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2010年8月20日 (金)

理紀之助の『常道』その三

本日も、石川理紀之助の『常道』から、取り上げる。

「善を語れば悪を忘れ、悪を語れば善を忘る」

善と悪の定義は難しい。それぞれの人間社会のルールに従って、善とか悪とか言われる。理紀之助が、この言葉を残した意図は、わからないが、人は、善がすべてと考えたり、悪がすべてと考えたりすることに警告したのであろうか。

一般に、性善説と性悪説というのがある。人間の本性は果たして、どうなのだろうか。まあ、言えることは、この世の中、善人ばかりでもないし、悪人ばかりでもない。100%性善の人もいないし、100%性悪の人もいない。

それに、人は誰でも、善と悪を、それぞれ有している。ある時は、善が強く出て、ある時は、悪が強く出る。社会は、いろんな比率の善と悪を持っている人々の集まりだから、より複雑だ。社会は、個人の性善・性悪が反映される。

社会の複雑さを構成している根本を知る必要がある。そう考えれば、一人ひとりが性善・性悪について、考えて見ることは意味があるだろう。

*追記

そういうと、『堤中納言物語』にも、虫めずる姫君が、次のように語っている。

 「人は夢幻のやうなる世に、誰かとまりて、悪しきことを見、善きをも見思ふべき」と。

子どもの姫が、これを語るのは現実にはありえないだろうが、作者の気持ちがよく出ている。

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