« 火の用心の躾と八百屋お七 | トップページ | 働遊一如ということ »

2010年9月16日 (木)

秋風吹く漢詩

暑い暑いと言っていたのに、本日の朝は昨日に引き続き大変涼しい。夜もクーラーも扇風機もいらなくなった。秋風吹いて、秋、到来なのだろう。しばらく、このように過ごしやすい日が続くのだろうか。そういうことで、今回は秋風を題材にした漢詩を取り上げてみよう。

南宋の詩人、劉克荘という人のもので、題名は『秋風』。また彼は、後村という号を持つ。

  黄葉蕭々として忽ち堦に満つ

  独り痩馬に騎る豫章台

  宋玉心中の事を将て

  吹いて潘郎鬢上に向かひ来ること莫れ

宋玉とは、楚の大夫で、『楚辞』の九辯を作った人。秋のもの悲しさを語りながら、有能な人が認められない世の中を嘆いている。具体的な内容については、ネットの中に訳したものが紹介されているので、ここでは、それ以上には取り上げない。

また潘郎とは、晋の潘岳のことで、彼は三十二歳で鬢の毛が一瞬にして白くなったという。何か精神的に大きな苦痛があったのだろう。現代でも、そういう人は見受けられる。

そういうことを踏まえて、解釈していくと、次のようになるのだろうか。

「紅葉した葉が、はらはらと落ちて、階段に積み重なっている。秋風吹く中を、痩せ馬にまたがって、豫章台周辺をうろうろして、しみじみ思う。でも、かつて悲壮感の漂う宋玉が著した『楚辞』の九辯のように、秋を哀しみ詠んだ心中で以て、潘岳のような白髪にはしてくれるな」

秋というものは、人を感傷的にさせるものらしい。どちらかというと、悲観的な考えを持ちがちだ。それは、これから冬を迎えるからかもしれない。確かに枯葉が舞い散る中を散策すれば、流風でも、そういう雰囲気になるかもしれない。

ただ、今のところ、流風にとっては食欲の秋到来だ。夏も食欲は落ちなかったが、それに輪をかけて食欲が増しそうだ。また流風は年齢の割には、髪の毛も黒く、一応ふさふさしている。そんなことぐらいでは、白くはなりそうにもない。

親から、お前は、いつも悲観的なことを言いながら、大変呑気だと言われたが、それが幸いしているのかもしれない。楽天的とは言わないが、そうかもしれない。どうもブログの最初の意図とは逆方向。後村さん、ご免(笑)。

|

« 火の用心の躾と八百屋お七 | トップページ | 働遊一如ということ »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 火の用心の躾と八百屋お七 | トップページ | 働遊一如ということ »