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2010年11月30日 (火)

贈り物について

お歳暮の季節も、やや終盤かもしれない。最近は、お中元とか、お歳暮は、昔ほどやらない人も多いとも聞く。ただ人に贈り物をするのは、人間関係の潤滑油には、なりうる。そして、本当に贈りたい人に贈り物をするのは、定期的なものではなくて、ちょうどそれが相応しい時であろう。

だから、惰性で品を贈るのなら、あまり意味はない。これは営業で、アポ無し訪問するようなもので、あまり効率も効果も良くない。もちろん、必要な無駄というのも、この世の中にはあるかもしれない。たまたま、先方が望む物を贈って喜ばれるかもしれない。

しかし、確率は低い。原則として、明らかに効果が期待できないものや、効率の面で問題があるのなら、贈り物は止めておいた方がいい。贈り物には、その物自体の選択のセンスと、提供するチャンス・タイミングのセンスが問われる。

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2010年11月29日 (月)

赤穂大石神社に行く

拙ブログで、赤穂浪士のことは何回も取り上げ、赤穂への観光について、述べたこともある。だが、若い頃に二回ほど訪問して、行こう行こうと思いながら、なぜか、行けなかった。そして、今回、思い切って、行ってみた。新快速で、JR播州赤穂駅下車。

すぐに観光案内所に直行。受付の女性がにこやかに迎えてくれて、各種パンフレットを渡してくれた。その中には、割引クーポン券もあった。今回の目的は、赤穂大石神社に行くこと。観覧料がクーポンを使うと半額。ラッキー(笑)。

駅を降りると、駅舎がきれいになっており、昔と大分違う感じ。時の流れを感じる。広い通りをまっすぐ南に下がる。通りの店舗は、和風の店舗になって統一されており、街づくりの努力のあとが見られる。

そして、歩いて行くと、まず見えるのが、息継ぎ井戸。これは刃傷事件が起きた後、早水籐左衛門満尭と萱野三平重実が、早駕籠に乗って、四昼夜飛ばして、赤穂城下に入り、ここで水を飲んで一息ついたところ。

その西側に行くとには、変な塩のオブジェが作られていた。最近、東京の作家二人が造られたということだが、地域に馴染まない変なもの。よくこんなものを地域も認めたものだ。早く撤去するべきだろう。

更に、西に行くと赤穂藩主歴代の菩提寺である花岳寺があるが、今回は、時間の都合でパス。再び大通り(お城通りと言うらしい)に戻り南進。間もなく、赤穂城跡の一角にある赤穂大石神社に到着。最近、改修されたのか、大変きれい。まず参拝。

そして、義士宝物殿、同別館、義士木像奉安殿の展示物を鑑賞し、大石邸長屋門・庭園を散策。庭園は、春の方が楽しめるかも。像は、どれも著名な作家が作られたようで立派。それぞれの義士の特徴を活かし、うまく創作されている。

四十七士の内、何人か知っていても、すべての人については、あまり知らない。それが今回、赤穂大石神社に行った理由の一つでもある。大石内蔵助はじめ四十七義士を祀る神社であり、討ち入り以外の木造の人物像があると聞いたからだ。討ち入りの木造は、あちこちで見受けられるが、義士それぞれの木造はあまり聞かない。今回は、本当に来てよかった。

*追記

四十七士というと、両親は、すらすらと言うことができた。母は、少し頼りなかったが、父は、歳が行っても、よく覚えているなと思うくらいだった。戦前、学校で、覚えさせられたのだろうか。流風は、覚えた記憶もなく、全く駄目。最近では、赤穂の小学校では、歌にして、四十七士を覚えるらしい。その四十七士の名前を、一応、覚えとして記しておこう。

  大石内蔵助良雄

  原惣右衛門元辰(もととき)

    片岡源吾右衛門高房

  堀部弥兵衛金丸(あきざね)

    近松勘六行重

  間瀬久太夫正明

  富森助右衛門正因(まさより)

    早水籐左衛門満尭(みつたか)

  奥田孫太夫重盛

  矢田五郎右衛門助武

  大高源五忠雄(ただたけ)

  村松喜兵衛秀直

  岡島八十右衛門常樹

  勝田新左衛門武尭(たけたか)

    神埼与五郎則休(のりやす)

    武林唯七隆重

  吉田沢右衛門兼定

  貝賀弥左衛門友信

  横川勘平宗利

  小野寺幸右衛門秀富

  間十次郎光興

  岡野金右衛門包秀(かねひで)

    矢頭右衛門七教兼

  大石主税良金(よしかね)

    吉田忠左衛門兼亮(かねすけ)

    堀部安兵衛武庸(たけつね)

    潮田又之丞高教(たかのり)

    赤埴(あかばね)源蔵重賢(しげかた)

    小野寺十内秀和

  磯貝十郎左衛門正久

  木村岡右衛門貞行

  大石瀬左衛門信清

  中村勘助正辰

  菅谷半之丞政利

  千馬三郎兵衛光忠

  不破数右衛門正種

  間喜兵衛光延

  倉橋伝助武幸

  前原伊助宗房

  奥田貞右衛門行高

  杉野十平次次房

  茅野和助常成

  村松三太夫高直

  間新六郎光風

  間瀬孫九郎正辰(まさとき)

    寺坂吉右衛門信行

  萱野三平重実

 

 

 

 

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2010年11月28日 (日)

山登りのこと

最近、山ガールといって、女性の山登りが流行っているようだが、そのためのファッションも作られているようだ。まあ、そんなに高い山でなければ、誰にでもできる健康的なスポーツかもしれない。

流風は、せいぜい六甲山の端の山を少し登ったくらいだ。須磨からロープウェイ脇を登ったりして、あの辺をうろうろ、よくしたものだ。それでも、急勾配の所があるので、ふうふう言いながら登ったものだ。

登り始めは元気があるから、勢いよく歩けても、中ほどくらいに着くと、少しバテ気味で、すこし休憩しながら、進むので、スピードが遅くなる。それを見た周囲の方から笑われたことがある。

山登りの基本は、高くても低くても、できるだけゆっくり登るのがコツらしい。そして、できるだけ休まない。また次々と自分を追いぬいても気にせず、自分のペースで登るのがいいらしい。

これはマラソンに例えられる人生のレースでも同じかもしれない。やはり童話で教えられたウサギとカメの話は、深い意味があるようだ。

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2010年11月27日 (土)

熱燗の季節

本日は、朝が寒い。気温も下がっている。空調では、なかなか温度が上がらないので、止むなくガスストーブを点けた。ガスストーブを使うとガス代が急激に増えるので、毎年、室温が摂氏5度以下になると、ガスストーブを点けるのだが、今年は、やや高めだけれど、点けることにした。

やはりストーブにあたると、暖かい。室温も、すぐ上昇。省エネも大切だけれど、体調維持には止むをえない。こんなに寒くなると、お酒がいい。今晩は、おでんに、地酒の熱燗で、ちびちび、いくとしようか。菅原輔昭も、次のような歌を残している。

  他時には たとひ鶯 花の下に 酔ふとも

  近日は いかでか 獣炭のほとりを 離れむ

意味は、「いつか、暖かった頃は、鶯が鳴き、花の下で、それを聞きながら、酔ったけれども、今のように寒い時期には、獣型のたどんを燃やした囲炉裏端で、酒を飲む」というような意であろうか。

