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2011年1月31日 (月)

デフレ下の物価高

デフレの定義は難しいが、新聞等では、現在の日本の経済状況はデフレとしている。政府・日銀もデフレ脱却と言っている。ただ、デフレーションとは、物価が持続的に下落することを指し、通貨が収縮することだ。これは日本銀行が、いろんな理由があるだろうが、過度に物価を統制した結果とも言われている(*注)。

ところが、市場は確実にインフレが起こっているようだ。物価が上がりつつあるのだ。時々行く、雰囲気の好きな某喫茶チェーン店も、一部値上げするという。ここのコーヒーは、あまり好きではないが、新聞を読んだり、読書するにはいい。ハンバーガー系と比べたら高いが、場所代と考えたら、そんなものかなとも思う価格だ。父には贅沢と、たびたび叱られたが。

砂糖も上がるようだ。オーストラリアの災害の影響が大きいかもしれない。まあ、大量に摂取するものではないから、あまり影響はない。母に倣って、以前、特売の時に買った物が、まだ、たくさん残っているし(笑)。

食用油やドレッシングも上がるようだ。家庭で揚げ物料理はしないので、基本的に消費量は少ないので、影響はないが、店屋物(いわゆる中食)を購入するので、影響受けるだろう。ドレッシングはよく使うので、若干影響ありか。小麦粉も上がりそうだという。菓子パンは少し前から、価格が上昇傾向だ。砂糖の値上がりも続けば、更に上がっていくのだろうか。

最近は贈答用でもらうことが少なくなったタオルも値上がりしそうだ。タオルは、輸入品は安いものもあるけれど、肌触りはあまりよくない。タオルは日本製がいい。たくさん使うし、消耗品だから、値上りすれば、結構影響を受けるかもしれない。下着類も定期的に買い替えしているので、影響はある。

ガソリンも上がっている。車には乗らないので、影響はないが、地方財政厳しい折、公共料金の値上げはあるかもしれない。そうなれば、かなり影響を受けるのは間違いない。

こうして見ていくと、物価は確実に上がっていく。流通業界が、流通支配力で抑制しようとするだろうが、最早、不適切に価格を抑制することはも国としても望ましくない。長期のデフレが続いて、デフレの怖さを知ったのは、国だけでもなかろう。

適切なインフレは必要だ。そして、年収の適切な上昇も望まれる。賃金アップも必要だろう。ただスタグフレーションにならない保証もない。経営者も、難しい判断を求められる。

*注

もちろん、デフレの原因は日銀だけの責任ではないと思う。デフレの要因としては、次のものが挙げられる。

 一、労働力の安い海外品の輸入増加

 二、企業経営者の競争意識の過剰~低価格に捉われ過ぎ

 三、ネット化による中間流通のカットによる価格低下

 四、人口構成の逆ピラミッドによる購買力低下

 五、財政悪化による公共投資の削減

 六、政府による産業転換政策の遅れ

 七、米国の景気悪化による輸出産業の不振

そして、以上のようなデフレ化経済という環境変化を組み込まず、

 八、インフレ時代の厳しい物価抑制策を継続した日本銀行の政策ミス

ということになろうかと思います。

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2011年1月30日 (日)

春遠からじ

昨夜から大変寒い。また強い寒波がやってきたようだ。昨夜は、止めていた電気行火を取り出した。ところが、壊れていて、温まらない。ちょっと、これは大変。困ったなあと思って、押入れを探っていると、昔買った記憶はあるが、あまり使ったことのない電気敷き毛布が出てきた。

長年使っていなかったので、使えるかどうか不安だったが、大丈夫だった。温度調節もできる。なぜ、これに気付かなかったのだろう。早速、敷き布団の上に乗せて、更に普通の毛布を被せることにした。

風呂上りに、寝ると、じわっと温かい。これはいい。朝起きたら、大変寒かったが、ぐっすり眠れた。これからも使い続けるかどうかわからないが、氷点下の夜にはいいかもしれない。

起きて、温度計を見ると室内温度零度。寒い。やはり、こういう時は、ガスストーブは有難い。燃料代はかかるが、すぐ温まる。ところが、ガス温水器のお湯がでない。一般水道の方は大丈夫だ。ガス温水器の水道管が凍結しているのだろう。困ったことだ。昼まで待とう。

冬来たりなば、春遠からじ、とは言うもののも、いつまで続くのだろう。今年は、体調はいいものの、早く春が来て欲しいものだ。天気予報は、2月に入ると、3月並みの暖かさになるというのだが。

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2011年1月29日 (土)

恋愛の芸術

かつて日本では、恋愛の芸術の社会的地位は低いものであったが、現在は、その反動で、過剰に表面化しているかもしれない。戦前も、その表現は抑制された物が多かったと聞く。そういうことで、父の世代は、海外の恋愛物の翻訳に人気があったそうだ。

江戸時代は、狂言作者、戯作者、浮世絵師の社会的地位は低かった。伝統的な日本画は、それなりに遇されたが、浮世絵は、軽視された。それゆえ、浮世絵師の出自が不明なのは、多分、彼らが身分を隠したからだろう。浮世絵師の中には、日本画の絵師もいたかもしれない。それほどに、蔑視された存在であったと想像される。

もちろん、彼らの描く物は、現在のエロ本に匹敵するので、庶民には、見えないところで、内緒で普及して人気があったものと思われる。いつの時代も、性に対する関心は、同じ。蔭の教本になっていた。これらを西洋の人々が評価したのは、彼らに分かりやすかったという分析もある。人間の関心は洋の東西を問わず、変わらないということだろう。

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2011年1月28日 (金)

売家と唐様で、、、、

よく知られた川柳に、「売家と唐様でかく三代目」というのがある。初代が、血のにじむような努力で築き上げた身代を、二代目は、親の姿を見ているから、何とか持ちこたえるが、三代目になると、創業者の苦労は全く知らないから、遊びに明け暮れ、身代を滅ぼしてしまう。確かに、道楽・文化・教養は備わっているから、自分の家を売りに出すにも、その文字は唐様と凝っている。うまくからかった川柳だ。

