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2010年12月 9日 (木)

僧正遍昭のにぎやかな人生(五)

遍昭について、何回か記してきたが、流風は文学研究者ではないので、正確なことはなかなか記せていないかもしれない。学生時代は文学青年ではなかったので、今、改めて、古典を楽しんで、それをブログに記しているに過ぎない。今回は、このテーマの最終回として、遍昭の女性感を、若干の和歌から感じてみようと思う。

さて、女郎花は、「おみなえし」と子どもの頃、なかなか読めなかった。秋の花で黄色いが、あまり目立つ花ではない。「おみな」とは、「おんな」のことらしい。別名、粟花。最近は、健康ブームで流行っているらしいが、昔は白米が食べられない貧乏人の食べ物だった。随分昔のことだけれど、「貧乏人は、稗、粟を食え」といった首相もいた。

ちなみに男郎花というものもあるらしい。これはまだ見たことがないが、白い花で、女郎花より少し大きいようだ。そして別名、米花。こういうのは、男女差別の名残りかな。いずれ、このような別名は忘れ去るかもしれない。でも、花の雰囲気は合っている。うまく名付けたものだ。

前置きが長くなったが、遍昭も、女郎花を題材に歌を詠って、女性を評している。それは次のようなものだ。

  名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花

   我おちにきと 人にかたるな

     (『古今集』 二二六番)

解釈は、「名前に惚れて、女郎花を折りとっただけなのだよ。この私が、堕落しているとは他人に言ってくれるな」と。裏には、「女郎花という名前で、その花を折り取っただけで、私のことを、すぐ色好みと言うのは止めてくれ」と言う感じ。彼も、色好みと言われる評判は、多少気にしていたのかも(笑)。

次も彼の作だ。

  秋の野に なまめき立てる 女郎花

      あなかしがまし 花もひと時

        (『古今集』、千十六番)

解釈は、「秋の野に、女郎花が美しさを競っているように見えて、にぎわしい。でも、咲くのは一時に過ぎない」ぐらいか。少し痛烈だ。裏には、どんな若い女性も、三人寄れば、姦しいと言っているようにも捉えられる。

女郎花を題材に詠っている和歌で、『古今集』には、明確に彼の作となっているのは、上記二首のようだが、次に、「読み人知らず」で次の歌があるが、これも遍昭の歌ではないだろうか。

  秋くれば 野べにたはるる 女郎花

    いずれの人か 摘まで見るべき

                 (『古今集』、千十七番)

表面的な解釈は、「秋になると、野辺に、風に吹かれて、揺れているたくさんの女郎花がある。誰が摘まずに置こうか」かな。裏は、多くの若い女性が、戯れていると、男は放っていないというニュアンス。若い女性は集まっていると、男が寄ってきて、連れて帰られる感じ。

続けて次のような歌もある。

  秋霧の はれてくもれば をみなえし

     花の姿ぞ 見え隠れする

              (『古今集』、千十八番)

解釈は、「秋の霧の中にある女郎花は、晴れたり曇ったりして、見え隠れする」という意。女性も、日によって美しく見えたり、そうでなかったりする。これは見る側の気持ちで、対象が、美しく見えたり、そうでないと捉えることもできる。

更に次の歌もある。これは遍昭の歌と言われる。

  花と見て 折らんとすれば 女郎花

    うたたあるさまの 名にこそありけれ

      (『古今集』 千十九番)

解釈は、「咲いている花を手折ろうとすると女郎花だった。嫌な感じの名前であることよ」という感じか。「女郎」は、美人とか佳人という意味があるのと、「折る」というのが、女性が男のものにされるイメージを重ねた。

最後に、もう一首。女郎花かどうかわからないが、そんな感じの歌。

  散りぬれば 後はあくたに なる花を

    思ひ知らずも まどふてふかな

    (『古今集』 四三五番)

解釈は、「どんな花も散ってしまえば、汚くなる。そういうことを忘れて、蝶は花に夢中になってしまう」。裏の意は、「女性は若さを失うと、魅力は失せる。恋をしている時は、男は惑わされて、そういうことを忘れてしまうようだ」と、少し辛辣だ。

以上が、女郎花を題材にした歌(四、三、五番は遍昭の作かは不明)だが、すべて遍昭の歌のように感じられて仕方がない。彼の女性感が出ているような感じがする。非常に冷静に女性を観察している。それは出家後の感想なのか、悔悟なのか。でも、出家したからと言って、異性には関心がなくなったわけではなく、色好みの本性は、変わらなかったということだろう。

*追記

ちなみに、「色好み」とは、二つの視点がある。一つは、単に情事を好み、好色なこと。もう一つは、恋愛の情緒を理解し、洗練されていること。遍昭の場合は、実際はどうだったのだろうか。

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