« 山登りのこと | トップページ | 贈り物について »

2010年11月29日 (月)

赤穂大石神社に行く

拙ブログで、赤穂浪士のことは何回も取り上げ、赤穂への観光について、述べたこともある。だが、若い頃に二回ほど訪問して、行こう行こうと思いながら、なぜか、行けなかった。そして、今回、思い切って、行ってみた。新快速で、JR播州赤穂駅下車。

すぐに観光案内所に直行。受付の女性がにこやかに迎えてくれて、各種パンフレットを渡してくれた。その中には、割引クーポン券もあった。今回の目的は、赤穂大石神社に行くこと。観覧料がクーポンを使うと半額。ラッキー(笑)。

駅を降りると、駅舎がきれいになっており、昔と大分違う感じ。時の流れを感じる。広い通りをまっすぐ南に下がる。通りの店舗は、和風の店舗になって統一されており、街づくりの努力のあとが見られる。

そして、歩いて行くと、まず見えるのが、息継ぎ井戸。これは刃傷事件が起きた後、早水籐左衛門満尭と萱野三平重実が、早駕籠に乗って、四昼夜飛ばして、赤穂城下に入り、ここで水を飲んで一息ついたところ。

その西側に行くとには、変な塩のオブジェが作られていた。最近、東京の作家二人が造られたということだが、地域に馴染まない変なもの。よくこんなものを地域も認めたものだ。早く撤去するべきだろう。

更に、西に行くと赤穂藩主歴代の菩提寺である花岳寺があるが、今回は、時間の都合でパス。再び大通り(お城通りと言うらしい)に戻り南進。間もなく、赤穂城跡の一角にある赤穂大石神社に到着。最近、改修されたのか、大変きれい。まず参拝。

そして、義士宝物殿、同別館、義士木像奉安殿の展示物を鑑賞し、大石邸長屋門・庭園を散策。庭園は、春の方が楽しめるかも。像は、どれも著名な作家が作られたようで立派。それぞれの義士の特徴を活かし、うまく創作されている。

四十七士の内、何人か知っていても、すべての人については、あまり知らない。それが今回、赤穂大石神社に行った理由の一つでもある。大石内蔵助はじめ四十七義士を祀る神社であり、討ち入り以外の木造の人物像があると聞いたからだ。討ち入りの木造は、あちこちで見受けられるが、義士それぞれの木造はあまり聞かない。今回は、本当に来てよかった。

*追記

四十七士というと、両親は、すらすらと言うことができた。母は、少し頼りなかったが、父は、歳が行っても、よく覚えているなと思うくらいだった。戦前、学校で、覚えさせられたのだろうか。流風は、覚えた記憶もなく、全く駄目。最近では、赤穂の小学校では、歌にして、四十七士を覚えるらしい。その四十七士の名前を、一応、覚えとして記しておこう。

  大石内蔵助良雄

  原惣右衛門元辰(もととき)

    片岡源吾右衛門高房

  堀部弥兵衛金丸(あきざね)

    近松勘六行重

  間瀬久太夫正明

  富森助右衛門正因(まさより)

    早水籐左衛門満尭(みつたか)

  奥田孫太夫重盛

  矢田五郎右衛門助武

  大高源五忠雄(ただたけ)

  村松喜兵衛秀直

  岡島八十右衛門常樹

  勝田新左衛門武尭(たけたか)

    神埼与五郎則休(のりやす)

    武林唯七隆重

  吉田沢右衛門兼定

  貝賀弥左衛門友信

  横川勘平宗利

  小野寺幸右衛門秀富

  間十次郎光興

  岡野金右衛門包秀(かねひで)

    矢頭右衛門七教兼

  大石主税良金(よしかね)

    吉田忠左衛門兼亮(かねすけ)

    堀部安兵衛武庸(たけつね)

    潮田又之丞高教(たかのり)

    赤埴(あかばね)源蔵重賢(しげかた)

    小野寺十内秀和

  磯貝十郎左衛門正久

  木村岡右衛門貞行

  大石瀬左衛門信清

  中村勘助正辰

  菅谷半之丞政利

  千馬三郎兵衛光忠

  不破数右衛門正種

  間喜兵衛光延

  倉橋伝助武幸

  前原伊助宗房

  奥田貞右衛門行高

  杉野十平次次房

  茅野和助常成

  村松三太夫高直

  間新六郎光風

  間瀬孫九郎正辰(まさとき)

    寺坂吉右衛門信行

  萱野三平重実

 

 

 

 

|

« 山登りのこと | トップページ | 贈り物について »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 山登りのこと | トップページ | 贈り物について »