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2010年10月11日 (月)

体育の日から教育のあり方を考える

今年は、本日の10月11日が体育の日だ。以前は、10月10日と決まっており、わかりやすかったが、最近は年によって日にちが変わるので、わかりにくい。よって、その意義もぼやけてくる。大人の都合で変更したのだろうが、あまり宜しくない。

体育と言うと、学生時代は体育の時間があった。運動音痴の流風は、嫌で嫌で仕方なかった。特に皆と合わせて、同じ運動をするのが苦手だった。それは単に協調性がないということではない。基本的に音感の悪い流風には、あれは重荷だった。

日本式教育は、皆に同じことをさせるが、それも何らかの意味があるのだろうが、できない人間には辛いことだ。もちろん、生徒の中から、一部のエリート(総合事務職向き)を見つけ出すには、いい方法だ。

だが、そういうエリート以外の生徒にも、得手、不得手がある。得手の部分を伸ばす教育がいいと思うが、どうしても平均的な能力を求められる。そのため、不得手なことにも、努力を要求される。努力して改善されるのなら、まだましだが、一向によくならない科目もある。

そうすると、不得手なことに無駄に時間を取られ、得意なことにも、自信を無くしてしまう。結局、得手なことも伸ばすことができなくなる。それでは、何のための教育か、わからない。結果的には、角を矯めて牛を殺す、ということになりかねない。

最近の教育については、よく知らないが、こういうことがずっと続いているとしたら、あまり良くないだろう。確かに、学校生活に於いて、基本的な知識を身につけておくことは、社会人になって、あるいは引退してから、役に立つこともあるだろう。

ただ成績評価は、中学生以降は、教師と適性を相談して、本人の選択した科目について、評価した方がいいのではないか。もちろん、評価はされないけれども、選択科目以外の授業も受けることができるシステムにすればいい。本人の長所、特性を活かす教育を望みたいものだ。

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