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2010年11月24日 (水)

お節の準備と堺商人

11月も終わりに近付き、もうすぐ12月で今年も暮れようとしている。そろそろ正月の準備を考えなければならない。百貨店では、お節の予約コーナーは、各社のお節のサンプルが例年通り並んでいる。

流風家は、昨年は手作りしたが、今年は迷っている。業者のお節は味が濃いので、どうも舌が受け付けない。でも、手づくりばかりだと飽きてくる。そこで、今年は、半々にしようかと思っている。

ところで、業者のお節はよく見ると、各社ほとんどが、毎年同じ内容だ。確かに、お節とは、そういうものかもしれない。ただ、西鶴は『日本永代蔵』で、警告している。お節の材料価格は毎年変動する。

それなのに、毎年、同じ材料を使うのは、おかしいと言うのだ。もちろん、これは家でお節を作る場合のことで、江戸商人とか大阪商人は派手で、毎年、同じ材料で、価格が高かろうと安かろうと変更しないという。

そのため、お節に限らず、正月用の品を予算を超える価格であっても、購入している。これは、正月だから特別だという意識が働いているのだが、西鶴は異議を唱える。つまり、これは商人の始末・倹約という精神に反すると言うのだ。

一年の計は元旦にありというように、出費の計画は、年の初めに、12等分して、計画するべきとしている。だから、余計にかかる正月のためには、毎月、その分を積み立て、準備に回す心構えが大切と説く。

そして、その積立を超える正月の準備はナンセンスという。当時も、堺商人は、そのように手堅くやっていたという。今は、堺も大阪の一部だが、当時は、堺と大阪は別の認識だった。そして、彼らを次のように表現する。

「人の見持しとやかにして、十露盤(そろばん)現にも忘れず、内証細やかに、見かけ奇麗に住みなし、物事義理を立てて、随分花車なる所なり」と。

(内証とは家計の事。花車とは品がいいこと)

彼らは、お節の準備で、伊勢海老が高ければ、車海老に変更し、橙が高ければ、九年母に変更していた。要するに正月の気分が味わえればいいとして、徹底する。これは正月のために、過度の見栄を張っても仕方ないという割り切り方。予算内にすべて収める考え方。

正月に対しては、いろんな考え方があるだろうが、堺商人のやり方も、一つの方法だろう。商売を何代も続けたいのなら、堅実な堺商人を見習った方がいいかもしれない。そして、この考え方は現代の日本のどの家庭でも言えることかもしれない。

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