これは現代日本を物語っていないか。終戦後の焼け野原の中を、各界の諸先輩方は、リーダーシップを発揮して、かなり無理をして、がむしゃらに国を再建してきた。そして、国民も、働き過ぎと言われるほど働いて、それに応えてきた。しかし、それも65年以上も経つと、その努力も忘れてしまうらしい。

バブル崩壊という、二度目の敗戦があったかもしれないが、戦後の廃墟から比べたら、大したことがなかったのに、本当に血の滲む努力で、再生しようとしたか。当時の政府が、やったのは、身の程を知らずのバブル時と同様の予算、いや、それ以上に組もうとした。つまり過大な財政支出と大幅な減税だけだ。大国意識が抜けきらず、20年以上も、同じことを繰り返す愚。

これは政治家と官僚の責任というかもしれないが、政治家を選んだのは、国民だ。それは国や地方にぶら下がる地方や企業が、当時の政権与党の自民党(後には公明党も)国会議員の足下を見て、たかり、選挙とバーターした結果だ。その流れを民主党政権になっても、政策の違いはあっても、まだ引き継いでいる。

特に、地方の放漫経営は、今でも目を覆いたくなるものだ。地方の時代とか、地方主権とか言うけれど、放漫経営のままでいいのか。国会議員も、選挙のために、地方に税金を投入し続けたツケは大きい。公共投資は確かに減ったが、議員の高い俸給・歳費などの人件費には、あまりメスが入らず、既得権を守ろうと必死だ。地方にぶら下がっている特殊法人に対する天下りは今も改まらない。

そして結果的に残ったのは、国の過大な借金だ。地方と国と合わせて、一千兆円の借金。海外債権や資産があるから、まだ大丈夫などと呑気なことは言っておれない段階にある。一体、何が、問題なのか。一票の格差が大き過ぎて、地方の政治家が多すぎるのが問題だが、なんだかんだと言って、修正しようしない政党も悪い。

しかし、もう、そんなことを言っておれない。早急に国民は政治家に圧力をかけて修正させねばならない。国民の反省としては、目先のことに捉われて、政治家の主張や動きを何もチェックして選ばなかった結果、結局、最終的に難儀が国民に降りかかってきたのだ。

しかしながら、最早、多くの予算で食っている公務員も、うかうかとしておれないだろう。ギリシャのようにならないと誰が言えようか。ギリシャとは国の状態が違うと言って、決して安心できる状態ではない。茹でカエルになりかねない。

近い将来、想定される地方公務員のリストラ。残った公務員も、ボーナス全額カット、俸給3割カット、退職金の支払い延期、年金カットも十分考えられる。現在、倒産企業と同じで、俸給を支払っていること自体、無理があるのだ。国民としては、公のリストラが進めば、公共サービスの低下は免れないのは仕方ない。不足は、ボランティア活動やタイガーマスク運動のように、より相互扶助で補っていくしかないだろう。

国会議員も、財政の立て直しについて、重要な議論は何もせず、政治闘争ばかりして、何をしているのかわからない。やはり国会議員も、法律の改廃を通した時のみ、俸給が得られるような仕組みに変更しなければならない。いずれ、それに反対する議員は落選させるしかない時が来る。

議員は、限りなくボランティアに近くなるだろう。昔は、政治家になれば、家産を失うと言われたものだ。本来の姿に戻るべきだろう。それが嫌なら、政治家にならなければいい。全ての政党も国会議員も、早く目を覚まさなければならないだろう。

ところが、政治家は危機感が足りなさすぎる。歳出削減させるどころか、毎年、予算を肥大化させる愚。民主党政権も、マニュフェスト(国民の多くがマニュフェストを支持して民主党に投票していないだろう。単に自民党政権に飽き飽きして、変化を求めただけだ)に捉われて、政策を無理やり推進しようとしている。

しかし、最早、新しい政策が打てるほど、どこにも財源はない。日本は、最早、大国ではないのだ。まず議員は大国意識を捨てる必要がある。内外にバラまくなど、いい格好するのはいい加減に止めるべきだろう。

また地方議員に至っては、実質、何も議論していない地方議会の現状を見れば、その必要性は薄い。議員の定数を大幅に削減して、俸給を半減させるべきだろう。大半は、ボランティア議員で十分だ。

もちろん、これらだけでは、国の財政危機は救えないかもしれない状況だ。つまり歳入を増やすための手を打たなければならない。増税のための税制の大幅な見直しは必要だろう。まず各種税制を見直し、概ね1990年以前の税制(所得税、法人税、財産諸税)に戻す必要がある。これは増税ではない。元に戻すだけだ。マスコミは、あまり騒がないでもらいたい。

更にキャピタルゲイン課税も強化すべきだろうし、新税としては最近論議されているペット税も必要だろう。今まで黙認されてきた宗教法人に対する課税も必要だ。今は、国にお布施が必要なのだ。不労所得に税をかけるのは当然だろう。また地方税としては、増収効果は薄いとされる固定資産税の引き上げも求められる。

消費税増税は、いろんな意見があるが、人口構造がピラミッド型から逆ピラミッド型に変わったことによるひずみを是正するため、社会保障の現役世代の過負担緩和のためにはやむを得ない。但し、諸外国と比して税率が低いというような、まやかしの説得は止めておいた方がいい。日本は、準消費税が多いから、それらを含めると、そんなに低くない。あくまで、人口構造の歪み是正のためとすべきだ。これは日本の特殊な事情によるものだ。

ただ、菅首相は、増税の前に解散するとしているが、増税してから(増税の筋道、日程を決めてから)解散すべきだろう。選挙してからだと、また増税ができなくなる可能性があり、日本の財政危機はますます深まるからだ。社会保障の体系を作りなおして、増税を決めて解散することが国のためだ。それだけで、菅首相は役割を果たしたことになるのだ。

後は、郵政の早期上場をさせて、歳入を増やすべきだろう。いつまでも、引き受け比率が高い国債の引受機関として、残そうとする、財務省のもくろみは危ういと言うべきだろう。民間経営に任せるべきは任せて、国債を引き受けるかどうかは、他の銀行同様、彼らに判断させればいい。

