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2010年11月15日 (月)

琵琶名器、青山のこと

音楽家というものは、名器を演奏したがる。弘法、筆を選ばず、というわけにはいかないようだ。流風には、楽器のことはわからないが、聴き比べれば、その違いを理解できるかもしれない。少なくとも、指揮者によって、その音楽の出来が違うことまではわかるから。

楽器の演奏者も、その道具によって、微妙に出る音が違うのだろう。だが、どんなに名器であっても、演奏者の腕前によって、その音質は大きく異なる。すなわち、名器に相応しい腕前が必要なのかもしれない。そういうことで、腕前が上がれば上がるほど、名器が欲しくなるのだろう。

さて、以前の拙ブログで、「芸術家の研鑽と謡曲『絃上』」を記した。そこでは、琵琶の名器、絃上を題材にした謡曲を取り上げた。今回は、唐からの三つの名器、絃上、獅子丸、青山の内、青山について、覚えとして、少し記してみる。

これらの名器について、再度記せば、ある美人の誉れ高い宮中の女性が、その評判が海外まで広がり、唐の皇帝から強く所望され、その見返りに送られてきたのが、三つの名器と三曲とされる。三曲は、貞敏が唐の博士、廉妾夫から伝えられたという。三曲については、諸説あり、不明なようだ。

しかし、帰朝の途中、三つの名器のうち、獅子丸は遭難し、日本に到着していないから、どの程度の名器だったかは不明。絃上は戦争で消失したから、青山は、最後に残った名器と言える。青山は、甲(琵琶の膨んでいる部分)は、紫藤で作られており、撥面には、「夏山の峰のみどりの木の間より、有明の月のいづる」(『平家物語』)が描かれていたという。

その名器を平経正が、仁和寺に幼少の頃、仕えていたところ、御室に最も愛され、彼が十七歳の時に、宇佐の勅使になった時、預け下されたらしい。預け下すというのも、随分微妙。与えるでもなく、預ける。相手との関係性を維持するためのものか。実質は、賜るということだ。最近は、あまり賜るという言葉は使わないので、言葉の持つ意味は、現代人には、理解しがたい面もある。

後、平家は没落し、都落ち。戦争で、名器青山を失うことを惜しんで、御室に戻し残そうとしたのが、平経正である。経正なんて言っても、ご存じない方にはピンとこないかもしれないが、あの青葉の笛で有名な敦盛の兄である。

敦盛に関しても以前取り上げた。須磨に行って、敦盛の胴塚や須磨寺で青葉の笛を御覧になった方も多いと思う。懐に錦の袋の中に青葉の笛。どうも、この兄弟は、芸術の面に優れた才能があったのかもしれない。だが、公家化した武家の悲哀を感じざるを得ない。でも、その後も、こういう文武両道という生き方を日本人は愛してきた。

 

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