたのだ。

禅僧は、人間のことを、糞袋と言っている。きれいな食べ物を食しても、出てくるのは汚物だ。でも、それは人間がやっていること。どちらが正しくて、どちらが正しくないなど、どうして言えようか。

三行目は、「凡その社会の中の人と人の関係では、好悪の感情をすべて表してはならない」と言っている。親しい人でも、なかなか、その本心や心の奥底までわからないのに、外見や、その言動から、すべてを判断してはいけない。

最終行は、「だから、すべての人は、一時的な感情で判断せずに、見識を磨き、いろんな人がいるんだなあ、という広い心で、受け止める包容力を持ちたいものだ」と言っている。凡そ、自分のことでさえ、十分に分かっていないのに、他人のことが簡単に、わかるはずがない。そうであれば、安易に他人を判断してはならないということだろう。

つまり他者に対して、瞬間的に感じたり思ったことも、一旦は呑み込み、咀嚼する心の余裕が欲しいものだ。結局、彼の言っていることは、社会を一人一人が、もっと深く洞察しようではないかということではなかろうか。

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2010年6月 4日 (金)

父と『菜根譚』

父は、流風に対して、しつこく説教することはなかった。それは流風が、すぐ反発することを見越してのことだろう。母は、繰り返し同じことを何回も言うので、嫌になったが、それが母の愛というものだろう。

父には、学校の成績が悪くても叱られたことはないが、たまに発する一言一言は厳しかった。それだけに、言葉一つ一つに重みを感じた。子どもというものは、親の言うことを聞いていないようで、しっかり聞いているものだ。それが子どもというものだ。

ただ、しつこく言わない父に、生涯、一つだけ、多少繰り返し言われたことがある。それは、『菜根譚』を読んだか、ということだ。

一番最初は、学生の時であったように思う。社会人になってからも、初任給で親に何かをプレゼントした時、言われた。その時も、単に聞き流した。これから色々仕事を覚えなければならないので、頭が一杯だった。

そして、30歳前後になった時に、「『菜根譚』は読んだか」と、また聞かれた。仕事は忙しかったが、聞く耳は持っていた。初めて、『菜根譚』なる書物を確認しようと思った。今から思えば、当時ビジネス書を読み過ぎることを危惧しての警告だったのかもしれない。

本屋に行き、早速買い求めた。ただ、さらっとは読んだが、仕事にかまけて、深い考察はしなかった。後は積読状態(笑)。それから10年くらい経ってから、また「『菜根譚』は読んだか」と言われた。

父が、これだけ拘って言うからには、何か重要な意味が含まれているのだろうと、初めて熟読することにした。その内容は、言葉は簡潔だが、意味は深かった。著者は、明末期の時代の洪自誠という人が書いている。

どういう人かはよくわからないらしい。内容はと言うと、儒教、道教、仏教をほどよく、アレンジした人生の指南書というべきものである。今、また読みなおしている。若い時に読んでおけばよかったとも思うが、果たして、当時、本当のことが理解できたかどうか。

でも、若い人も、本当のところはわからなくても、早くから、この書に触れておくことは無駄ではないかもしれない。今後、拙ブログでも、『菜根譚』から、いくつか題材を取って、記してみたい。

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2010年6月 3日 (木)

兵庫で太子を感じる~鶴林寺(下)

鶴林寺には、色々な寺物があって、一部、それは宝物館で展示されています。その中で、やはり面白いのは(こういう表現は不遜かな)、その盗まれたという『聖徳太子絵伝』だ。剥げ落ちた分のコピーと、手書きの模倣画が展示されている(*注)。

展示では、よくわからなかったが、図録によると、第1幅と第2幅は、善光寺縁起であり、第3幅は、太子の生まれる前の話と誕生から5歳までを描いている。第4幅は、太子5歳から12歳ま手を描き、第5幅では、太子13歳から21歳までを描いている。

続いて第6幅では、太子21歳から42歳まで、第7幅では、太子27歳から38歳まで描かれ、第8幅では、太子43歳から50歳まで描かれている。ここでは、遷化と葬儀の様子が描かれている。それ以後は、大化の改新の経過が描かれている。

これらの物語は、『聖徳太子伝暦』をベースにしながら、『日本書紀』、『聖徳太子伝補闕記』等を参考にして、作られていいる。ただ、引っかかるのは、聖徳太子の遷化後の大化の改新まで描いていることだ。

これは明らかに、当時の権力者が、太子を利用して、大化の改新を正当化するのに利用していると言えよう。歴史書の類が多くがそうであるように、歴史書は、書かれた時点の権力者の意向が強く働く。

太子は、新羅系の蘇我氏の一統で、明らかに新羅の流れをくむ人物だが、蘇我氏は、物部氏と対抗するうえで、仏教を支持し、百済系と組んだ。そして、蘇我氏は物部氏に勝つ。しかし、その後は百済系と主導権争いをし、一時期は、蘇我氏が権力を握るが、大化の改新で、百済系が勝利した。

このように見ていくと、古代においては、いかに朝鮮半島の渡来系の人々の影響が大きかったがわかる。仏教にしても、教科書では、仏教伝来は百済からと教えられたが、事実はそうではなく、高句麗、新羅、百済、あるいは北魏辺りから、それぞれから、入っている。その中で、太子は、高句麗の僧からの影響を強く受けた。その理由は流風には、わからないが、強く心に響くことがあったのだろう。

しかしながら、太子の意向は、大化の改新以後、強く現れ、日本が独自の文化を確立する流れになった。平安時代に入ると、誰も、それぞれの出自を主張することなく、日本人として、純化していく。そういう意味で、太子の果たされた役割は、なんと大きいことか。

