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2010年9月29日 (水)

菊と漢詩『秋思』

今年の菊は、夏の暑さに負けてしまって、あまり宜しくない。涼しくなって、やっと花芽を出しているが、全体が少し寂しい。菊自体、仏花に、よく使われる寂しい花ではあるが、ここまで、元気がないと思いやられる。新しい苗を購入して、来年に備えることとしよう。

さて、秋の漢詩として、以前、道真の『秋思詩』を取り上げたが、今回は、杜荀鶴の詩を取り上げてみよう。彼は杜牧の庶子で、晩唐の詩人だ。題は、『秋思』だ。

  雨は紫菊を匀(ひとし)うす 叢書々の色

  風は紅蕉を弄す 葉々の声

  北畔は是れ山 南畔は海

  祗(た)だ図画するに堪へて行くに堪へず

訳としては次のようだろうか。

「ひと雨ごとに、紫の菊が咲き競い、色を深めていく。姫芭蕉の葉が風に吹かれて葉が擦れ合っている。北の畔の方は山であり、南の畔の方は海だ。これらは絵に描くには、いい場所だが、歩くには難儀な場所なので勘弁願いたい」

秋が深まり、景色もきれいなので、水墨画を描くには適した時期なのだが、そういうところは道が険しい。知識不足で申し訳ないが、これは誰かの絵に対する賛なのだろうか。そういう感じを持たせる詩である。

日本も日一日と秋は深まっていく。物思いにふけるには相応しいのだろうが、果たして紅葉狩りには、どこへ行こうか。流風には、まだ秋思には似つかわしくないようだ。

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