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2010年6月25日 (金)

昔の夕涼み

このところ、気温も湿度も高く、蒸し暑い。少し運動をすると、シャツは汗で、べたべたする。そのためか洗濯に回すが、天候不順で、外干しは難しい日もある。でも、内干しは、専用洗剤を使っても、室内に匂いは残る。すごしにくい季節だ。

こういう時の涼み方は、どうすればいいのだろう。でも、沖縄は、梅雨が明けたらしいので、本土も、間もなくあけるのだろう。小さい子どもの頃、梅雨が明ければ、夏の夕涼みと言えば、まず、必ず夕方になると家の周囲に水打ちしたものだ。一軒だけやっても効果が薄いので、各家、夕刻になると、一斉にやっていた。

しかし、関西は湿気が高いから、涼しくなるのは一時的で、却って、時間が経つにつれて、蒸し暑くなっていたような気がする。そして、縁台には、時々、近所の人や子どもが集まって、蚊やり豚の蚊取り線香を焚いて、団扇を煽ぎながら、スイカや瓜を食したものだ。

扇風機も、最初はなかったと思う(*注)。だから、扇子や団扇で、大人も子供も自分で煽ぐしかない。暑い暑いと言いながら暮らした。娯楽といっても、文明の機器はラジオくらいだったが、それはそれで、わいわい言いながら、結構、楽しかった。そのようにして、子どもは、近所に行き来して、近所の人々に顔を知られていった。

家族の会話も多かったと思う。それが高じて、両親は、夫婦喧嘩に発展することも多かったが。両親も若い頃は、物を投げ合う激しい喧嘩だった。でも、母は、壊れてもいい物と、そうでないものと計算しながら投げていたのは間違いない(笑)。喧嘩も、ストレス解消の娯楽の一つだったのかもしれない。夫婦喧嘩は、犬も食わないというが、その通りだろう。

また、扇風機は、電気事情の改善以前に、家庭向けに比較的早く普及したと思う。数十年使った古い扇風機は、親が亡くなって初めて処分したが、昔の商品は結構しっかりした造りだった。火を噴くような事故はなかったが、鉄の塊のようなもので、大変重かった。

もちろん冷蔵庫なんてものはなかったから、スイカ等は、井戸に浸けておいたら、かなり冷えていたものだ。冷蔵庫は、後に、氷冷蔵庫が、ほんの短い間、普及した。氷を買ってきて、冷蔵庫に入れ、冷やすのだが、夕方になると氷が切れて、用を為さなくなると母が騒いでいたような記憶もある。電気冷蔵庫が普及するのは、少し後のことだ。

もちろんテレビもないから、屋内の娯楽は、先ほども触れたように、ラジオを聞くぐらい。友達が来れば、将棋、七並べ、トランプとかメンコとかした。でも、遊びは屋外中心だったと思う。雨の日は嫌だった。

そして親の方針で就寝は早く、柱時計のボーン、ポーンという音を合図に、午後7時には寝間に入っていた。それは学校に上がるまで続いたし、その後も早かったと思う。早寝早起きの習慣は、その頃についたものと思われる。

寝間には、蚊の侵入を防ぐため、蚊帳(かや)が吊られ、それが何となく楽しかったのを覚えている。部屋の四隅の鴨居に木製の吊り手があり、それに吊るすのだが、早く吊るしてとせがんだものだ。もちろん、蚊に刺されるのが嫌だったのが一番の理由だろうが、なんとなく涼しくなるような感じの雰囲気が好きだった。

昔の夏は、何の娯楽もないので、このように長閑だった。人はいつから、こんなにせわしなくなったのだろうか。文明の進化は有難いが、それと共に、失われるものも多い。

*注 

後日、親戚から指摘されたところでは、扇風機は、比較的早くから、あったらしい。ただ、工場用の物のようだった。子どもの頃の記憶は、前後して、あやふやだ。また、テレビは、小学生の頃、白黒テレビが初めて自宅にやってきた。随分と偉そうに鎮座していたのを覚えている(笑)。

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