*注

やはり、これらも美術品コピーの技術を活かして、そのままではなく、全幅の話の内容を、子どもでわかりやすく、分解展示し、コーナーを作って展示するべきだろう。この寺の観光魅力を増すには、そういう工夫が求められる。

*追記

説話で有名な「あいたたの観音様」の金銅聖観音像を宝物館で鑑賞する予定だったが、他のことに気を取られ、見逃した。展示してあったのかな。情けない話(苦笑)。さて、この説話は、盗人が、この像を金で、できていると勘違いし、盗んで溶かそうとしたが、「あいたた」という観音様の声に驚き、像を返して、改心したという話。像は返されたが、曲がったままという。

そういうと、最近、JR亀有駅前に飾ってある「麗子像」(流風はよく知らないが、岸田劉生の「麗子像」では決してない。ごち亀の秋本カトリーヌ麗子がモデルらしい。よくわからん)を誰かが曲げたらしい。専門家によると、一からやり直さなければならないということだったが、翌日、誰かが、元に戻していたという不思議な話があった。いつの時代も、不埒な者がいるものだ。でも、誰が、どうして形を戻したのだろうか。これも不思議だねえ(笑)。

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2010年6月 2日 (水)

兵庫で太子を感じる~鶴林寺(中)

そして、不幸なことに、2002年、重要文化財の『聖徳太子絵伝』、『阿弥陀三尊画像』等八点が盗まれ、後、『絵伝』は、破損された状態で取り戻されたが、その修復には、大変な年数と費用が掛ったようです。しかし、その他の画像はほとんど戻っていないようだ。

これらを盗んで、どれほどの意味があるのだろうか。結果的に貴重な文化財を傷つけただけだ。犯人は、日本人か、外人かどうかわからないが、日本人の歴史資産を冒涜する行いは止めてもらいたいものだ。彼らに、いずれ罰が当たって、不幸が訪れるだろうが、それは先人の意図するところではない。不幸は、自ら招くものだ。

ただ、それなら、最近、京都の寺では、よくやっている電子コピーの技術を利用した複製の展示があっていいのではないかとも思う。ただ複製するにしても、費用はかなりかかるようで、寺の資金では、到底賄うことはできず、京都のような観光地のような寺社仏閣のようには行かないという。

だが、そうだろうか。公費には全面的に期待できないかもしれないが、檀家以外で、全国から少額の寄付でも募れば、それなりに集まるのではないだろうか。今は、ネットで寄付を募る方法もある。問題は、どのようにしていきたいかという、寺の意志だ。目的が明確であれば、賛同は得られるのではないか。

更に、それなりに聖徳太子を尊敬している人は今でも多い。その関係施設の宝物が、複製であっても、きれいな状態で、常時見ることができれば、むしろ喜ぶ人も多いと思う。複製の方が本物より美しく見られるのなら、それはそれで価値がある。

それに、剥げ落ちたか絵を見ても、今一つ、一般には有難さが伝わらないだろう。やはり当時の絵の雰囲気が分かる複製画は意味を持つ。よって、早く複製をつくって、本物は、国か県の美術館に保管してもらうシステムに切り替える発想が必要だ。

確かに、檀家や信徒にとっては、本物が有難いのだろうが、それはそれで機会を見て公開すればいいし、一般客には、複製画で楽しんでもらうという柔軟な考え方が必要と思う。

次回に続く。

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2010年6月 1日 (火)

兵庫で太子を感じる~鶴林寺(上)

先日、兵庫県内で、聖徳太子を感じることができる、刀田山 鶴林寺に行ってきた。斑鳩寺と違って、ここは以前行ったことがあるのだが、その時は、JR加古川から、歩いたのが間違いで、歩くと相当な距離。それに迷ったから、大変時間がかかり、着いた時には、疲労困憊。結局、休憩して、さっと見て回っただけだった(苦笑)。

それに懲りて、今回は、山陽電車、尾上の松駅下車、そこから歩いて行ける距離とは思ったが、行きはタクシーを利用。羹に懲りて、膾を吹くの類(笑)。そういうわけで、今回は、少し、じっくり時間をかけて観覧した。

鶴林寺は、『日本書紀』に記されているように、播磨国で、仏教活動をしていた、高句麗からの渡来僧の恵便法師が初代住持だ。彼は、物部氏らの排仏派の迫害を受け、この地に身を隠していた。そういうと、歴史で学んだことがある。

聖徳太子は、12歳の時、彼から教えを受けるため、わざわざ、この地に来られた。太子と播磨国とは、結びつきが、ここにもある。12歳かあ。流風は、12歳の時、何をしていただろう(笑)。後に、渡来人の秦川勝に命じて、精舎を建立し、「刀田山四天王寺聖霊院」と名付けられたのが、この寺の始まりという。

境内を見ていくと、大門を入っていくと、まず国宝の本堂が見える。向かって右側に、同じく国宝の太子堂がある。後は重要文化財の常行堂、鐘楼、行者堂、護摩堂がある。この伽藍には、彫刻、絵画、工芸品が二百数十点があるそうだが、それをすべて観覧することはできない。

特に、本殿の秘仏「薬師三尊像」は公開ではないので、実物を拝むことができないのは残念。60年に一度しか、開帳されないので、仕方ない。その代わりと言っては何だが、新薬師堂には、江戸時代に、ある医師が、60年に一回しか拝めないのを何とかならないかと思い、似たような薬師三尊像と十二神将を奉納している。買い求めた関係書籍を見ると、本物とは、やはり違う(笑)。まあ仕方ないか。

次回に続く。

*参考 刀田山 鶴林寺

兵庫県加古川市加古川町北在家424

山陽電鉄 尾上の松駅下車 徒歩20分。駅から少し東に歩いて、北に車道を歩くと直線距離になるが、少し怖い。初めてだと、行きはタクシーを使った方が無難。

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