一般国民も、経済財政大臣が言っていたように、年金の支給年齢引き上げが想定される。ただ、あまり引き上げると、年金の意味が無くなる。大臣は、寿命が90年の時代に必要だと言っていたが、そんなに平均寿命は伸びないと見る。ただ後期高齢者の年金上限キャップ方式の導入もあるかもしれない。

歳出の削減と同時に歳入の引き上げは、もう待ったなしなのだ。子孫に借金を残してはいけない。彼らに過酷な生活をさせてはいけないだろう。民主党も、借金を増やして、新たな政策を打つのは諦めた方がいい。子ども手当も、当面延期すればいい。説得すれば、国民は納得する。

これらにすべて、手を打てば、海外の格付け機関も再評価して、国債の格付けが上がる可能性は高い。だが、与野党も、国民も、甘えは許されるほど時間はない。いずれにせよ、これらのことを実行して行かないと、日本の未来は危うい。これらのことに手を打てれば、何とかなるかもしれない。いつまでも楽な夢を見ず、皆が目を覚まそうではないか。

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2011年1月27日 (木)

言論の自由と自己規制

現在の日本は、性情報が氾濫して、東京都では、都が、公序良俗に反するマンガを規制しようとしたら、言論界から、言論の自由を阻害するものだとして、反発している。何でも、言論の自由としてしまうのは行き過ぎではないだろうか。自由というのは、常に自己規制という義務が伴う。それを無視すれば、いずれ強い規制が課される可能性が高い。

自由を守るのは、自らの姿勢であることを理解していない。言論界には、若干の危惧を感じる。それはマスコミにも言える。大所高所から報道しなければならないのに、近視眼的報道になっていると、いずれマスコミ規制が強くなるだろう。

その辺の危機感が、これらの業界にも足りないように思う。自由を謳歌するには、責任を伴うことを忘れてはならない。自由とは、何でも許されることではない。自由にもルールがある。

何でもかんでも、無責任に自由を乱用していては、いずれ暴走して、予想以上の規制がかかる。これは歴史的に明らかだ。それは業界にとっても最悪だろう。自由を守るには、自己規制の大切さを知るべきだろう。

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2011年1月26日 (水)

天は二物を与えず

俗に、天は二物を与えずというが、子どもの頃、お金持ちで、美人で、頭もいいという女の子がいたのを覚えている。その後、彼女が、どうなったか知らない。

金持ちにも、二種類あり、一つは、最近の日本では少なくなった代々続いている金持ち。もう一つは、いわゆる成り金。だから、それぞれの子女は、仮に美人であっても、雰囲気は大きく異なる。彼女は、前者だったと思う。

前者に見られるのは、比較的質素な服装をしていた(もちろん、何らかの催しのある時には、それなりのパリっとした服装ができるが、普段は、見せびらかすことはしない)が、後者は、いかにも金のかかった贅沢な身なりをしていることが多かった。

容姿も、前者は、子どもでも、雰囲気に品が感じられるのに対して、後者は、豪華な物で着飾った結果、外見だけが美しく見える人が多かった。そもそも、物の選択眼の違いがある。前者は、流行を追わないし、それなりに価値があると認められる物しか身につけない。後者は、流行を追うし、評判になっている物に対して、金に糸目はつけず購入する姿勢だ。

また頭がいいというのも、成績もいいが人間的に頭がいいというのと、成績だけがいいというのと、二種類ある。すなわち、家庭で人間教育ができているのと、そうでないのとがいた。もちろん、前者はそうであることが多く、後者は、そうでないことが多かった。

このように見ていくと、現在の日本は、なり上がりの子女が多いかもしれない。ただ、なり上がりも、何代も続けば、本当の金持ちになるかもしれない。果たして、どのようになっていくのだろう。でも、活力を維持するには、二物も三物も持たない方がいいかもしれない。お互いの不足を知り、それを補う社会の方が強いと思う。あまり、二物がないと嘆かない方がいい。

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2011年1月25日 (火)

積極的な心

人間生きていくには、前向きな考え方の方が健康にいいのは明らかだ。でも、若い頃は、それができなかった。どちらかというと、自らを貶め、辛い時期があった。悲観的な考え方では、余計に苦しくなるだけ。結局、内臓の調子もおかしくなった。

そういうことでは駄目だと分かったのは、仕事で七転八倒して、悩んだ末の結果、ある時、気がついた。基本的に、やるだけやれば、なるようになると思うようになった。もちろん、そのことで、他者から、色々言われたが、そういうことも含めて、前向きな方が、好転するようだ。

そういうことは、あの中村天風氏も言っている。もちろん、彼は、戦前、戦争で死線を彷徨って、様々の経験をされて、そういう結論になったので、彼の発言は、流風とは、はるかに比べ物にならないほど、説得性が高い。

彼によると、心の構造は、何事も意識することを繰り返すことによって、無意識が養われる。これは人格形成に大きく影響する。そして、人間の心は宇宙霊とつながっていて、積極的な心を持つことによって、気が動くとしている。この「気」が大切だという。このことは安岡正篤氏も、指摘していた。

そうすれば、望むことが実現する。若い人たちも、これから色々あるだろうが、人間として、原理原則から、はずれなければ、積極的な心を以て、事に臨んでもらいたいものだ。そうすることで、人生の運は開けてくる。まずは強い意識を以て、活動して元気を出そう。

*注記

なお積極的な心とプラス思考とは、深い所で、基本的に異なり、積極的な心は、そんなに単純なものではないらしい。

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2011年1月24日 (月)

寒さのお陰?

