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2010年9月14日 (火)

火の用心の躾と八百屋お七

   世のあわれ 春ふく風に名をのこし

     おくれ桜の きょう散りし身は

        (八百屋お七、辞世の句)

子ども時代、母が流風に留守番を頼む時、必ず言ったことが火の用心だ。そして、決して火遊びをしてはいけませんとよく言われた。また、火事の火元になれば、そこには当然住めないし、七代恨まれると何回も教えられた。子ども心に火事を出せば、ここに住めないのだと思った。そして火の怖さをなんとなく感じていた。

実際、火の怖さは、身を以て知っていた。仏壇に線香をあげ、おくどさんで、窯に火をおこす手伝いもしたし、七輪で火をおこすこともやったし、五右衛門風呂の湯沸かしのため、薪をくべて、火をおこすことは手伝いとしてはよくやったから、日頃から火に接することが多かったこともある。当然、そこでは、幾度も怖い目にあったので、火の恐ろしさは知っていた。火傷もしたことがある。

ただ、火事だけは実際には経験していなかった。けれども、火事になれば、大変なことになって家族は路頭に迷うことになるというのは、子ども心にもわかった。ということで、母に限らず、出かけるときは、いつも火の元には注意したものだ。そして、子どもには、繰り返し注意をした。

ただ、最近の事例にもあるように、留守番していた三人の子どもたちが、ライターで火遊びをして、全員亡くなるという悲惨な事故も起こっている。また車の中でのライター遊びが災いを呼んだ例もある。なかなか現在の住宅事情では、難しいかもしれないが、子どもには、火事の恐ろしさを伝えたいものである。

さて、作為の火遊びは、もっと怖い。江戸時代、八百屋八兵衛の娘、お七には、やはり、そういう教育をしなかったのか、いい仲になった男(小野川吉三郎という浪人)会いたさに、注意を引こうと、火事を起こしてしまう。男女間の情愛は、深かったのかもしれないが、常軌を逸している。男女の火遊びが、本当の火遊びになり、不幸を招いた例だ。

そして、この場合も、女性が燃え上がった結果の悲劇であろう。昔から、女性の方が熱くなると、その恋は危ういと云われる。周囲が見えなくなり、少し暴走し過ぎるのだ。年齢的に十六歳だったということもある。初めての恋は余計に危うい。お七は、当時の刑罰に従い、市中引き回しの上、火あぶりの刑に処せられる。それで、先に示した辞世の句になった。

もちろん、これを彼女が作ったとは言うまい。多分、代作だろう。いずれにせよ、十七歳になった彼女は、これからという時に、命を失ってしまった。当時、相手の吉三郎は、病を得て、周囲の配慮で、お七のことは知らされず、その後、どうなったかは不明である。

そして、一時の激情に駆られて、こういう事件を起こすと、本人だけでなく、周囲の多くの人々を不幸に巻き込む。彼女の両親は、その後、どういう運命をたどったのだろうか。火の用心の教育は大切だ。まあ、男女の火遊びにも注意すべきなのかもしれない。

この物語を通じても、子どもの教育はできる。男女の情愛など当時わからぬ流風に、母が何回も話してくれたことを懐かしく思う。そういう躾のやり方もありだろう。

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