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2010年9月11日 (土)

西鶴の「身過ぎ」その五

今回の西鶴の「身過ぎ」も、むしろ「世過ぎ」だ。

「近年分限になる人の子細を聞くに、その家によき手代ありて、これらが働きゆえなり。また、家栄えたる人の俄かに衰えたるを聞かば、これまた、その家の手代どもが仕かたゆえなり」

商家は、主人、番頭、手代、丁稚で成り立っているから、手代とは、現在の係長クラスだ。現場の一線で、顧客と渡りあっている立場だ。店の経営方針は、主人や番頭が方向づけるとしても、日々の現場の働きの積み重ねが、身代を大きくするのは間違いない。

現場の人間のやる気次第で、商家は、良くも、悪くもなる。よって、彼らへの細かい目配りが必要になってくる。それは現代でも同じことだろう。従業員が何を考えたり、不安を持っているか。それらをよく理解して、後ろから支援したり、不安を除去して、働きやすい環境をつくる。成功への道は、今も昔も変わらないということだろう。

*追記

西鶴の「身過ぎ」に関しては、キリがないので、今回で一応終了。また機会をみて記すかも。

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