毎日、寒い日が続いているが、寒さにも慣れ、最近は、睡眠もぐっすり。ただ体調はいいのだが、食べ過ぎと運動不足で、久しぶりに体重計に乗ると、体重が標準より4キロも増えていた。例年、冬は肥えて、夏痩せる体質だが、ちょっと増えすぎ。少しセーブしなければ。

さて、氷見では、寒ブリが大漁らしい。この寒さのため、海流が変化して、寒ブリが漁場に流れ込んできたようだ。猟師の方々も、大漁で嬉しそう。そのため、四割程度、例年より安くなって、不利益となりそうだが、消費者に入手しやすいことで、売れるらしい。みんながハッピーになれるのはいいこと。

今から市場に出回るのが楽しみだ。テレビ等で、寒ブリを料理を味わっている旅行者等を見ると、唾が出てくる。こちらの市場にも出回るのだろうか。早く入手して、味わいたい。ブリの料理と言えば、ブリ大根とか、ブリの照り焼きが思いつくが、両方とも大好きだ。氷見のブリは、刺身や、しゃぶしゃぶにしても美味しいそうだ。果たして、入手できるかな。食べたいなあ。

*追記

でも、光熱費の大幅アップには、ちょっと、う~ん。やはり、今年の冬は、去年より寒いことは確かなようだ。ガス代昨年対比50%アップ、電気代昨年対比20%アップ。ガスストーブは、気温が摂氏5度以下になれば、使用し、10度に温まれば、空調に切り替えていたが、あまり効果がないみたい。やはり風呂のガス釜が使う料金が大きいのかな。寒い日は、ゆっくり温まりたいし。

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2011年1月23日 (日)

運命を変えるには

生きていると、運命というものを感じる時がある。苦しい時は、運命を恨んだりする。それでは、運命は変えることができるのだろうか。現役時代、諸先輩から、推奨された言葉がある。それは次の言葉だ。

 人間は心の持ち方を変えることによって、運命を変えることができる。

 心が変われば行動が変わる。

 行動が変われば習慣が変わる。

 習慣が変われば人格が変わる。

 人格が変われば運命が変わる。

大変わかりやすい言葉だが、実践には覚悟がいる。運命は、すぐには変わらないからだ。でも、じっくり真剣に取り組めば、運命を変えることができると思う。困難に直面している若い方は、是非、実践して欲しい。

*注記

これらの言葉は、米国の心理学者ウィリアム・ジェームズと、デンマークの心理学者カール・ランゲによる説と言われる。原典は読んでいないが、これらの言葉のみ、広く流布している。

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2011年1月21日 (金)

今年も節分祭に行こうか

今年は、相当寒そうなので、節分祭りに行くかどうか迷っている。昨年は節分祭の豆まきで、ころころ足下に転がってきた赤いお餅を一個だけ拾った。大人が、子ども時代に戻って、わいわい騒いで豆拾いに参加することは楽しいことは楽しいのだが。

それに節分祭には、割と若い女性が豆まきに参加することも多いから、目の保養(笑)。そういうと、『節分』という狂言では、鬼が女を口説く場面があるが、結局、うまく、嘘をつかれて、あしらわれ、「鬼は外、福は内」と言いながら、豆を蒔かれて退散させられる。声はかけずにおこう(笑)。

やはり今年も、なんだかんだと言っても、矢張り、厚着して、節分祭に行こう。動機が不純かな(笑)。

*追記

また巻寿司の丸かぶりは基本的にはやらない。子ども時代は、普段、母がかっぱ巻きや、しんこ巻きなどを作ってくれて、食していたが、あまり行儀のよいものではない。かっぱ巻きやしんこ巻きは細いから食べやすいが、巻きずしになると、食べにくいこともある。一応、今年の恵方を示すと、南南東らしい。

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2011年1月20日 (木)

信用するということ

人を信用するということは、人生の大きな課題だろう。信用しないと、何もできないが、信用し過ぎると身を誤る。企業などで、販売先の信用管理をするのは、重要なことだ。すなわち、信用して信用せずということ。

得意先が順調で売り上げを伸ばしていて、信用枠を超えれば、それがいかなる回収条件であろうと、色々調査することは大切だ。そのことをいい加減にして、後で後悔することになる例は大変多いのだ。

すなわち、売り上げは、創業時を除けば、少しずつ大きくなることが望ましい。信用枠の設定も、そういうことになる。そして、得意先の少しの変化を常に観察するくせが求められる。これは個人や従業員に対しても同じこと。

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2011年1月18日 (火)

売りたいと買いたい

どんな商売でも、長期にうまくやろうとすれば、それはなかなか難しい。老舗で長く続いている所は、取扱商品の革新が何百年も続くコツという。それは時代の変化や消費者の年齢が進むにつれて必要なものが違うからだろう。それに、どんないい商品も、使ってくると飽きてくる。

だから、昔から続いているとして、仕様の見直しもせず、あまり頑固に取り扱いを続ければ、売り上げは減少していく。もちろん、時代のサイクルがあるから、将来、過去の商品が再度、評価される時が来るかもしれないから、そのノウハウは捨てないで保持していくことは求められる。

けれども、昔から取り扱っているからと言って、売りたい、売りたいという気持ちが続くと、顧客と乖離していく。やはり自身が消費者の立場になって、本当に欲しい物を売っていくことが求められる。すなわち、売り方の消費感性が非常に大切なことだということになる。

売りたいより、買いたい感性を優先したいものだ。果たして、企業の方は、消費者として、本当に自社の商品を望んでいるだろうか。消費者の立場になって、買うだろうか考えてみればいい。一度、皆に確認してみたらいい。

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2011年1月17日 (月)

ボランティア元年になった、あの地震

本日、1月17日は、阪神・淡路大震災の起こった日だ。16年目になる。長い年月が経て、当時を知らない子どもたちも増えてきた。あの震災をどう伝えるか、いろいろ工夫されている方々もいる。だが、実際、体感しないと、あの恐怖感は分からないだろう。

できれば、一生、経験したくないが、日本という地震国では、避けられないことも事実だ。そこでは、地震が起こった後の対応が問われている。あの時も、地域の人々で、助けあったが、限界がある。そういうことが大々的に報道されて、全国から若い人々が一斉に被災地にやってきた。

世の中には、こんなに若い人がいるのかと思ったくらいだ。もちろん、当時は、ボランティアシステムが確立されておらず、無駄な行動も多くあったと聞くが、その気持ちは有難がった。被災者は、放心状態で、孤独になりがちだが、多くの助けてくれる人々がいて、自分は一人ではないと思った人は多いだろう。