「たどん」なんて、今は、ご存じない方も多いかもしれない。昔は、コンロにも入れたし、行火にも入れた。結構、火力が強く、温まる力も大きかったと記憶する。流風の記憶では、卵型に近かったと思う。

しかし、菅原輔昭のように、わざわざ獣型にしたものは見た記憶はない。燃えてしまうのだから、贅沢には違いない。昔の人は、そこに風流を感じたのであろうか。流風には、そんな余裕はないけれど、せいぜいガスストーブの傍で、本日の夕食は、熱燗で晩酌と行こう。

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2010年11月26日 (金)

税制改革2011 所得税私見

本来、国や地方のことは、国会や行政府が考えてくれればいいのだが、今は、一般国民が心配したくなる環境だ。いずれ彼らの失政のツケは、国民負担と言う形で回ってくるのは間違いない。流風も、拙ブログで、税制に関して、取り上げたが、ここで、もう一度、記してみたい。今回は所得税。

まず所得税は、バブルからバブル崩壊にかけて、経済状況とはタイムラグを伴いながら、時の政府が、税制をいじった。そして、それは、経済状況が変わった現在も、その所得税制は残って、他の税同様、歪んでいるのは確かだ。

現在は経済は良くないとは言いながら、バブル崩壊時とは違い、曲がりなりにも、比較的落ち着いた今も、税制だけは引きずっているのはおかしなことだと思う。

まず、バブル時からバブル崩壊時に、所得税を改悪し、累進構造を緩め、所得税の再分配機能を壊したことが大きい。バブル当時の昭和61年は、課税の税率区分が15段階あったものが、今は、たったの6段階である。

そして、最高税率が70%だったものが、今は実に40%。いかに所得の高い人が優遇されているかがわかる。このため、二極化が進み、中間層が失われている。結果的に、ジニ係数があがり、国力を弱めかねない。国力を高めるには、中間層を厚くすることが大切と気づくべきだ。

これは何が間違っていたのか。バブル時、高所得者が、税金が高いと大騒ぎした。折角努力して成功しても、税金で、ほとんど国に吸い上げられるのなら、経営意欲は減退するというのが一つの理由だった。所得税が高いと日本でビジネスをせず、日本から流出すると国を脅かした人々がいるのだ。

彼らの言い分は、しかし、実際、それほど起こらなかった。海外では確かに税金の安いところがあるにはあるが、安全とは決して言えない。それに経営は、税金のことだけ考えてするものでもない。そんなに簡単に移転はできなかったのだ。結局、彼らの要求したことは、私益のためだったと言える。この所得税の改悪は、明らかに間違った判断だった。

次に、平成6年に消費税を上げるため、緩和的処置として、配偶者控除の拡大や扶養控除の拡大を行ったから、余計にややこしくなる。もちろん、時の政権が選挙を意識したのだろう。

本来、消費税は、一部地方移転を除いて、国税部分は、基礎年金、老人医療、介護に充てられるのだから、その必要はなかった。所得税と消費税をちゃんぽんにする無茶苦茶な政策。しかしながら、そのことにより、税収は更に減少。本来負担すべき税を、国民は納めていない状況が続いている。

更に悪いことに、産業界からの強い要望でやった小泉政権の労働政策の誤りから、非正規社員が増加して、所得は低下し、実際、所得税率10%以下の人が大半になって(彼らは、本来負担すべき税を納めず、いわゆる、公的空間を「ただ乗り」して利用している)、年々所得税による税収は減り続け、国家財政を危うくしていると言える。

悪いことに、それぞれの時の政権が、選挙がらみのバラマキ対策で、国債を増発し、国家資産を上回る発行残高にあり、国家財政はがだがた。これは子孫に大きな負担になる。こんなことをいつまでも、続けて良いのだろうか。

所得税の持つ、優勝劣敗の調整をする所得再分配の機能をもっと活かすためバブル前の税制に戻し、かつ全所得者を対象に、多くの控除を廃止して多くの人々がそれ相応の税を納めるようにすべきだろう。

現在、日本は、先進国では、所得税の負担が最も低いグループに属している。増税と言えば、すぐ消費税が取り上げられるが、まず所得税の見直しの方が先ではないかという気がする。国や地方の無駄遣いも精査するのは大切だが、それには、それだけの税を納めてから言うべきだろう。

*追記

もちろん、最低限の生活ができない人たちには、別途手当する政策は必要だ。だが、一旦、税を納める仕組みにしないと、税意識は高まらない。便益を受けるには、税を納めなければならないという納税行為も大切と思う。

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2010年11月25日 (木)

明石市立文化博物館『明石の弥生人』展に行く

少しご無沙汰していた明石城周辺に行ってきた。ここの紅葉も美しいが、かなり散って、落ち葉の絨毯状態のところもあった。ここは散歩していて、いつも気持ち良い。球場や池もあるし、文化施設、図書館もあるので、単に公園に行くというだけでなく、いろいろ楽しめるからだ。今の時期、ピクニックで食事と言うわけにはいかないが、飲食の施設も少しだけだがあるので、食事もできる。

一応、いつものように、ぐるっと回って、今回は、端っこにある明石市立文化博物館へ。『発掘された明石の歴史展~明石の弥生人』を開催していた。今回は、明石や神戸の遺跡で見つかったものを74点展示。

当時の生活を垣間見ることができる。やはり調理道具が多い。明石では、当時から、蛸壺漁が盛んで、陶器製の壺が、すでにあったようだ。狩猟に関しては、人類はあまり進歩していないのかもしれない。

また、縄文から弥生時代にかけて、移行期は、かなり長いようだが、戦争があったことが判明している。人骨は、痛々しいほど、多くの鏃(やじり)が刺さっていた。これは縄文人であるらしい。当時先進的な武器を持った弥生人に侵略され、武器に劣る縄文人は、戦争で駆逐された跡が、このように残されているのだ。

他方、弥生人は、農業文化を導入し、稲作を広めたことも確かだ。多くの食糧を賄え、貯蔵できる稲作は、経済的に優位となり、狩猟民族を押しのけたのだろう。古い文明と新しい文明のせめぎ合い。これは現代でも同じだ。結局、新しい文明を作る民族だけが生き残るのだろうか。

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2010年11月24日 (水)

お節の準備と堺商人

11月も終わりに近付き、もうすぐ12月で今年も暮れようとしている。そろそろ正月の準備を考えなければならない。百貨店では、お節の予約コーナーは、各社のお節のサンプルが例年通り並んでいる。

流風家は、昨年は手作りしたが、今年は迷っている。業者のお節は味が濃いので、どうも舌が受け付けない。でも、手づくりばかりだと飽きてくる。そこで、今年は、半々にしようかと思っている。

ところで、業者のお節はよく見ると、各社ほとんどが、毎年同じ内容だ。確かに、お節とは、そういうものかもしれない。ただ、西鶴は『日本永代蔵』で、警告している。お節の材料価格は毎年変動する。

それなのに、毎年、同じ材料を使うのは、おかしいと言うのだ。もちろん、これは家でお節を作る場合のことで、江戸商人とか大阪商人は派手で、毎年、同じ材料で、価格が高かろうと安かろうと変更しないという。

そのため、お節に限らず、正月用の品を予算を超える価格であっても、購入している。これは、正月だから特別だという意識が働いているのだが、西鶴は異議を唱える。つまり、これは商人の始末・倹約という精神に反すると言うのだ。

