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2010年8月13日 (金)

ぐれそうになった『一寸法師』

子どもの頃、自我が目覚めると、親のちょっとした言動にも、敏感に反応する。まあ、自意識過剰の類。親が生活の疲れも手伝って、ふと漏らした言葉に過剰に反応したりする。世間を知らないと、親の言うことが、びんびん心に響くのだ。

もちろん、個人差はある。たくさんの兄弟の中で育つと、そういうことは少ない。まず兄弟の中で、生存競争に勝たねばならないからだ。あまり、おセンチになっている暇はない。結果的に、神経は太くなるから、ちょっとしたことには応えない。

でも現代のように兄弟が少ないと、どうしても、親も子どもも、意識過剰になりがちだ。それが微妙に感情がすれ違い、親子喧嘩の元になる。これは多かれ少なかれ、現代の日本の家庭に見られることではないだろうか。

さて、今回は、あの『一寸法師』に少し触れて見よう。子どもの頃、読んだ童話の記憶では、お椀を船に、箸を櫂に、針を剣に、麦わらを鞘にして、都に上る話であったような。京都で、大きな家に仕え、そこの娘と同行すると、鬼に襲われ、一寸法師は飲みこまれるが、針を使って大暴れして、鬼が逃げ出すというような内容だったかな。

大体、生まれた子どもが一寸というのも、子どもにも分かるように、いかに小さいかを示すために、そうしたのだろう。いくら未熟児でも、3センチ程度で、少しも大きくならない、というのは、おかしな話。それに当時の医療技術では、未熟児を育てることは、当然不可能。あれっ、現実的に解釈しすぎだって。

そう、これでは、子どもに夢を与えられない。でも、童話の元になっている『御伽草子』では、随分と話が違うのだ。一応、備忘録的に記しておこう。よって、ご存知の方は、読み飛ばしてください。

『御伽草子』によると、長い間、子どもに恵まれない、40歳の姥(作品には、そう記してある。40歳で、お婆さんか。平均寿命が50歳程度では、そうかも)が、住吉大明神にお祈りすると、妊娠して、可愛い子どもを授かったことから始まる。

生まれ落ちた時が、一寸しかなかったので、一寸法師と名付ける。まあ、標準より小さかったのでしょう。だが、いつまでも、一寸であったとは記されていない。そこは童話と大きく異なる。まあ、そこまではいい。

ただ、この子ども、なかなか大きくはならなかったのは確かなようだ。13歳になっても、標準よりかなり背が低い。それを親が気にして、困ったことだ、どこかに出してしまおうか、と話しているのを、一寸法師が盗み聞きしてしまう。それで先手を打って、家出してしまうのだ。すこし、ぐれかかったかな。

親も、軽々に、子どもが聞くような所で、そういう話をしてはいけないという教訓。誰だって、一番信頼している親から、そんな話を聞けば、ぐれそうになりますよね。子どもは、純粋だから、そのまま受け取ってしまう危なさを親は気をつけなければならない。

それでも、親に、お椀と箸を用意してもらうところは、子どもらしい。ここには、表現されていないが、実際は、お椀と箸というのは、船と櫂を用意してくれたのだろう。親さまさまではないか。案外、子どもは、その有難さを理解していない。

それからは、京に出て、三条の宰相殿に、身体が小さいが声が大きいというハンディを逆手にとって、売り込み、採用される。大体、金持ちというのは、珍しい物や人を好む傾向がある。そこを狙ったわけだ。

この宰相には姫君がいるのだが、宰相は後妻を娶っており、姫君の居心地は悪そうだ。そのことを察知して、一寸法師は、一目惚れした姫を騙し取り、姫が家を追い出されるように仕組む。そういう知恵が働きそうな世間ずれした嫌な奴(笑)。

しかし、その逃走途中、鬼に出くわし、後は童話と似たような展開。鬼とは、盗賊だろう。鬼を退治し、鬼が打ち捨てた打ち出の小槌で、あらゆることが可能になる。要するに、盗賊の持ち物を横取りしたわけだ。

打ち出の小槌で、身長も180センチに成長。打ち出の小槌とは、一体何なのか。流風も欲しい(笑)。アラジンの魔法と同じことか。どこの国でも、そういう夢想はするらしい。またドラえもんの、どこでもドアの趣も。

いずれにせよ、これで、評判になり、帝に出仕を命ぜられ、出自も悪くないことがわかり、出世して、離れ離れになった親も引き取り、目出度しめでたし。これで、ぐれかけた一寸法師も、無事、立派に成功。

このよう見ていくと、『御伽草子』の一寸法師は、貴種流離譚の趣あり。いい出自の者は、最終的に、ぐれかかっても、ある一線は越えない。そして、色々苦労はあっても、最終的には、成功するという話。柴田錬三郎と同じ世界。シパレンは、最近読まれないから、皆、知らないかな。

でも、これじゃ、庶民はやりきれないから、童話の作者は書き換えたのかも。『一寸法師』も、大人の思惑で、童話に書き換えられた。でも、『御伽草子』の『一寸法師』の方が多少現実的で面白いと思う。

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