これをきっかけで、全国にボランティアという日本では、あまり馴染みのない行動が、評価されるようになった。もちろん、ボランティアなどは金持ちで余裕のある人だからできると、冷やかに見る人たちもいる。

しかしながら、人間というのは、常に、上を見て、下を見て、バランスを取っている。お金に余裕がなくても、ボランティア活動をする人たちはいる。自分より厳しい状態にある人々がいると思って、自らを慰める効果もあるだろう。

そういう意味では、ボランティアは、他者を支援する意味もあるが、自分自身の心を救う意味もあると思われる。元々、日本人には相互扶助精神がある。戦後、衰えたと言われるが、あの震災をきっかけに徐々に芽生えていった。今後も、日本に、いろんな形でボランティア活動という新しい相互扶助の精神が根付くことに期待したい。

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2011年1月16日 (日)

『風土記』について

日本の古代の話は、『古事記』、『日本書紀』があるが、これらは当時の天皇側から見た、ある意味、権力者側からの話のまとめ方になっている。よって、世界のあらゆる史書同様、権力者側の立場から、歴史は、粉飾されている可能性が高い。

『古事記』は、まだ、権力者も、粉飾を意識していなかったので、過去の伝承が忠実に記されているようだが、『日本書紀』は、物語としては面白いが、かなり編集されていると云われている。

それに対して、各地の『風土記』は、中央からの命令とは言え、各地の当時の知識人であり官僚である人物が、描いており、その内容は比較的見聞に忠実で描かれており、その内容も地区により、多岐に富む。

そのため、一応、行政上の地誌を記しているが、それだけではなく、地域の古老の物語も入れている。それらの話は、極めて人間的であり、当時の人々の心を示しており、示唆に富むと言われるが、原文を読むと、割と簡潔に描かれており、一般人が読むのは若干辛い。

そのため、古文同様、どうしても研究者による周辺の調査・研究による参考文献が必要になってくる。結果的に、その辺が、どうしても二次的鑑賞になり、本当の理解とはかけ離れてくる可能性も高い。それでも、想像力を働かせながら、当時に思いを遣るのは、面白いことかもしれない。

*参考

『風土記』で、現存しているのは、成立順に、『常陸国風土記』、『播磨国風土記』、『出雲国風土記』、『豊後国風土記』、『肥前国風土記』の五点だ。それも完全な状態で残っているものは少ない。今後、これらの『風土記』の内容について、記すかもしれないが、あくまでも、流風の想像による見解です。

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2011年1月15日 (土)

欲とは何か

人の情というのは、なかなか難しい。『礼記』には、「なにをか情といふ、喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲の七つ(*注1)のものにして、学ばずしてよくするものなり」とある。基本的に外部に刺激されて反応するものと捉えているようだ。

そして、人の情の中で、「欲」のほとんどが、飲食と恋愛と指摘する。欲の大本は、これらに根ざすのだ。マズローの欲求段階説(*注2)では、欲求の始めとして、「生理的欲求」としているのも、同じことだ。

社会のコントロールとは、案外、そういうところにある。その辺の本音と建前を、よく理解することだろう。これを無視していては、世の中を見誤る可能性がある。

*注1

懼(く)とは、おそれること。悪(お)とは、にくむこと。

*注2

アブラハム・マズローによる有名な「マズローの欲求段階説」では、生理的欲求→安全の欲求→所属と愛の欲求→尊重(認められること)の欲求→自己実現の欲求に進むとしている。

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2011年1月14日 (金)

積善の家

積善の家に余慶あり、積不善の家には余殃(*注)あり、と言われる。人は一人では生きていけないともよく言う。情けは人の為ならず、とも言われる。先人は、これらのことを身を以て経験したのだろう。だが、案外、現代人は、目先の自分大事という勘違いで忘れがちだ。

これらは単に道徳的教えだけでなく、極めて実際的な考えだ。そう考えれば、目先だけで考えず、子孫まで含めて行動することができる。自分の今の活動は、見えるもの見えない物含めて、将来を決める。

近視眼的にならず、未来を見据え、周囲へ目配りや社会に関心を持つことが、自分を向上させることだと思いたいものだ。これは何も若い人だけでなく、一線を引いた人たちにも言える。流風も自省を込めて。

*注 

余慶とは、「先祖の善行のおかげで子孫が得る幸福」(広辞苑)

余殃(よおう)とは、「悪事のむくいとしてくる災禍」(広辞苑)

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2011年1月13日 (木)

味の東西の違い

関西と東京では、味の嗜好が異なることは、以前から指摘されてきた。例えば、あんパンは、関西では、つぶあんがが好まれるかが、東京では、こしあんが好まれるように。最近は、スーパーにも、こしあんのあんパンが売られているが、売れているのだろうか。流風は決して買うことはない。以前、試しに買ってみたが、美味しくは感じなかったからだ。

また関西では、肉と言えば牛肉だが、東京では豚肉という。だから、すき焼きに豚肉を使うと聞いた時は、当初驚いた。どう考えても、美味しそうには思えない。肉じゃがに使う肉も牛肉だ。豚肉では、変な感じ。これは子ども時代から、舌が慣らされているから、多分、そう感じるのだろう。

それは海苔にも言える。関西は、味付け海苔が主流だが、東京では焼き海苔という。子どもの頃、ある時、母が売り場に、たまたま味付け海苔がなく、焼き海苔を買ってきた所、父が怒っていた。そういうことで、ずっと味付け海苔だった。

それに関西は、味付けが薄味で、東京が濃い味だ。醤油も、関西は薄口が主流であるのに対して、東京は濃口だ(但し、流風家は、ずっと濃口派。ちなみに塩分濃度は、薄口の方が高い)。ところが、最近、関西も、東京の味に慣らされたのか、結構、濃い味の料理が売られているのは意外だ。

今後、これらの違いが果たして、無くなっていくのだろうか。地域の特徴がなくなり、国全体が平準化されていくのはいいことなのだろうかと思いながら、最近は、味付け海苔を止めて、焼き海苔を食している(笑)。

