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2010年6月12日 (土)

慈恵の難しさ

困っている人を助けたり援助することは、それなりに意味があるだろう。ただ、受け手に甘えがあれば、慈恵というのは、なかなか難しいことのようだ。この文字からすると、「慈」とは、人に思い遣ることで、「恵」とは、「人に物を与えたがる」という意味だ。

まず、「慈」は、以前のブログで示した「思い遣り」ということだ。これの問題点は、関係者にいろいろ配慮するということで、関係者に毅然とした態度を取れないことである。相手の事情を知り尽くしているがゆえに、相手が間違っていても、それを糺せないこともありうる。

「恵」は、「無条件に与える」という面がある。それは「慈」によって生じるのかもしれない。よって、組織であれば、成果を上げていない人間にも、褒賞を与える可能性がある。そうなると、組織はどうなるか。完全に、だれてくる。努力しなくても、賞がもらえるなら、誰も努力はしない。人間は本来、怠惰なものだ。

よって、この「慈」と「恵」が結びつくと、大変なことになる。行きつくところ、とんでもなく収拾がつかなくなる恐れがある。確か、ある医学系の大学の名前は、そのようになっているが、医学者的な見地では、いいとしても、組織を運営するには、問題の多い言葉といえる。

もちろん、それぞれに条件をつければ、それなりに成立するかもしれない。例えば、受け手が、それなりに努力し、「適切な慈恵」になるようにするとか。あるいは、権利と義務のバランスを取るようにするとか。でも、そういう風に表現すると、慈恵の意味が、ほやけてしまう。そこに言葉の難しさがある。宗教者でもない限り、何気なしに、この言葉の使ってはならないということだろう。

*参考文献 『韓非子』

*追記

最近は、無償ボランティアが当たり前のようになっているが、あまり宜しくない。本来、義援金の中で、処理されるべきものだ。それで、格安に業務を受けてくれるというのであれば、それは問題が無い。あるいは無償ボランティアの期間を設定することも考えられる。

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