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2010年9月 7日 (火)

西鶴の「身過ぎ」その二

本日も、西鶴の言っている「身過ぎ」を紹介しておこう。

「人の情も、家繁盛の時。あてにすべからず」

家が繁盛していて勢いのある時は、あちこちから人が集まってくる。以前は全くつきあいのない人たちが遠い親戚と称して現れるのも、こういう時だ。そして、盛んに、おべんちゃらを言って、近づいて何らかの利得を得ようとする。そして、他人には、親戚だ、親戚だと、ふれまくり、まるで自分が偉いんだという態度をする。

逆に、勢いを失って、逼塞すると、人は誰も近付かなくなる。親戚だと言っていた人も、全く関係ないという顔をする。近付いて借金でも申し出られたら災難だから、近寄りもしない。もちろん助成などはあり得ない。同様に、盛時の時にできた友人は、当てにならないとも言います。彼らも、下降線をたどると、あっという間にいなくなります。

このように人の情は、自分中心で冷たい。勢いがあり、人が自分の周囲に集まっても、あまり期待しないことだと、西鶴は指摘している訳です。これは、ある意味、仕方のないことだけれど、人が集まるには理由があるのだ。

だから、他人に期待して、当てにするなど考えてはならない。西鶴は、人間というものを、なかなか冷静に見ている。結局、いざという時、頼りになるのは自分だけというのも、寂しいが、それが現実というものであろう。

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