*追記

但し、味付け海苔を止めたのは理由がある。晩年、父が「味付け海苔は食べ過ぎるな。身体にあまりよくないかもしれない」と言ったことだ。父は、母のように健康オタクではなかったので、この言葉は強く残った。

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2011年1月12日 (水)

タイガーマスク現象から寄付を考える

タイガーマスク(伊達直人)名で、児童養護施設に寄付する運動が広がっている。評価は様々だが、善意ということなら、好意的に考えたい。入学前の子供たちが、寂しい思いをせずに、はつらつとした気持ちで、新入学を喜べるなら、それは望ましいことだろう。

これは明らかに必要な物を提供している訳で、中には、現金の寄付もあるようだが、物の寄付が望ましいだろう。今回のように、必要としている施設に、必要な時期に、適切な物が確実に提供されるのは、良いことだろう。

そもそも、お金の寄付行為は、募集する団体は喜ぶが、それが適正に使われているかどうかは、若干の疑念がある。ある企業は、必要な物を確認して、福祉施設に物品を寄付しているという。

現金を寄付すると、何に使われるか、わからないし、企業の意思も、伝わらない。確かに、お金の場合は、配分とか、色々手続きがややこしくなり、必要な施設に確実に物品が届くとは言えないから、物の寄付が望ましい寄付の形と言える。

もちろん、震災等の自然災害に対しては、お金の寄付の方が有効だと思うが、そうでない場合は、物品の寄付が望ましいだろう。更に必要としている施設が、寄付者に要望事項を発信して、寄付者側は、まとめて、商品メーカーと交渉して、協力を求めれば、それなりの価格で物を入手できて、経済的にも有効だ。

とにかく、必要な所に、必要な時期に、必要な物を寄付する仕組みが求められる。日本は欧米と違って、寄付社会ではないが、こういう現象を通じて、寄付行為が評価されることは、社会の潤滑油として望ましいことだと思う。

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2011年1月11日 (火)

接客の善し悪しは経営問題

接客は大変な仕事だと思うが、他人の接客態度には、ついつい厳しくなる。流風が仮に接客の現場に行けば、多分、失敗を重ねることだろう。誰にでもできそうで、完全には、誰もできない接客。接客の現場で働いている方々には、尊敬の念を持ってしまう。

ところが、接客に違和感を感じると、その店を利用するのは敬遠してしまう。大変さはわかるのだが、受ける接遇の印象は、その日の気分まで支配されてしまうからだ。利用するからには、いい気分になりたい。お金を払うのだから、明るく元気をもらいたい。

ということで、割と長い間利用していた喫茶店の利用を止めることにした。一応、チェーン店らしいのだが、最近、雰囲気が何となくおかしい。店員のチームワークが乱れている感じ。笑顔も少なく、機械的に接客している。

しばらく辛抱したが、少し気分がよくないので、思い切って利用するのを止め、他店に変えた。そこは特別接客がいいわけでもないが、いつ行っても、雰囲気が安定している。利用客には、それが望ましい。

多分、接客する人が、あまり変わらないからだろう。ある程度のローテーションはあるようだが、大体同じ人が一人はいる。そして、客層も確かに違うが、流れの客もいるだろうが、固定客が多い感じだ。

ここにも、ビジネスのキーが隠されているように思う。接客というものは、人がするものであり、チームワークが要請されるものだから、ちょっとしたことで、現場の雰囲気は、すぐ変わる。経営者は、あるいは店舗運営管理者は、常に現場の雰囲気の変化を感じ取り、適切な対応を取ることを怠ってはならない。

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2011年1月10日 (月)

申又(さるまた)を買う

綿のトランクスを買いに行ったところ、売り場に置いていなかった。あまり売れないのかな。最近はブリーフは買わないので、困ったなと思っていたら、たまたま申又が目についた。これは父が愛用していたものだ。これを着ると温かいと言っていたことを思い出し、思い切って買ってみた。

ブリーフは、男の大事な所を締め付けるので、あまりよくないと言われているが、若い時は、外見を気にして、無理やり、あそこを締め付けるブリーフを選択していた。でも、蒸れてくるので、最近はトランクス派に転向している。これだと、あそこが楽(笑)。

早速、買った申又を着用してみると、確かに暖かい。ぽかぽかする。最近、よく売られている、ヒート何とか、と似ているのかもしれない。とにかく、これはいい。もっと早く気づくべきだったかも。これで不具合がなければ、しばらく、申又愛用者になるだろう。

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やはり寒いなあ

昨年、どこかの気象予報士が、この冬は暖冬だと言っていたが、見事に外れ、寒い冬だ。ただ、ある衣料販売会社が、暖冬なので販売不振と言っていたのには、少し驚き。業績不振の言い訳にしては、おかしいのでは。

昨年の冬も寒いと思ったが、今年の冬は、朝が氷点下が続いている。寒いわけだ。神戸から引っ越して三年目になるが、矢張り田舎は寒い。気温差は3度はありそうだ。基本的に寒がりが、寒い地域に引っ越したのだから、寒く感じるのは致し方ない。

でも、寒い割には比較的元気。こんな冬は久しぶりだ。十数年ぶりかな。原因は何かわからないが、あまり聞いたことがないけれど、男の更年期障害が終わったのかな。血の流れが変わったのだろうか。少し哀しくも、冬を楽に過ごせるのは有難い。

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2011年1月 9日 (日)

恩恵の厚さ

以前、ある大企業が初任給を高くして、新入社員を募集しているのを批判したことがある。どんな優秀な学卒も、企業で最初から戦力になことは難しい。単に技術的知識があるからといって、それが企業の必要な物を生みだすわけでもない。最初から給料が高いのはおかしいだろう。

やはり初任給は法律に抵触しない範囲で低くした方がいい。ある書(*注)にも、「恩を施す時は、最初は薄く、後になるほど厚くしていくほどいい」とある。こういうと、それは終身雇用を前提とした年功序列を意味して、現代の経営には相応しくないという人がいるかもしれない。

確かに、ある年齢に達すれば、実力主義にしないと組織がだれてくるかもしれない。しかし、それまでは、餅をつくように、人材を企業文化に沿うように育成しなければならないだろう。そのためには、徐々に給料が上がる方がいい。

