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2010年9月13日 (月)

人生の秋の漢詩

今年は秋はないのではないかと言われてきたが、ここ数日は、朝夕、少し涼しいようだ。虫の世界では、ツクツクボウシは啼くし、コオロギ・スズムシの類もにぎやかだ。トンボの大群も押し寄せてきた。今年も、秋は来ているようだ。

さて、今回は、そういうことで、秋を題材にした漢詩を取り上げて見よう。とは言っても、人生の秋を迎えた作者の想いだ。作者は、邵康節(しょう・こうせつ)だ。彼は北宋の儒者、康節とは、邵雍の諡(おくりな)だ。詩題は『天津感事』。

  水流れて縦ひ急なるも 境 常に静かに

  花落ちて頗りなりとも 意 自ずから閑なり

  似ず 世人の忙裏に老いて

  生平未だ始めより顔を開くことを得ざるに

題の天津は、地名ではなく、橋の名前らしい。彼は、この橋の上で、天下が乱れることを予知したという。まあ、後付けのような感じもしないでもないが、そういう故事があるそうだ。ただ、この詩は、そういうことを踏まえて、詠んだということだろう。

大意としては、次のように解釈してみた。「水が流れて、急な流れがあっても、その境目は、いつも静かだ。花がはらはらと落ちていても、心の動きは落ち着いている。世の中の人が、忙しく、バタバタして、いずれ老いていって、生まれて、この方、笑いを知らないのと似てはいないか(そんなにバタバタしなさんな。なるようになる)」。

これは時代を冷静に透徹しながらも、高齢者に見える諦念に近いかもしれない。時代の転換点にいることを確認しているのかもしれない。今後のことは、なるようになるしかない。今まで生きてきた時代とは違った時代になるのだろう。そのように時代は流れていく。後の時代は、その時代の人々が運命に翻弄されていく。私は、もう知らん。そんな感じだ。

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