一年の計は元旦にありというように、出費の計画は、年の初めに、12等分して、計画するべきとしている。だから、余計にかかる正月のためには、毎月、その分を積み立て、準備に回す心構えが大切と説く。

そして、その積立を超える正月の準備はナンセンスという。当時も、堺商人は、そのように手堅くやっていたという。今は、堺も大阪の一部だが、当時は、堺と大阪は別の認識だった。そして、彼らを次のように表現する。

「人の見持しとやかにして、十露盤(そろばん)現にも忘れず、内証細やかに、見かけ奇麗に住みなし、物事義理を立てて、随分花車なる所なり」と。

(内証とは家計の事。花車とは品がいいこと)

彼らは、お節の準備で、伊勢海老が高ければ、車海老に変更し、橙が高ければ、九年母に変更していた。要するに正月の気分が味わえればいいとして、徹底する。これは正月のために、過度の見栄を張っても仕方ないという割り切り方。予算内にすべて収める考え方。

正月に対しては、いろんな考え方があるだろうが、堺商人のやり方も、一つの方法だろう。商売を何代も続けたいのなら、堅実な堺商人を見習った方がいいかもしれない。そして、この考え方は現代の日本のどの家庭でも言えることかもしれない。

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2010年11月23日 (火)

政治の期待値ということ

期待値という言葉がある。期待値をコントロールするのは、サービスの原則でもある。人々は期待値に対して、そのサービスが低かったら、不満を持ち、あまり期待していなかったのに、予想以上のサービスを受けると満足をする。サービス業は、人々の心を読みながら、人々の期待値を調整することに、成功のカギがある。

それは国の政治サービスに於いても、同様だろう。新しい政権ができて、期待値が高まると、支持率は高まり、しばらくして、その執行能力に失望すると、支持率は下がる。今まで、政治は国民の期待に応えていないわけだ。すなわち、国民の期待値を調整することを怠っているから、支持率が下がる。

それでは、国や政府はどうするべきか。基本的には、予防線を張るべきだろう。国民に過大な期待を持たせないようにすることだ。国民も過大に国や政府に期待しないようにする。流風は、為政者なら、次のように言う。

「現在、国にお金がないので、皆さんの期待に沿える政策の執行は難しい。ただ、期待に沿えないかもしれないが、あらゆる可能性を検討していく。それでも、十分なことはできないかもしれない。政治に、あまり期待しないでください」と。

そのように言えば、選挙で落ちるかもしれない(笑)。しかし、期待値が低いと、予想外の政策執行で、国民の満足度は上がるかもしれない。政治家の皆さんも、選挙の時に、国民に期待ばかりさせるのではなくて、期待値の調整技術が求められている。そうすれば、短期政権は避けられるだろう。

*追記

但し、これは政治のレベルが高い時に言えること。現在は、政治レベルは低いのに、マスコミが期待値を煽るから、国民が変な期待をしてしまう。それで、後から、大きな失望が来る。ここ十年は、それの繰り返し。

それに与野党も、器の小さい人ばかりで、目を蓋いたくなる。失言の多い政府も困ったものだが、揚げ足ばかり取る野党もいい加減にしてもらいたい。国会論戦は、国民が望む政策論争が中心であるべきだろう。

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2010年11月22日 (月)

不平不満は身を滅ぼす基

最近は、就職活動に親が口を出すそうだが、そんなことをすれば子どもは成長しない。流風の場合は、親は就職に関しては、求めても何のアドバイスもしてくれなかった。自分の一生の事は自分で決めろと突き放された。特に父には。

だから就職活動中に、口を出されることもなかったし、その活動がうまく行かなくても、余計なアドバイスもなかった。もともと、大学院に進むと周囲は予想していたが、それに対して親が援助してくれるかは不明だった。結局、教授の推薦が無かったため、就職することにしたが、その分、活動は遅れた。

はっきり言って、出遅れた就職活動は大変だった。どこも採用・内定を終えており、募集している会社はそんなになかった。いろいろ応募しても、最終面接に何回も落とされ、その時は、結構、焦ったものだ。そうして、ようやく、受け入れてくれた企業があった時は、正直ホッととしたものだ。

その時は、さすがに、親も喜んでくれた。そして、父からアドバイスをもらった。それが次の言葉だ。

「入社三年間は、どんなに苦しくても、不平不満は言うな。石の上にも三年、という言葉が表すように、まず会社に、自分のよさを知ってもらって、信頼される人間になれ」ということだった。

ところが、入社すると、仕事は厳しい上に、給料は安いから、周囲は皆、不平不満をいう新人で溢れていた。流風は、父からの忠告もあり、仕事とは、こんなものかな、と思って、特に不平不満は感じなかった。

しかし、同期の新人の多くの人が辞めていった。彼らは流風から見て、皆、優秀な人たちばかりだった。残ったのは、流風のように凡才ばかり(笑)。でも、会社は、そのような人材に仕事を任せざるを得ない。その中で、仕事の喜びを皆、発見していった。

現在、就職活動されている方は、確かに大変と思う。しかし、就職活動は、どの時代も大変。でも、規模の大小は問わず、自分を受け入れてくれる企業はどこかにある。そして、受け入れてもらったら、三年間は辛抱し、不平不満を言わないことだ。それが処世というものだろう。

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2010年11月21日 (日)

龍野城周辺散策

今年の紅葉は夏が厳しかったからかもしれないが、いい感じだ。近所にも大きな公園があるので、他所にいかなくても、紅葉狩りは、十分できる。だから、わざわざ他所に行く必要は感じないのだが、昔、訪れた龍野城に無性に行きたくなったので、行ってきた。

JR姫路駅で乗り換えして、姫新線に乗車。地方線の割に乗客が多い。三輌だけだけれど。本竜野駅下車。竜野市は合併して、「たつの市」になるし、城の方は「龍野城」、駅の方は「本竜野駅」。たつの、龍野、竜野と、三つも表示が違うのは、ちょっと変な感じ。

駅を降りると、昔と違って、駅舎もきれいになっていた。以前通った、おぼろげな記憶を頼りに、歩いて、たどって行った。街全体が美しくなっており、若干の戸惑いを感じる。案内板に従って、龍野城を目指すと、当日は、町おこしフェアのようなものをやっていて、結構にぎわっていた。

古い街並みも、いい感じで、小京都を感じさせる。確か、「播磨の小京都」という謳い文句でアピールしていたと思う。家々も、和風建築中心で、大邸宅が並んでいた。相対に田舎の家は大きいが、それだけでもあるまい。そこに住んでいる人々も何となく品がある。

高級住宅街というと、芦屋を思い浮かべるが、六麓荘にある大邸宅は、ほとんどが洋風で、こことは少し感じが違う。日本人には、この地のような和風建築が落ち着く。政府も、政策的にもっと伝統的な和風建築を推進すればいいと思う。日本の木材は余っているのだし、お金持ちは、和風建築で家を建ててもらいたいものだ。

さて、通りを抜けていくと、龍野城に到着。城と言っても平屋の屋敷。確かに、最初、中世、赤松村秀により、鶏籠山(けいろうさん)の山頂に城は築かれた。4代続いた後、秀吉に明け渡し、豊臣系大名が在城。その後、徳川の時代に入り、城主がいろいろ代わった後、幕府領になり、城も侍屋敷も、壊された。

