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2010年8月10日 (火)

治国斉家ということ

「修身」などというと、戦前の教育アレルギーの人々がいるが、別に儒教でなくても、大切な考え方だ。戦前の教育がすべて悪かったわけでもない。むしろ明治憲法の、不十分さを悪用した人々が、国をミスリードした結果、敗戦という国難があったと考えるべきだろう。

『大学』には、次のように、修身について記されている。

  古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず、その国を治む。

  その国を治めんと欲する者は、先ず、その家を斉(ととの)ふ。

  その家を斉へんと欲する者は、先ず、その身を修む。

  その身を修めんと欲する者は、先ず、その心を正しくす。

  その心を正しくせんと欲する者は、先ず、その意を誠にす。

  その意を誠にせんと欲する者は、先ず、その知を致す。

  知を致すは、物に格(いた)るに在り。

『大学』は誰が表したものかは不明とされる。孔子の遺書とも言われ、記し編纂したのは別人とも言われる。その解釈は、後々の学者が喧々諤々と論じることになり、朱子学派とそれを批判した陽明学派に分かれる。

流風は、細かい学説を理解していないので、表面的な字面で理解する。別に解釈はいらないと思う。ただ「意」は、「心が発する所」とか「心の源」と理解する。「知を致す」は、「極限まで見極める」と理解する。「物に格る」は、「現象の根本を見通す」と理解した。

結局、人間社会も含めて、森羅万象をすべて根本的に理解するという気持ちが、まず必要と、説いているのではと感じている。国を治めようと思う方々は、そういうことに通じることが求められる。安易な気持ちで、政治家には、なって欲しくない。

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