最近は、ともすれば終身雇用が悪いように言われるが、終身雇用している企業の業績はそんなに悪くないだろう。一時的に悪化しても、しばらくすれば、盛り返す。やはり組織文化が発揮される企業は強いのだ。

今年の産業人の年賀でも、これから大切なことは「人材育成」という人が多かったが、今頃、気づいたかという感じもしないではないが、重要なことである。日本は資源は人材しかないと思えば、企業は人を粗末に扱わない。やはり日本的経営の復活が望まれる。

*注  出典は 『菜根譚』

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2011年1月 8日 (土)

防災ラジオを購入

もうすぐ、あの阪神淡路大震災が起こった1月17日だ。現地に入ると、廃墟になっており、まるで空爆を受けたような状況だったことを思い出す。今の問題は震災の記憶を忘れないことだろう。人間は自然には勝てないだろうが、用意と準備はすることができる。

以前、拙ブログ「防災の心構え」で、震災に備えるにはどうすればいいか、記した。しかし、その中で、防災ラジオを推奨しておきながら、実は持っていなかった。そこで、先日、家電量販店で、防災ラジオを買いに行った。

価格は大変安かった(千円程度。もちろん中国製)。以前見た時は、もっと高かったように思う。御存じない方に防災ラジオの機能を説明すると、次のようなものだ。

 一、ラジオ機能(AM/FM)

  二、時計機能

 三、ライト機能

 四、防滴機能

 五、サイレン機能

 六、自家発電機能

従来は、寝間に時計、携帯ラジオと懐中電灯を置いていた。ただ緊急サイレンを持っていなかったので、これを持つことで、一応一式準備できたことになる。更に自家発電機能があるので、電池切れの心配もなくなる。災害は起こらない方がいいが、こういうものがあれば、助けになるだろう。後は、携帯電話充電機能かな。

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2011年1月 7日 (金)

『東海道五十三次と浮世絵名品』展を鑑賞

年明け早々、明石市立文化博物館で開催されている『東海道五十三次と浮世絵名品』展(平成23年2月6日まで)を鑑賞してきた。各種浮世絵、約220点が展示されており、正月ということもあり、比較的多くの人が熱心に鑑賞していた。

この展覧会は、浮世絵の中で、歌川広重と葛飾北斎の東海道五十三次の作品にスポットをあてたものです。これだけ、揃った東海道五十三次の浮世絵を鑑賞するのは初めてだった。その他にも「旅模様・東海道中膝栗毛」、「ゴッホと広重」、「黄金期の浮世絵アラカルト」、「幕末バラエティー」というテーマで、各種浮世絵が紹介されて、見ごたえがありました。

浮世絵は、わからないことが多いですが、国際浮世絵学会常任理事の中右 瑛氏による、わかりやすい解説は、初心者には、なるほどと思わせます。ただ、絵が小さいため、じっくり鑑賞するには、時間がかかる。止む無く、当日は、図録を購入して、予備知識を習得して、再度訪問しようと思っています。

さて、浮世絵のできた経緯は、どんなことだったのだろう。江戸時代、悪所と呼ばれる場所があった。悪所とは、遊蕩する場所のことだ。それは遊里や歌舞伎が主体だった。江戸時代は、封建制の秩序があったが、悪所は、身分の違いに関係なく出入りできた。これは幕府が考えた庶民のガス抜きの手段であっただろう。

武士は封建時代の儒教の堅苦しさから逃れ、庶民は理想的な生き方とされた仏教の教えの堅苦しさから逃れ、羽目を外す。人間というのは、そうしたものだろう。いつもいつも儒教や仏教的な生き方では、息が詰まってしまう。

もちろん、庶民の息抜きや破目を外すために、祭り等で男女が交わったのも、一つの機会であったろうが、遊里は日常的に、男女の交渉事が可能にしたし、歌舞伎は女性にとって、妄想的プラトニック・ラブを楽しむ機会であったろう。そして、浮世絵は、そういう時代の雰囲気を如実に表している。

まず、その悪所を最初に題材にして浮世絵を描いたのが菱川師宣とされる。これは現代で言うブロマイドのようなもので、モデルを忠実に描くことを求められた。いわゆる、静的な表現だ。

その後、元禄時代は、経済も爛熟(今で言うバブル状態)して、そういうものでは顧客に満足されないようになったか、興行者側の要望によるものか、目を引くものに大きく転換される。それが悪所の様々な動きの一部の場面を切り取ったのが浮世絵につながる。更に動的かつデフォルメされた表現に発展する。

その手法を東海道五十三次の浮世絵でも、見てとれる。当時の旅行ブームに応じて、旅行案内のような浮世絵だが、必ずしも、実際とは同じようには描かれていないものもあるという。むしろ、描き手が見聞きしたことに想像力が付加されている。これは西洋の絵(実は、浮世絵の影響なのだが)にも通ずるもので、描き手の意思が表現されているのは面白い。これが現代だったらクレームものだ。

それでも、実際、悪所や旅行に行けない人々にも、楽しみを提供し、江戸時代の一つの庶民文化を形成したことは確かだろう。浮世絵のことは、なかなか素人にはわからない面が多いが、いろいろ当時を推理することは、ミステリーより楽しいものだ。

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2011年1月 6日 (木)

思慮と決断のバランス

人生において、思慮と決断は重要な役割を持つ。ところが、このバランスが崩れると、あまり望ましくない結果を招く。それは次のことだ。

まず、思慮は深いが、決断力が弱いと、第三者からは優柔不断だと捉えられる。情報を集め過ぎて、あれこれ考え過ぎて、行動が起こせないタイプ。企画型に多い。

次に、逆に思慮が浅く、決断力が強いと、第三者からは独断専行と捉えられる。たまたま、うまく行けばいいが、逆の結果になることが多い。また自分の能力を弁えない過信型に、よく見られる。

これらは、両者共に、トップには相応しくない。これは、政治家も、経営者もそうだし、家庭経営も同じこと。トップは、思慮と決断のバランスを軽視してはいけないだろう。それには、まず、自分の生きざまの哲学という自己涵養が必要だ。