1672年に信州飯田より、外様の脇坂家が入り、再建。ただし、山頂ではなく、麓に御殿式の城を修復。これは城というより、邸宅。幕府から睨まれるのを警戒した結果とされる。むしろ、埋門とか、隅櫓の方が立派で、お城の雰囲気を漂わせている。そして、ここから見る山の紅葉はきれいだった。

更に進んで、聚遠亭に行く。名前の由来は、ここからの眺望絶景を称えて、「聚遠の門」と呼ばれて、名付けられたという。浮堂の茶室は、城主脇坂安宅が、京都所司代の職にあった頃、御所が炎上した時、その復興に功があり、孝明天皇から拝領したものという。隣接して、裏千家鵬雲斎千宗室家元に名付けられた「楽庵」という茶室もあった。

実際、これらの茶室は、古く傷んでいるが、立派で、いい感じ。そして、何と言っても、ここの紅葉がきれいだ。ここは、先ほど行った城から山を臨んで見るのもいいが、建物との調和では、こちらの方がはるかに優れている。多くの人がシャッターを切っていた。流風も、紅葉狩りには、丁度来てよかったと思った。

後は、霞城館、矢野勘治記念館、武家屋敷資料館、旧脇坂屋敷、龍野歴史文化資料館、うすくち龍野醤油資料館なども訪問し、楽しんだ。

*追記

概して、公共施設が、観光客をいかに迎えるかについて、無頓着のようだ。観光面で、若干の苦情を言えば次のようになる。

一、聚遠亭は石の階段を上っていくとあるのだが、上がった所には目の前に車。駐車場なのだ。階段から転落したら、大惨事につながるだろう。これには絶句。嫌な感じ。車観光に配慮したものだろうが、あそこに駐車場は必要なのだろうか。ここには歩いて登ってもいいではないか。配慮したつもりが、せっかくの観光地を台無しにしている。

二、文化施設の接客に問題(商店等商業施設の接客には、特に問題はない)。ある施設では、冷たい命令調の口調の若い女性。これが観光地の接客と言えるだろうか。彼女の資質の問題かもしれないが、彼女を配置させることが問題。また別の施設では、着物を着た高齢の女性による茶席への強い勧誘にも戸惑った。品が無い。

三、ある文化施設では、大きな声で呼び込み。入るか入らないかは観光客が決める。呼び込みの必要な施設であろうか。せっかくの文化を台無しにしてしまう。多分、呼び込みがなかったら入っただろう。文化の扱い方がわかっていないのだろう。

四、ある文化施設では、高齢のボランティアの人による解説が行われていた。高齢者の活用はいいことだと思うが、施設内での高齢者独特の大きな声の解説は、静かに鑑賞したい人には迷惑至極。屋外の解説には向いていると思うが、屋内の解説は不要ではないか。

五、ある施設では、施設内で、政治活動のための署名依頼をしていた。主張はわかるが、場所は不謹慎。何も、こんなところでする必要はないだろう。こういうことを認める風土に違和感。

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2010年11月19日 (金)

姫路城と天空の白鷺(しらさぎ)

国宝であり、世界遺産の姫路城が「平成の大修理」をしている。平成26年までかかり、今年4月から大天守閣に上がることはできない。そのため観光客は激減しているという。確かに天守閣に登れないとなると、姫路城観光の魅力は薄れる。それに天守閣は、工事用の素屋根に覆われて、外観も見ることもかなわない。

ただ来年の平成23年3月26日より、素屋根内に見学施設「天空の白鷺」ができて、工事の様子を見学できる。予定では平成26年春ごろまで。当初は、予約中心に受け入れ。30人以上の見学予約は、すでにスタートしている(*参考参照)。世界遺産で国宝の補修工事を常時公開するのは国内では初めてのことらしい。

それにしても、名前は、「天空の城ラピュタ」をもじったのかな(笑)。まあ、お城というものは、天に浮いているように見えるから、それをイメージしたのは、どちらが先かどうかはわからないが。

入場料は、お城への入場料大人400円とは別に200円必要だ。中学生以下5歳までは100円(入場料は100円)。ただ現在、姫路城は天守閣に登れないので、大人の入場料が600円から400円下げられているから、まずまずか。また大天守の地階から3階などの一部も登閣できるようになるらしい。

また「天空の白鷺」の前評判はいいものの、それまでの期間、観光客を呼ぶイベントとして、まず「姫路城物語」を平成22年11月20日より23日まで催すようだ。これは姫路城をテーマパークに見立てて、いろんなイベントを催すものだ。入場料(大人400円、子ども100円)を支払って参加できる(一部追加有料の催しもあり)。

イベントしては、エリアを元禄エリア(西の丸庭園)、侍エリア(二の丸周辺)、戦国エリア(二の丸「は」の門付近)、迎賓館に分け、それぞれに催しが行われる。

内容は、アトラクション(捕り物劇、南京玉すだれ、剣劇、侍による剣術指導な、甲冑隊による出陣劇など。公演はそれぞれ一日三回)、お茶席(有料500円)、むかし遊びコーナー(剣玉・折り紙・お手玉など)、似顔絵コーナー(侍うつし絵)、記念撮影(甲冑武者との記念撮影)、お姫様・お殿様体験コーナー(迎賓館にて。予約制で、すでに予約終了)など。その他に、各所に、いきなり忍者というものもあるようだ。

あまり期待せずに気楽に楽しめそうな催しが多いようだ。お金は、余りかからないようなので、家族で、寄ってみるのもいいかも。それはそれとして、来年、「天空の白鷺」には、一度上ってみたい。団体客優先のようだから、いつ頃に登れるのだろうか。

*参考

 天空の白鷺「姫路城大天守修理見学施設」

   http://himejijo-syuri.jp/

*参考

 姫路城大天守保存修理工事(鹿島)

      http://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/index-j.html

      

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2010年11月18日 (木)

謡曲『経正』のこと

数日来、ブログで、「琵琶名器、青山のこと」、「五絃弾の琴」、「鶴と五絃弾」を記したが、これらを取り上げたのは、実は、謡曲『経正(つねまさ)』を鑑賞するための予習であった。能は、謡と舞から成り立つが、謡の自分なりの解釈と、舞の理解なくては、楽しめないものだ。舞の理解からは、まだほど遠いが、謡曲の解釈は、自分なりにできないこともない。

さて、この謡曲では、今は亡き経正の追善供養のために、僧都行慶が、青山を仏前に供え、管絃音楽で、法事を営むことから始まる。後は、能によくあるパターンで、行慶は、経正が幻のように現れたように感じられ、言葉を交わす。

そして、経正は、供えられた青山を弾き、懐かしむ。彼は琵琶への妄執に惹かれてやってきた。彼のことは次のように表される。

  されば、かの経正は、されば、かの経正は

  未だ若年の昔より

  外には仁義礼智信の五常を守りつつ、

  内には、花鳥風月、詩歌管弦を専らとし、

  春秋を松蔭の草乃露水のあわれ

  世乃心に洩るる花もなし 洩るる花もなし

彼は、風流に通じ、世の中のあらゆる自然現象に対して、それらは皆、風雅の種になった。彼は夜半楽を舞う。しかし、やがて、修羅道に襲われ、娑婆の管弦の遊びも、それまでになり、業火に苦しむ姿を見られるのを恥じて、消えていくという筋になっている。

平家は都落ちの際、和歌を届けたり、いろいろ逸話を残しているが、平家が文人化していたのは確かなようである。それが衰退した要因であるが皮肉にも、後世に、これらの逸話は延々と語り継がれている。

