« 好き嫌いを脱し包容力を~『菜根譚』より | トップページ | 漢詩 『花を惜しむ』一考察 »

2010年6月 6日 (日)

人間が愛玩動物を飼育するということ

日本は確かに豊かだとは思うが、動物を飼う人が確かに増えている。いつも散歩させている人々には遭遇するし、買い物にも同行させている人も多い。これは以前にも記した。

ただ、人は、なぜ動物を飼うのだろう。動物に癒されるという人も結構いる。手間暇かかっても、世話をすることで、ストレスが解消されるのかもしれない。それはガーデニングと似ているかもしれない。

しかし、植物は、葉の勢いがあるとか、花が咲き、実がなる、とかの反応しかないのに対して、動物は、すぐ反応するのが、飼い主にとってはたまらないのかもしれない。だが、いかなる理由があろうと、飼い主は、「ご主人様」である事実は間違いなかろう。

動物を飼うのが女性が多いのも、そういう理由があるかもしれない。本来、女性は支配されることに喜びを感じると言われてきたが、現代は必ずしもそうでないのかもしれない。現実は、まだまだ男社会であるし、自分が代わりに何かを支配したい欲求に捉われるのかもしれない。

もちろん、飼えば、それなりに愛情を持つのだろうが、所詮、支配・被支配の関係は崩れない。そういった中、捨て犬・捨て猫等について、動物愛護の主張をされる方々がいるが、それは現象への対応に過ぎない。

基本的に、飼っていても、最後まで面倒を見てやれない人が多い事実がある。人間を取り巻く環境は刻々と変わってくる。しかし、人間のために作られた愛玩動物は、自分だけで生きることはできない。また野に放たれ、野性を取り戻せば、人間にとって、厄介な存在になるだけだ。

やはり、ここで求められるのは、国内の愛玩動物の所有制限だろう。そして、繁殖制限だろう。愛玩動物が人間のために作られたのなら、制限はやむを得ない。人間社会に生きる動物の運命なのかもしれない。そこに、あまり感傷的な行動は、個人としては尊重するが、結果的には、あまりいい方向に行かないような気がする。

最近は、生物多様性という言葉が使われるが、人間と動物の共存は、なかなか難しい。なぜなら、人間と動物の総量は一定と考えられるからだ。人間が増えれば、動物は減っていく。

逆に、愛玩動物が増えて、餌を食べれば、地球上では、飢えに苦しむ人が増えるかもしれない。そして人間は、極限に追い込まれれば、その愛玩動物を食べるかもしれない。このように考えると、地球上で、人間が動物と共存することがいかに難しいかという結論に達する。

人類と他の生物の多様性を維持するのは、現実的には難しい。卑近な例で言えば、鯨を保護すれば、魚の量は減る。魚を主食としている人々は、それだけ食糧が減る。鯨保護を訴える人々は思慮が浅い。

生物多様性とは、知識人の感傷に過ぎないとも言える。人類は、生きるために、他の動植物を食してきた。このようなトレードオフの解決策は、止揚できるのか。本当に、人類は知恵を出せるだろうか。

*追記

もちろん、一時的な現象面での対応として、捨てられた犬たちに、新しい飼い主を探そうというボランティアに対して、それを否定するつもりはない。ただ、捨てられないようにするには、どうするかということを考えなければ、いたちごっこになる。

そして、動物を飼うということは、それだけ本来、人間が食するための物を、動物が食糧を消費しているということも考えなければならない。共存とは安易な考え方では、すまされない。

|

« 好き嫌いを脱し包容力を~『菜根譚』より | トップページ | 漢詩 『花を惜しむ』一考察 »

考え方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 好き嫌いを脱し包容力を~『菜根譚』より | トップページ | 漢詩 『花を惜しむ』一考察 »