ふらふらしていては、思慮もできないし、決断もできない。すなわち、確立された自己の哲学をベースに、よく考えた上で、決断を下す習慣が大切だ。

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2011年1月 5日 (水)

平成23年の干支~辛卯

今年、平成23年の干支は、辛卯(しんぼう、かのとう)だ。干支では、今年、どんな年になるのだろう。占いと言えばそうだが、干支の持つ周期というものは、何となく多くの人が感じていることだろう。周期は12年ごとだったり、60年だったりする。

それでは、今年も、兵庫県立図書館より干支の資料を頂いたので、それをベースに記してみよう。まず、辛卯の「辛」は「金の気」であり、「卯」は「木の気」であるという。この組み合わせは、「金は木に勝つ」という「相克」を表す。また見方を変えれば、金が木を加工して、製品にして、木の性情を活かすという風にも捉えられる。

また、「辛」とは、「新」のことらしい。すなわち、草木が枯れ果てて、また新しくなろうとすること。「卯」は、「茂」で、草木が地面に茂る、すなわち覆う状態のこと。二つを一緒にすると、昨年「庚寅」で、「新しく動き出した」ことが、今年は、根を張り、枝を伸ばして拡がっていく様子だ。

そういうと、数年前、豊後梅の苗(とは言っても、60センチばかりの棒きれのようなものだった)を購入して、一年目は、頼りなく少し根を張り、芽を出すだけだったが、二年目に少し日当たりのよいところに移して少し大きくなった。三年目に更に、土の状態のいい所に移植した。そうすると、枝葉の勢いは急に増し、あっという間に大きくなった。

少しして、他の木の関係で、少し移動しようとしたところ、しっかり根を張り、もうどうすることもできなかった。多分、今年は、割と多くの花を咲かすのではなかろうか。地域によっては、もう花を咲かせているようだが、まだ芽も小さい。少し先のようだ。

辛卯とは、去年のような枝ぶりの成長の感じのような気がする。ただ歴史的に見ると、いいことばかりでもなさそうだが、それを契機に、いろんなものができているのも事実だ。いろんな困難なことが起こり、それに対して、対策を練る。それは今も昔も変わらない。

例えば、1591年に、秀吉が朝鮮出兵を決定している。褒賞の限界という国内の事情がそうさせたのかもしれないが、豊臣家の没落を早め、徳川の時代になる契機になった。長年、耐えに耐えてきた徳川家の勢力は、豊臣家のそれを凌駕し、関ヶ原の戦いで天下を握った。

また、1651年には、由比正雪の乱がおこっている。これは幕府の大名取りつぶし政策によって失業させられた浪人の反乱だ。ただ、この反乱計画は内部のリークで、取押えられ、鎮圧された。だが、これを契機として、幕府の方針が変わり、大名の取りつぶしがなくなり、浪人の仕官の道も開かれる結果につながる。

そして、1771年には、杉田玄白が『解体新書』の翻訳に取り組んでいる。人体の内部を見る機会を通して、記載されている外国の医学書が正確で、それが翻訳をする動機づけになる。これは日本の医学界を飛躍的に進歩させただろう。

更に1891年(明治24年)には、濃尾大地震が起こり、多くの人々が亡くなり、負傷している。これを機に、文部省内に、「震災予防調査会」が設立されている。これは関東大震災後に作られた地震研究所に引き継がれている。そして、現代にも、その流れは続き、まだ不明な点も多いが、地震の研究はレベルアップしている。

戦後では、60年前の辛卯だった1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ平和条約(対日平和条約・日米安全保障条約)が結ばれている。これが敗戦後の日本の再興の契機になったのは確かだ。

この周期は何を意味しているのだろうか。日本は、後年、今年は、新しい時代のスタートとなったと感じる時が来るかもしれない。国も、国民も、そういう時に生きていることを認識して、それぞれの世代で、次世代、次々世代に伝えられるものを作り上げたいものだ。

*平成23年12月19日

年末も押し迫り、今年も終わりに近づきつつある。今年は、東日本大震災、福島原発事故と、日本にとって、大変なことが起こった。凡そ、干支の示す通りかもしれない。これからも被災者だけでなく、厳しい道程かもしれない。皆で力を合わせて、一歩ずつ這い上がるしかない。そして、自然災害では、もっと大変な国もあることだし、新しい知恵を世界に伝える義務が日本に課されている。

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2011年1月 4日 (火)

卯年の初詣と、おみくじ(平成23年)

いい天気だったので、初詣に行ってきました。流風にしては、遅めの三日の早朝。早朝と言っても、九時半ごろです。家から、参るべき方向にある、いつも行く神社は、どういうわけか大変空いていました。

ちょっと、それにはびっくり。いつも、この時間だと、それなりに人がいるのだが、寒いからかな。まあ、その分、参拝は楽でした。でも、並ばないと雰囲気でないなあ。日常的には並ぶのが嫌な、せっかちですが、初詣はね。

そして、恒例のおみくじ。占いは好きではないけれど、年に一回くらいはいいだろうと続けている。いい結果でも、悪い結果でも、受け止める人間次第だし。悪い結果が出れば、これより悪くなることはないと考えればいいし、よい結果が出れば、逆に慎重にならなければならないということだろう。

今年は、比較的いい内容。引っ越して神社を変更してから、毎年、あまり変わらない。今年は流れがいいいそうだ。ということは、慎重に事を運ばなければならないということか。それにしても、どういう配分になっているのたろうか。多分、こういうのは神社側の意思が込められているんだろうね。

それにしても、ついつい読んでしまう(笑)。ここ数年、よく当たっていることもある。当たらない宝くじを買うより、精神衛生上はいいかもしれない。そして、やっと、今年がスタートした感じだ。いずれにせよ、意義のある一年にしたいものだ。

*追記

尚、流風が参詣した神社へは、報道によると、物凄い人だかりになっている。少し時間がずれただけで、大変なことになったようだ。参詣した人は去年より多く、やはり寒いので、時間を遅らせたようだ。神社は一安心だね。

*追記

なお今年の旧正月は2月3日だ。おみくじの内容は、その日から有効らしい。

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