母は、平家は、武士が公家化して、武士の領分を忘れたから滅んだのだと、流風が小さい子どもの頃から幾度も聞かされた。母が何を伝えたかったのかは、当時はわからなかったが、本分を守れということだろう。

これは商人にも言えることで、芸術や文化に現をぬかすと、本業を忘れて、無駄遣いするようになり、本業が傾く。商人が、文化に傾倒してもいいのは、引退してからだろう。それも、ある範囲内でするのが望ましい。芸術・文化はキリが無い。

これは西鶴も、くどいくらいに、彼の本で説いている。本業が嫌になって、ついつい別の事に関心が行くのだろうが、それが大きな誤りの始まりなのだ。また余技のつもりが、それに嵌ってしまって、本業が疎かになる例も多い。

まさか、『経正』の作者(一応、世阿弥とされる)も、そのような解釈をされるとは思わなかっただろう。いろいろに解釈できるところが謡曲の楽しさだ。でも、これは真に音楽を理解できない者の僻みでもある(苦笑)。

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2010年11月17日 (水)

鶴と五絃弾

鶴は夜半に鳴くそうだが、その声は姿と違い、あまり美しいものではない。鶴の種類により、その鳴き方は異なるが、どれも、聞きよいものではない。人によって受け止め方は違うだろうが、甲高くうるさい。ただ、源順(したごう)は、次の詩に、風の音と調和すれば、五絃弾のようだと詠っている。

  漢(そら)に叫んでは 遥かに孤枕の夢を驚かす

  風に和しては 漫(みだ)りがはしく五絃弾に入る

解釈は、「鶴は、夜空に叫び、独り寝ている私の夢を覚ます。声は風の音に和して、あたかも五絃弾を掻きならす音のように聞こえる」と。

この詩とは、直接関係ないが、ついでに記すと、追われている者は、例えば敗残兵や犯罪者などは、少しの風の音や鶴の鳴き声に怯えたりする。であれば、五絃弾にも、彼らを怯えさせる力が備わっているかもしれない。

そう考えれば、音は武器にもなりうる。昔の人々が鉦や太鼓等を戦場に持ち込んだのも頷ける。それだけ、よりよい効果音の選択にもシビアになっている。つまり心に影響する音に敏感だった。

それに比べて、現代は、日常が多くの雑音に取り囲まれており、音の効果が半減している。現代人が静寂を取り戻し、本当の音を鑑賞するにはどのようにしたらいいのだろう。害のある音を寄せ付けず、いい音の選択には、もう少し厳しくなってもいいかもしれない。

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2010年11月16日 (火)

五絃弾の琴

『白氏文集』に、五絃弾の琴の詩がある。

 第一第二の絃は索々たり

  秋の風松を払って疎韻落つ

 第三第四の絃は冷々たり

  夜の鶴子を憶(おも)うて籠の中に鳴く

 第五の絃の声はもつとも掩抑せり

  隴水凍り咽んで流るることを得ず

この解釈は、音楽的素養のない流風には若干難しい。一応、無理やり、見ていくと、「第一第二の絃は索々たり」の中で、索々たりというのは、広辞苑では、「①心の安んじないさま。おそれあやぶむさま、②音のひびくさま」となっているが、これでは意味はわからない。新字源では、「さらさら、かさかさなどと音のするさま」とある。不安定だが、流れるように、ということだろうか。

次の、「秋の風松を払って疎韻落つ」も疎韻が辞書にない。韻が乱れるほどにと解釈すれば、「秋の風が松に吹き付け、ざわついている」という意か。トータルすれば、ざわざわと落ち着かない音が続いている感じか。

「第三第四の絃は冷々たり」の冷々たりは、広辞苑では、「音声のひろくあふれるさま」とある。音が高いということだろうか。鐘の音のように遠くまで聞こえる意味かもしれない。

「夜の鶴子を憶(おも)うて籠の中に鳴く」は、この解釈はそのままで、夜、鶴が子を思って、籠の中で鳴いているという意だろう。哀調のあるメロディーを想定しているのだろう。結局、トータルすれば、哀調のある音で遠くまで響かせるという意だろうか。

最後の「第五の絃の声はもつとも掩抑せり」の掩抑というのは、新字源によると、「おさえとどめる」とある。よって音が抑制され、押さえつけられている感じという意だろうか。

「隴水凍り咽んで流るることを得ず」は、隴は中国の地名だろう。そこに流れる川の水が凍りつい声も出ないくらいの音の意だろうか。トータルで、低く音が抑えられ、それで緊張感のある音なのかもしれない。

まあ、無理やり解釈を試みたが、音楽的な素養がないため、すっきりしない。やはり解釈は無謀だったかな。

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2010年11月15日 (月)

琵琶名器、青山のこと

音楽家というものは、名器を演奏したがる。弘法、筆を選ばず、というわけにはいかないようだ。流風には、楽器のことはわからないが、聴き比べれば、その違いを理解できるかもしれない。少なくとも、指揮者によって、その音楽の出来が違うことまではわかるから。

楽器の演奏者も、その道具によって、微妙に出る音が違うのだろう。だが、どんなに名器であっても、演奏者の腕前によって、その音質は大きく異なる。すなわち、名器に相応しい腕前が必要なのかもしれない。そういうことで、腕前が上がれば上がるほど、名器が欲しくなるのだろう。

さて、以前の拙ブログで、「芸術家の研鑽と謡曲『絃上』」を記した。そこでは、琵琶の名器、絃上を題材にした謡曲を取り上げた。今回は、唐からの三つの名器、絃上、獅子丸、青山の内、青山について、覚えとして、少し記してみる。

これらの名器について、再度記せば、ある美人の誉れ高い宮中の女性が、その評判が海外まで広がり、唐の皇帝から強く所望され、その見返りに送られてきたのが、三つの名器と三曲とされる。三曲は、貞敏が唐の博士、廉妾夫から伝えられたという。三曲については、諸説あり、不明なようだ。

しかし、帰朝の途中、三つの名器のうち、獅子丸は遭難し、日本に到着していないから、どの程度の名器だったかは不明。絃上は戦争で消失したから、青山は、最後に残った名器と言える。青山は、甲(琵琶の膨んでいる部分)は、紫藤で作られており、撥面には、「夏山の峰のみどりの木の間より、有明の月のいづる」(『平家物語』)が描かれていたという。

その名器を平経正が、仁和寺に幼少の頃、仕えていたところ、御室に最も愛され、彼が十七歳の時に、宇佐の勅使になった時、預け下されたらしい。預け下すというのも、随分微妙。与えるでもなく、預ける。相手との関係性を維持するためのものか。実質は、賜るということだ。最近は、あまり賜るという言葉は使わないので、言葉の持つ意味は、現代人には、理解しがたい面もある。

後、平家は没落し、都落ち。戦争で、名器青山を失うことを惜しんで、御室に戻し残そうとしたのが、平経正である。経正なんて言っても、ご存じない方にはピンとこないかもしれないが、あの青葉の笛で有名な敦盛の兄である。

敦盛に関しても以前取り上げた。須磨に行って、敦盛の胴塚や須磨寺で青葉の笛を御覧になった方も多いと思う。懐に錦の袋の中に青葉の笛。どうも、この兄弟は、芸術の面に優れた才能があったのかもしれない。だが、公家化した武家の悲哀を感じざるを得ない。でも、その後も、こういう文武両道という生き方を日本人は愛してきた。

