« 慈恵の難しさ | トップページ | ただ酒呑み、笠家旧室という人 »

2010年6月13日 (日)

ユーロ経済の崩落

予測されたことだが、ユーロ経済がガタガタだ(構成しているすべての国が悪いわけではないが、全体として)。それは、かつてシュペングラーが、『西欧の没落』を書いて、あらゆる生物や経済の周期同様、いずれ衰退の運命にあると説いたことが、現実のものになりつつある。

ユーロ経済の立て直しは、簡単ではなく、新しい芽が出るまで、衰退の一途をたどるのが、正しい見方であろう。過剰な回復の期待はしない方がいい。しばらく混乱し続けるのは仕方ない。少し落ち着いても、過去の栄光を取り戻すのは、難しい。

西欧社会は、かなり前から衰退の域にあったが、それまでの資産を食いつぶしながら、誤魔化して何とかやっていたのが事実だろう。さらに、統一ユーロという幻影に惑わされ、また、それを急ぎ過ぎたことが、禍を大きくしている。そして、いざパンドラの箱を開けてみれば、一部の諸国家が、資産以上の食いつぶしが明らかになり、パニックになっている感じだ。

これには、いろんな見方がある。実物経済の無視、修正資本主義の行き過ぎ、ユーロ統一に急ぎ過ぎたことなどだ。

まず、凡そ、人間が身体を動かさず、実質的活動もせず、頭だけで稼ぐようになると、それは明らかに虚業な訳で、長続きするものではない。多くの人は、虚業が危ういものと知りながら、楽できると夢を見ていたのだ。情報サービス化社会の危うさは、そこにある。

また、過剰な社会保障も同様だ。それは、資本主義体制にありながら、社会主義のやり方を過剰に取り入れた弊害として、社会保障体制の充実があるだろう。自分が稼いだ以上に、国から保障をもらうというのは、やはり限度がある。

そして、ユーロの理念はわからぬこともないが、あまりにも急ぎ過ぎた感がある。国の統治の方法、財政、国民性、経済力、産業特性などを無視した統一には、崩壊を加速したことを証明した。これはアジアにおいても、十分参考になるだろう。

以上のように、ユーロ崩落の要素は色々あるが、基本的には、繰り返すが、頭のいい人は、身体を動かさず、利益を上げようとするが、それは限界があるということだろう。すなわち、それは金融で利益を上げようとすることである。

しかし、それは投資という名であっても、博打と何ら変わることなく、誰かが得をすれば、誰かが損をするのだ。皆が利益を上げると錯覚するのは、経済が常に成長している時だけだ。そういうものは、いつまでもできるものではない。実物経済があって、それらのこともできることを忘れてはならない。

よって、実際のところ、実物経済の活性化なくして、本当の経済の成長はあり得ない。西欧社会は、早くからキリギリス経済に突入し、今、破綻が表面化しているように見える。更に、急ぎ過ぎたユーロ統一は、却って、崩落を加速させている。モザイクのような内部の経済の脆弱性が更に輪を掛けているのだ。

ユーロは、早晩、崩壊する。多分、ユーロ経済の没落傾向は今のままでは、長くなるだろう。最早、彼らを模範とする時代は終わりつつある。未だに、西欧のシステムに憧れる政治家や文化人がいるようだが、頭の切り替えを早くすべきだろう。政治家も、経済人も、文化人も、彼らに倣う必要はない。

日本も、これを他山の石とし、長期に実際の経済が活動できるよう再構築して、独自に仕組まなければならない。学者や研究者たちは、西欧社会が進んだ社会と誤解し続けてきたが、大幅に修正する必要があるだろう。

日本も、早く、国の立て直しをしないと、ユーロの二の舞になる。いかに自分で考え、自国に相応しい仕組みを作り上げる時が来ている。そして西欧が中心になって作った彼らに都合のいい世界システム(多くの国際機構は、彼らに都合のいいように創られている。それらの組織が作った各種委員会の運営、BIS規制や、排出権取引など)も改廃が求められる。

|

« 慈恵の難しさ | トップページ | ただ酒呑み、笠家旧室という人 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 慈恵の難しさ | トップページ | ただ酒呑み、笠家旧室という人 »