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2010年6月 4日 (金)

父と『菜根譚』

父は、流風に対して、しつこく説教することはなかった。それは流風が、すぐ反発することを見越してのことだろう。母は、繰り返し同じことを何回も言うので、嫌になったが、それが母の愛というものだろう。

父には、学校の成績が悪くても叱られたことはないが、たまに発する一言一言は厳しかった。それだけに、言葉一つ一つに重みを感じた。子どもというものは、親の言うことを聞いていないようで、しっかり聞いているものだ。それが子どもというものだ。

ただ、しつこく言わない父に、生涯、一つだけ、多少繰り返し言われたことがある。それは、『菜根譚』を読んだか、ということだ。

一番最初は、学生の時であったように思う。社会人になってからも、初任給で親に何かをプレゼントした時、言われた。その時も、単に聞き流した。これから色々仕事を覚えなければならないので、頭が一杯だった。

そして、30歳前後になった時に、「『菜根譚』は読んだか」と、また聞かれた。仕事は忙しかったが、聞く耳は持っていた。初めて、『菜根譚』なる書物を確認しようと思った。今から思えば、当時ビジネス書を読み過ぎることを危惧しての警告だったのかもしれない。

本屋に行き、早速買い求めた。ただ、さらっとは読んだが、仕事にかまけて、深い考察はしなかった。後は積読状態(笑)。それから10年くらい経ってから、また「『菜根譚』は読んだか」と言われた。

父が、これだけ拘って言うからには、何か重要な意味が含まれているのだろうと、初めて熟読することにした。その内容は、言葉は簡潔だが、意味は深かった。著者は、明末期の時代の洪自誠という人が書いている。

どういう人かはよくわからないらしい。内容はと言うと、儒教、道教、仏教をほどよく、アレンジした人生の指南書というべきものである。今、また読みなおしている。若い時に読んでおけばよかったとも思うが、果たして、当時、本当のことが理解できたかどうか。

でも、若い人も、本当のところはわからなくても、早くから、この書に触れておくことは無駄ではないかもしれない。今後、拙ブログでも、『菜根譚』から、いくつか題材を取って、記してみたい。

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