 

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2010年11月14日 (日)

水漏れ事件

母から晩年、父の入院中、電話があり、「最近、水道代が高くついて仕方ない」と言ってきた。母は、家事はすべて中途半端だったが、洗濯は洗濯機のない若い頃から好きで、流風が子どもの頃は一日に数回、子どもが独立してからも、毎日洗濯していた。だから、水道代は、高くつくのだろうと思った。

一応、その水道代がなぜ高いのか帰省した時に、調べてみると、洗濯は、風呂の残り湯を使っているというし、風呂は毎日入っているというが、それだけで、そんなに水道料金が増えるとも思えない。そこで水回りをすべて調べると、あることが判明。

まず風呂の栓が駄目になったらしく、新しく取り替えたようだが、そのサイズを間違っていた。大き過ぎるのだ。だから、湯船にお湯を張ろうとすると、最初、栓が浮き、お湯がじゃじゃ漏れになって、お湯がなかなか貯まらないが、ちょっとした加減で、栓が固定され、湯が貯まるということを繰り返していたらしい。

これを指摘すると、そういうことかいなと、言っていたが、父がおれば、そういうことはなかっただろう。すべて父任せにしているから、こういうことになる。母は、一筋の糸の譬え(*注)じゃないけれど、何でも始末した人。でも、どこかが抜けていた。これじゃ、お金は貯まらない(苦笑)。

そして、もう一つ発見。水道管から、水漏れがしていた。地面に水が湧き出しているのを発見。これは相当前からのようで、水道局に連絡を取って、修理してもらった。この水道管の漏れは早くから気づいていたようだが、滲む程度だったので、自分とことは関係ないと思っていたらしい。

一応、以上のように手を打つと、次の月から、水道代は半減した。これは大変大きい。一年近く、水漏れの状態が続いていたようだから、母の呑気さには、少し呆れてしまった記憶がある。日頃、始末していても、肝心なことをやらなければ、何にもならない。国や地方も同じことだろう。

*注

徳川時代の重臣、土井大炊頭利勝が、千代田城の殿中で、一筋の絹糸が落ちていたので、それを拾いあげ、懐に入れたという逸話。徳川初期の重臣は、物を大事にして、創業の精神を忘れなかった。例え、一筋の糸でも、何かに使えるかもしれないという気持ちは大切だ。

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2010年11月13日 (土)

レポーター西鶴の教え「長者丸と毒断」

拙ブログで、度々取り上げている西鶴だが、意外と読まれていないようだ。彼は当時のレポーターというような感じで、見たり聞いたりしたことを記録にとどめ、彼の感想を記したのが、彼の作品の多くだろう。

現代で言えば、三面記事になるような情報を収集をして、それをうまく整理して、まとめたと言うことができる。彼の教えは、現在でも通用することが多く、もっと多くの人に読んでもらいたいものだ。

今回は、以前に記したものと重複するかもしれないが、商売に関することに触れておこう。それは長者丸と毒断だ。まず長者丸とは、次の事を指す。

  ◎朝起き(早起きの意) 五両

  ◎家職(家業の意)  二十両

  ◎夜詰(夜業の意) 八両

  ◎始末(倹約の意) 十両

  ◎達者(健康の意) 七両

合計五十両に十分配慮しすれば、長者になれるというもの。

次に、毒断とは次の事を断つことを指す。

  ●美食・淫乱・絹物を普段着

  ●内儀を乗り物全盛、娘に琴・歌賀留多

         (妻や娘に贅沢させる意)

  ●男子に万の打囃

         (息子に遊芸を学ばせる意)

  ●鞠・揚弓・香会・連俳

  ●座敷普請、茶の湯数寄

  ●花見・舟遊び・日風呂入り

  ●夜歩行・博打・碁・双六

  ●町人の居合・兵法

         (町人の本分以外に手を出す意)

  ●物参詣・後生心

         (宗教に無駄にお金をかける意)

  ●諸事の扱ひ・請判

    (ややこしいことに首をつっこみ仲裁したり、保証人になることの意)

  ●新田の訴訟事・金山の仲間入り

    (訳のわからない事業に参入することの意)

  ●食酒・たばこ好き、心あてなしの京のぼり

    (嗜好品や目的の無い旅行に行くことの意)

  ●勧進相撲の銀本、奉加帳の肝入

    (興業のスポンサーになったり、寄付のまとめ役になることの意)

  ●家業の外の小細工・金の放し目貫

    (商売とは直接関係のないことにお金をかける意)

  ●役者に見知られ、揚屋に近付

    (役者関係に見知られ、頼られ、揚屋に近付き金を巻き上げられる意)

  ●八より高い借銀

         (高い金利の借金をする意)

以上のように、長者丸を飲み、毒断ちをすれば、金持ちになれると、西鶴は説く。果たして、皆さん、いかが(笑)。人は知らず知らず、贅沢するようになると言ったのは祖父。よく子どもが言うように、「誰誰ちゃんとこもそうだから、あれ買って」と言われ、そのようにしていたら、お金は貯まらないということらしい。長者丸は努力して飲むことができても、毒断ちはなかなか大変だ。要するに、そこが境目かもしれない。

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2010年11月12日 (金)

風と月

  風枯木を吹けば晴れの天の雨

    月平沙を照らせば夏の夜の霜

これは『白氏文集』にある詩の一部。作者は、もちろん白楽天(白居易)。平安貴族は、白楽天の詩を愛し、和歌づくりに取り入れている。日本が得意とする文化のつまみ食いだ(笑)。彼らの中には、『白氏文集』をすべて読んで理解していた人もいるだろうが、多くは多分そうではあるまい。そして、日本文化の中を独り歩きしている例は多い。

さて、この詩の意味は、そのままで、「風が枯れた木に吹くと、枝を鳴らすので、晴れなのに雨かと錯覚させてしまう。月が砂漠を照らすと夏の夜なのに霜が降りているように見える」という意味だ。

こういう絵を見るような表現が平安貴族には好まれたのかもしれない。当然、白楽天がこの詩を詠んだ中国と日本では、環境条件が大きく異なっただろうけれど、自らの環境に照らして、感ずるところがあったのだろう。

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2010年11月11日 (木)

日本外交の見直し

日本は自民党政権時代から、外交が下手だ。民主党政権も、その流れを引き継いでいる。特に近隣外交は、下手過ぎる。確かに近隣外交は難しいが、喧嘩を恐れてはならない。

多くの国が、表で喧嘩して、裏で握手することを繰り返してきた。あるいは逆の事をやってきた。しかし、日本外交には、表の外交に頼り過ぎる傾向がある。外交の基本は、主張すべきことは主張し喧嘩して仲良くなること。それは子どもの世界と同じ。喧嘩して、相互の理解が深まる。

喧嘩を恐れて、初めから妥協ありきで、仲良し外交(いわゆる商人の揉み手外交そのもの)をしようとすれば、相手国に足元を見透かされる。戦争のトラウマがあるのかもしれないが、根本的に日本外交のあり方を見直すべきだろう。日本の外交を再度確立する必要がある。

また国際社会が多極化する時代に、自民党時代のように、米国外交一辺倒の単純なやり方では通用しないことは明らか。多極化時代に相応しい外交スタンスが求められる。そして、外交は闘争と理解し、その手法も、原点に戻り、見直すべきだろう。

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2010年11月10日 (水)

