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2010年6月29日 (火)

管中窺豹

相撲界は、長年の博打癖が明らかになり、大変なようである。時代と共にかわらねばならいけれども、そういうことに気付かなかったのだろうか。更に日本相撲協会は、財団法人であり、文部科学省の管轄内にあるのだから、もっと早くから自制するべきだった。大体、子どもが憧れる職業が、このようであってはいけないだろう。

さて、話は変わるが、かの王羲之にも、多くの居候連中を抱えていた。書生というのだろうか。彼らが庭先で、博打をやっていた。小人閑居して不善を為す、の類だろう。そこに王羲之の息子の王献之が通りかかった。まだ子どもである。

彼は、それを見て、「南風競わず」と言った。南風競わずとは、別の故事から来ている。晉が盟主の頃、野心家の鄭の子孔が、楚の軍隊を利用して政変を起こそうとしたのに対して、晉のいろんな立場の人たちが、失敗すると予言したもの。

子どものくせに生意気なもの言い。まあ、お坊ちゃんだから仕方ないか。門前の小僧、経を習うし゜ゃないが、普通の子どもと違って、いろいろ知識があり、いろんな言葉を知っている。

癪に障った、居候が言いかえしたのが、次の言葉。

「管中窺豹」

管の穴から見ても、豹の斑(まだら)がせいぜい一個ぐらいしか見えないように、お坊ちゃん、ちょっとだけ見ただけでは、まだまだわかりませんよということ。これに対して、王献之は反論しているが、その言葉は、あまり有名ではないので、ここでは取り上げない。

だが、ここから、反語的に、「一斑を見て全豹を知る」という言葉が生まれたという。「一を聞いて十を知る」という言葉もあるように、注意深く観察していれば、予測はできるものかもしれない。トップに立つ人は、そのようでなければならない。

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