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2010年8月21日 (土)

『ボストン美術館 浮世絵名品展』鑑賞

神戸市立博物館で開催されている『ボストン美術館 浮世絵名品展』を鑑賞してきた。鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽を中心に134点、展示されていた。これだけの作品が海外にあり、日本で展示されるのを観に行くというのも、違和感を感じるが、仕方ない。

なぜ、これだけの浮世絵が海外に流出したかは、いろいろあるだろう。戦後のどさくさに、海外の蒐集家が、集めたのかもしれない。また、それ以前に蒐集したとすれば、日本人は、浮世絵に、それほど価値を認めていなかったことになる。

現代的に見れば、どこでも描かれている挿絵のようなもので、その絵に、それほどの価値を見出していなかったとも言える。あるいは、庶民は、日常的に接するものなので、ごく普通の存在だったのだろう。どこにでもある、一種、広告のように捉えていたのかもしれない。

ところが、外国人にすれば、異国の不思議な芸術に見えたのかもしれない。これを西洋人は珍しがった。これは日本人も同様だろう。外国に行って、違う文化に接すれば、それは、その人間には、新規性と捉えられる。

ところが、この浮世絵、よくよく見れば、そのほとんどが、花柳界の女性がモデルである。歌舞伎から題材を取ったものもあるが、基本的に、水商売の華やかな世界を題材に取っている。

凡そ、庶民にとっては、華やかに見えて、縁遠い存在だが、苦界という哀しむべき存在でもある。高い服を着て、顔を曝すことで、お金を得るというのは、玄人筋の水商売の宿命だ。現代で言えば、芸能人も、そのように言える。曝すことを代償に、高額の報酬を得る。

果たして、外国人に、その文化背景を理解していたかは疑わしいが、題材より、西洋とは異なる表現手法に、魅力を感じたのかもしれない。もちろん、西洋人も、うならせる、あの大胆な構図は、ある日、突然、湧いてくるものでもあるまい。あれを描くには、かなりの下地の能力が必要だ。

ところが、絵師の正体は不明なことが多い。鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽など、皆、謎の人物だ。清長こそ、生没年は明らか(1752~1815)だが、歌麿は生まれは不明(1806没)だし、写楽については何もわからない。

彼らは、絵を習っていた武家出身を隠していた感じもある。あるいは、正統日本画の流れを汲む絵師かもしれない。あるいは、女性絵師かもしれない。帰化した渡来人の可能性もある。または、どこかの僧ということも考えられる。

いずれにせよ、本業とは、異端のため、密かに描いたものだろう。名前は、仮名と考えるのが自然だろう。そして、今、現代の日本人も、正体不明の描き手の浮世絵を観ている図がある。

当日は、平日にも関わらず、多くの観覧者でいっぱいだった。丁寧に鑑賞する人が多いので、人が前になかなか進まない。日本人は、そんなに浮世絵が好きだったのだろうか。それとも、一時帰国した江戸時代の華やかな世界を覗き見ることに快感を得ているのだろうか。

それでは、仮に浮世絵に描かれた人々は、現代の日本人をどう見ただろうか。お互い、仮の世で、夢、幻の世界なのだろうか。また浮世絵に描かれた人々も過去の日本人だと思うと、未来の日本人は、現代の日本人は、どのように映るのだろうか。

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