狂言『延命袋』を考える

料理で、油揚げの中に、根菜類を詰め込んで、煮込んだものを延命袋という。これからの季節、根菜類は美味しいが、健康に良いことは昔から知られていた。根菜類を食べることは、長生きの秘訣とされる。

最近は、同じ名前の料理でも、揚げ豆腐の中をくり抜いて、それをひき肉とか、シイタケと炒め合わせたものも、そのように呼んでいるようだ。確かに、それも美味しそうだが、本来の延命袋とは大きく異なる。

さて、延命袋には、もう一つの意味があり、福の神を持つ袋を指す。そういう袋欲しいなあ。そんなことを言うと、誰でも、すでに持っているなんて、言われるのだろうか。狂言にも『延命袋』というものがある。別名『引括(ひっくくり)』だ。話の内容は、流派によって多少異なるようだ。

大まかな筋は、いつも口うるさい妻に嫌になった夫が、実家に帰ったので、これ幸いと離縁状を太郎冠者に届けさせることから始まる。まあ、どこの家庭でもあるような(笑)。口うるさい妻に閉口している夫たちは、たくさんいることだろう。

妻というものは昔のように恋人ではないし、長く夫婦関係が続くと、妻は夫の母親のような口ぶりで、いろいろ詰ったり、小言を繰り返す。それは安心感から発するものとも言えるし、愛情の裏返しとも言われるが、言われる方の夫は辛いものだ。そして、そのことに妻は案外気づいていない。

夫のタイプにもいろいろあって、妻の繰り言を音楽のように聞いて、聞き流す人もいれば(笑)、すべて受け止め、ナイーブに心を傷つけられるタイプもいる。ところが、どこの妻も、相手の性格を見ず、同じように接するから、この男のように、遂に離縁状を送るまで追い込まれる場合もある。

前口上が長くなったが、この狂言では、離縁状を送られた妻は立腹し、離縁の印を要求する。男は、そんな適当なものはないので、袋一つを渡すと、そんなものだけではと、文句を言われ、男は、それなら袋に入るものを適当に持ち去れと言う。

ここで、妻が取った行動が面白い。妻は、夫に袋を被せ、これが欲しいと引っ張っていくというもの。これは日頃、妻は男に、口うるさくしていたが、それは大変夫を愛していたということだろう。

男は、残念ながら、妻の小言が、愛情表現の一つとは取らない。そこに夫婦の齟齬が生じる。夫婦とは、そんなものだろう。これはお互い短気を起こしてはならないという教訓であり、妻に夫は所詮、勝てないという含みもある。

でも、妻は夫を福の神と考えて、袋を被せて、延命袋とすることもできる。夫婦関係は結局、妻次第。夫の取り扱い次第で、夫婦関係は大きく変わる。女性の皆さん、それには、まず、袋が何なのか考えてみて。

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2010年11月 9日 (火)

弁護士出身の政治家

最近の傾向なのかもしれないが、どうも弁護士出身の方が政治家になって、上の方で幅を利かしている。与党の官房長官、外務大臣、野党の党首などもそうであり、その他にも、弁護士出身者が要職を占めている。

これは何を物語るのか。確かに日本は法治国家であり、法の知識は必要だ。ただ、政治家は、過度に法律に詳しくなると、既成概念に縛られやすい。まだ大阪府知事は、革新的だが、それでも、法を知悉するが故の限界はあるだろう。

政治は、既存の法律に捉われると停滞する。かつて自民党政権時代は、法律面は官僚任せにしたという反省があるのかもしれないが、ある程度、官に任せた方がいい場合もある。それは政治家が、目標と方向性を明確にした時に有効だ。

だが、現民主党政権は、党としての国家戦略も不明な上に、政治の前に法律ありきという感じで、国際権力闘争に立ち向かっていない。それでは、すべてが遅れてしまう。政治家は、政治的嗅覚によって、国内外の環境変化を見通し、未来を見定めた上で、法律を変えるぐらいの意気込みが、まず必要だ。

資質にもよるが、弁護士出身者の政治家の重用は慎重にすべきだろう。彼らは、むしろ官僚の作った法律案のチェックに使われるべきだ。

*追記

また法律に詳しい官僚出身政治家も、弁護士出身の政治家と同様の傾向がある。法律を熟知していることが時として強みにはなるが、政治面では逆に弱みにもなる。弁護士出身の政治家は、将来を見つつ、現状認識に基づき判断しなければならない。目先の判断をすることが最も怖い。

*注記

念のために記せば、政治家が法律を無視していいということではない。現状と合わなければ、専門家の意見を仰ぎつつ、国民の了解を得て、適正に改正するのはいい。ただ議員代表制とは言いつつ、今の時代は、国会だけで、勝手に法律は変えてはならないだろう。

それは、あらゆる法律の元である憲法も同様だ。但し、憲法の場合は、より慎重な議論が必要で、国民が納得のいく場合のみだ。拙速な改正や、どこかの国のように、度々改正することのないようにしなければならない。

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2010年11月 7日 (日)

マスコミによる政治家の評価に疑問

マスコミは、どういう基準で政治家を評価しているのか全く分からない。政治家の明確な評価基準があるのだろうか。新聞社等の記者たちは、ベテランでも、彼らが知りうる狭い範囲の個人的なな印象で判断し過ぎる。つまり大局的かつ客観的に、政治家の能力と実績の評価が必ずしも、できていない。

首相の選定についても、マスコミ受けする人を推奨し、いざ首相になって無能力ぶりを露わにすると、盛んに攻撃する。しかし、持ちあげたのはマスコミではないか。逆に、マスコミ受けの悪い議員は、徹底的に叩くクセも抜け切れていない。

政治家の評価は、いい面も悪い面も含めて、総合的に評価しなければならない。そうしないと、いつまでも、だらしないトップを選んで、支持率低下と騒いで、失脚させることの繰り返しをして、国際社会の笑い物になっている。マスコミは、政治家の評価基準を再度、国民に明確にして、報道すべきだろう。

*追記

政権支持率調査もいい加減だ。実態とかけ離れた支持率は信用できない。調査の仕方が恣意的であれば、マスコミは、どんどん国民から遠い存在になる。それでは米国の大手マスコミと同じことになる。

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2010年11月 4日 (木)

女性ファッション異論 その五

女性は、ファッションモデルの着ている姿を見て、自分も欲しがるというのは、今も昔も変わらないかもしれない。しかし、自分の体形を無視した購入は、タンスの肥やしになりがちだ。その点、若い女性は、その点まだシビアに見ているように感じる。

更に、少なくとも、若い女性は、体型に関しては、全体として病的なほどスマートになっており、身長も高い傾向がある。そうなれば、最早、ファッションモデルと体型は、あまり変わらない人もいる。

ただ、若い人に見られる傾向は、あまりにも体型を気にし過ぎて、痩せ過ぎの傾向があることだろう。これは、あまり健康的ではない。最近は妊婦もやせ気味で低体重の子どもを産み、その後、その子どもは肥満気味になるという。自分のことだけ考えて、子どもにしわ寄せが来ているのだ。

それに男は、概して、本能的に健康的な美人を望むから、痩せ過ぎの女性は魅力が低い。もちろん、デブの女性は、基本的に論外。最近は、デブのタレントが、よく出演するが、可哀そうな感じだ。彼女らの親に責任があるのか、本人の生活自体に問題があるのかわからないが、男の評価は概して低い。

結局、よく言われるように、女性は中肉中背がよろしい。高からず、低からず、太からず、細からずだ。もちろん、親から生まれた以上、どうすることもできない面もある。ただ、母親は、生まれてくる子どもの将来を考えて子どもを産む必要があるだろう。

要するに、体型もファッションなのだ。どんなに高価な衣服を纏っても、それに相応しい体型であることが求められる。つまり健康的な体型、フィットした服、選択眼のあるデザインセンス、年齢とのバランス、コーディネイト力、そして文化を理解する頭脳と美容力が、女性ファッションに必須と思われる。

これらは何が欠けても不十分で、これらをすべてこなすには、相当の経験と知識がいる。もちろん、いつも、そのようにすることは不可能だ。そんなことは男も求めていない。やはり時と場所に応じて、恥ずかしくない適切なファッションをする工夫が女性には求められる。要するにメリハリが大切なのだ。

以上、自分のファッションは棚に上げて(笑)、女性のファッションについて記してみた。流風的な異論かもしれないし、すべてが正しいとは思っていないが、日頃から思っていたことを記せたので、すっとしました(笑)。でも、女性は、いつも美しくあって欲しいと思っているのも事実。各人が、それぞれのレベルで、バージョンアップされることを望みたい。

(この項、一応これで終わり)

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2010年11月 3日 (水)

女性ファッション異論 その四

今回は爪の処理について記しておこう。女性アナウンサーが派手なマニュキュアをしていると、あまりのセンスの無さに、ぞっとする。彼女がリポートすれば、何事も、いい加減に聞こえてくる。テレビ局は何も注意しないのだろうか。それとも、彼女らを恐れて、何も言えないのか(笑)。

また、ある銀行の女性の受付が、派手なマニュキュアをしているのにも驚いた。彼女らは、サービス業の一員。顧客に不愉快さを与えないようにするのは、サービス業の鉄則。銀行は何も注意しないのだろうか。昔は、銀行員は、公務員のように目立たないようにしていたものだが、今は違うのだろうか。ああういうところが、結局、事件を起こすのだろう。

何事も、公私の区別は大切だ。だが、日常やっていることを仕事の場面で切り替えることは、なかなか難しいものだ。よって日頃からの姿勢が問われる。彼女らは、プロとしての意識が低いと言えよう。

また日本人は、あのような派手な色は似合わない。欧米人や、肌の色の濃い人種は、それなりに似合うかもしれないが、肌色には、それなりに健康的に品よく見せる色の選択が必要だろう。特にサービス業関係者には求められる。

それに、あまり濃い色を選択すれば、水商売風になって、品が良く見えない。今では、水商売の人々も、そういう色は選択しない。むしろ、落ち着いた色を選択している。どうも、この点は、世の中、逆転しているように見える。

また付け爪のネイルアートが一時流行ったようだが、男から見れば、決して美しいとは思えない。それは流風だけでなく、多くの男が感じている。大体、男は、あのようなものに無関心。本当かどうか疑うなら、彼氏に聞いてみたらいい。

一応、遊び感覚なのだろうが、決して褒められたものではない。それに、あのような付け爪をすれば、料理もやりにくいし、その他のことにも支障が出る。所詮、有閑マダムのお遊びなのだろう。自分の彼女には、ああいうことはしてもらいたくないと思っている男は多い。それに長爪する女性とは、お近づきになりたくないものだ。昔から、迷信かどうか知らないけれど、小指の爪を長くする人もいるけれど、みっともないだけだ。

また、ぺディキュアも夏には、よく見させてもらったが、これはマニュキュアと違って、一度も美しいと感じたことがない。どうせ暇な女性がやっているのだろう。安っぽい女に見えるだけだ。それとも、女性の水虫は案外多いと聞くから、爪の水虫隠しのためにやっているのだろうか。だが、ペディキュアが水虫防止に役立つというのは嘘だろう。その治療に、まず専念すべきだろう。それに、剥げたペディキュアを見ると、虫唾が走る。よくまあ、あんな姿を無神経に他人に見せるものだ。

(続く)

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2010年11月 2日 (火)

女性ファッション異論 その三

また、いつごろからか、かなり時間が経つと思うが、目の周りを黒くする、俗に狸目化粧が主流になっているようだが、これも男から見ると、大変おかしい。似合う人もいるにはいるが、大体、笑ってしまいそうな感じだ。

本来、化粧と言うのは、自分のいいところを明確にすることのはず。それが個性というものだ。化粧する女性というものは、自分を客観的に見ることができないのだろうか。それとも、日本の女性は、自分のよさを無視して、流行に流されて、没個性を望んでいるのだろうか。

また最近、特大の付けまつげ、呼び方は忘れたが、それも流行っているようだが、これなどは、似合う人は、ほとんどいない。あれは舞台などでは映えても、一般には可笑しいだろう。ある飲食店で、あまりにおかしいので、ついつい余計なこととは思いながら、指摘してしまった。街を歩いている女性を見ても、そういう方はいるが、他者からどう見られているのか、もう一度、考えて欲しい。

そして、これを流行らす業者やメークアップ者の美的センスを疑いたい。また外国人では、似合っても、日本人には似合わないことが多い。本来、顔のつくりが違うのだから、美容の仕方も違って当然はずだが、何でも、そのまま取り入れるのはどうかしている。

日本人の顔や体型にあったものに変える努力がまだまだ足りない。そして、業界が、こぞって何でも、流行だと囃すやり方は、一種の詐欺。誰にも似合う化粧方法やファッションはない。個々人に相応しいものを選択できるシステムや販売方法が求められる。

(続く)

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2010年11月 1日 (月)

女性ファッション異論 その二

さて、その若い女性のファッションだが、まず化粧からして少し変だ。少し前は、茶髪に合わせるため、色白に見せようと、厚めの化粧を施していたのだが、変な感じだった。日本人が、白人の真似をしても、化粧では同じにはできないのは明らか。所詮、作られた色白だ。それに茶髪をセットすれば、奇妙な印象になる。なぜ、それが本人たちは、わからないのだろう。美的センスの欠如か、単に流行に弱いだけか。

そして、最近は、すっぴんが流行りということになっている。ところが、茶髪はそのまま。茶髪にも、いろんなレベルがあるようだが、大変バランスが悪くなって、見苦しい。テレビで、タレント、女優、アナウンサーが、これをやっていると、自分の顔をもう一度、確認しろと、言いたくなる。そんな顔を公共の電波で晒すなと言いたい。それにしても、周囲は何も言わないのだろうか。彼らには、当然、メイク担当がついているはずだが、彼らのセンスが麻痺しているのだろうか。

それは次のような所に垣間見える。よく一般人を対象に、ビフォア・アフターということで、変身させる番組があるが、流風的には、変身する前の方が、いいことが多い。アフターと言っても、所詮、美容師の自己満足ではないのか。芸能人だったら、それもいいのかもしれないが、一般人が、あのような姿で街を歩けはしない。まるで商売女のように見えてしまう。

前々から言っているように、日本の女性には、茶髪が似合う女性は滅多にいない。確かに黒髪も全ての女性に合うとは言えないが、髪形を自分に合うものを選択すれば、全体としては無難なものになるはずだ。茶髪は、ヘアトリートメント会社の戦略に乗せられた結果であるのだろうが、もう一度、自分自身が一番美しく見える見せ方について考えて欲しいものだ。

(続く)

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